これが、彼の言う、杜甫の「麗人行」です。「三月三日天気新」という書き出しで始まります。最初にある『麗人行』が題です。その後の細字で説明して入る文が、当時の宰相「楊国忠」の生活の一面を物語っておりますので書いておきます。
まずは、その全文を。
”天宝十三年歳 楊国忠與虢国夫人隣居第 往来無期 或竝轡入朝 不施障幕道路為之掩目”
「安禄山が都長安に攻め込んだのは、天宝十四年です。虢国夫人は楊貴妃の姉です。楊国忠は夫人の隣に居を構えて住んでいました。そして、いつとなしに虢夫人の家に出入りしていたのです。また、二人は何時でも、それもこっそりとではなく、堂々と馬車を並べて宮殿にも出入りしていたので国民はみんな知っていたのですです。」
と。
堂々と、二人はあけっぴろげに、誰にも遠慮せずに、密通をしていたのでは???とおもいます。何もそこまで、ここで説明しなくてもいいのでは思うのですが、これを解説した人はご丁寧に書いております。余程、此の二人は国民の間で嫌われ人だったのでしょうな???
之を受けての杜甫の「麗人行」の詩です。“三月三日天気新 長安水辺多麗人”です。書き出しは素晴らしい言葉で始まります。此の説明の文がなかったら、これから、沢山の美人のどのような美しい光景が始まるのかと思われる様な書き出しですが。
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