
誠実に対話しなさい
聞きやすい100のことばより真心がこもったひとつの言葉が胸を打つときがある。あらゆる賛辞を並べた言葉でもそれが相手をだますためのうわべの言葉ならばただの音に過ぎないからだ。反面、華麗でなくても本心から出た言葉ならば、その心がそのまま相手に伝わり、その人の心を動かすのだ。
生きていると誰でも大きかったり小さかったりうそをつくことになる。しかし、一時的なうそで人をだますことができたとしても、いつかは真実が明るみになるものだ。一例を挙げると、詐欺師は人の金を奪った後、後も振り返らず逃げる。詐欺師は自分が永遠に人をだますことができない事を知っているからだ。
「もし、うそを一度したならば、生涯ものすごい記憶力が必要になるものだ。」
すなわち、一度うそをついたならばそのうそを隠すために引き続いてうそをつかなければならないから記憶力もそれほどによくなければならないということだ。
残念ながら人間と言う存在はそれほど精巧に作られなかった。私たちはついさっきまで持っていたものをバスの中に置いて降りるほどに簡単に忘れてしまう習性を持って生まれた。だから、うそはいつか必ずばれるのだ。
人がうそを言う時、現れる変化の中で最も大きい変化は言葉使い、すなわちイントネーションだ。イントネーションは微妙な性質を持っているので、とても些細な心の変化も敏感に反応するようになっている。
ある学者は、大概言葉の語尾や語句の後半が上がるとうその危険があると主張した。特に女性の場合のうその様相はかなり複雑に現れる。
「あなたが本当に嫌いなの。」「私たちもう別れましょう。」と言う言葉も相手は本当に嫌いだとか、本当に別れる気持ちから言う言葉ではないときがある。本人の本心によって言葉の様相が違うのだ。
うそは対話に臨む姿勢が不誠実であることを意味し、また、それはどんな形式であろうと明らかなるしかない。そうなると聞いている人の信頼を得ることができなくなる。信頼を失った状況で対話は一歩も進展することができない。
信頼のない対話と言うのはまるで農民がカチカチに固い土を掘り起こさないで種をまくことと同じだ。そんな所に撒かれた種は決して根を下ろすことができず芽をだすこともできない。まして実を結ぶことを望むことはありえないことだ。
少しでも対話を交わすことができる相手ならば最小限の信頼を元にしてこそ人間関係の結実を結ぶことができるのだ。
信頼を捨てたくなければ誠実に対話に臨みなさい。それがあなたの人間関係を豊かにする土壌だ。