
気分のいい言葉使いをしなさい
人の言葉使い、すなわち口癖は生涯2回変わると言う。
一番初めの言葉使いが形成されるのは15歳以前の時期だが、主に両親とか周辺の人の言葉使いを真似したことに由来する口癖だ。この時形成された言葉使いが生涯続く人もいるが、大概自意識が強くなる思春期に以後にもう一度変化する。
この頃、ついた言葉使いの特徴は好きな友達とか心の中に崇拝する特徴のある人物の言葉使いに似ていく点ではそれ以前と似ているが、読書による影響も一役買っているという点で少し違いがある。すなわち言葉使いに自意識が内包され始めるのだ。
人の中には2回目の段階で自身の言葉使いが固定される人もいるし、以後の社会生活をしながら自分でも知らないうちに言葉使いの変化をする人もいる。
職業と言う社会的な環境によって形成された言葉使いは、複雑な人間関係とか職業的ストレスの中に習慣になったためにだんだん否定的な評価の対象になったりもする。
例えば、言葉の終わりごとに「私の言っていることがわかりますか。」と問うことは権威的な習慣が体に染みていて、下の人を軽視する人であるほど多く使う口癖です。
口癖の中には他人に不快感を与えるものもあり、反対に気分をよくするものもある。または、自分をよりよく見せようとするものもあり自分をこき下ろす言葉使いもある。
こんな口癖は自分が感じることができないこともあり、また、知っていながらもなかなか直らない場合もある。これからは自分の言葉使いとか口癖を注意深く観察してよくないくせは可能な限り治すように努力するのがいい。
話す度に「、、、、のようだ。」と言う言葉を使う人がいる。
「雨が降って本当に、いいようです。」
自分の気分がいいならばよかったのであり、いいようだとは何だ。こんな人は腹が空いても「少しおなかが空いたようです。」と言うタイプだ。
大概、「、、、のようだ。」と言う表現はいつも自信がなく自分の主張が確実でない人が何気なく使う言葉だ。こんな口癖のある人は、他人にも大して肯定的は評価を受けることができない。いいならばいい。嫌ならば嫌だと確実に表現しなさい。
他人を不快にさせる話法の代表的なケースは相手を押さえつけるような口癖に見つけることができる。
例えば「私の言っていることがどういう意味かわかるだろう。」とか、「話を少し簡単に言うとこういうことだ。」「もう一度言うと」などの口癖は親切が過ぎて多少傲慢に聞こえやすい。
言う人がちゃんと言ったならば、それを理解できない人はほとんどいない。外国語でもなく我々の言葉で対話するのに、敢えて「簡単に説明する」と言って、より簡単にする場合もまれだ。結局言葉だけ多くなる。
こういう時はどんなに論調が明らかな言葉でも、相手に嫌気を出させしまいには無視されているという思いまでさせてしまう。
こちら側からいう言葉が理解されなかったらば、相手側からどんな風にでも反問があるはずだ。説明がもっと必要ならばその時まで我慢して待たなければならない。必要のない話の主導権を掌握しようとするという誤解を受けたくなければ、言葉使いを治すのがいい。一人で太鼓を叩いて、ドラを打って、皆やったならば言葉の逆効果だけ生じるだけだ。
また、言葉の終わりごとに「これはとても重要な話なのだけど」と力を入れて強調する人もいる。事実聞いてみると大した内容でもない退屈な話を、いつも「重要な」「すごい」などの修飾語をつけることだ。
自分の言葉の波及効果に執着しすぎるとこんな癖が生じやすい。他人が皆知っている話を何かすごい情報にでもなるように騒ぎ立てる中身のない人として見られたくないならば、これもまた治さなければならない口癖だ。
人は主に相手の言葉使いや表情、行動を通してその人の性格や人物人柄を把握しようとする傾向がある。特に、言葉使いはその人の内面の第一印象のようなものだ。
考えもなく吐き出した言葉一言にも社会的なイメージにすごい打撃を与えることもあるということを念頭においてあなたの言葉使いにおける問題はないかをもう一度点検してみることだ。