退屈しないように シニアの暮らし

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さて何をしようか

面白く話す人が成功する

2014-11-10 01:34:08 | 韓で遊ぶ

ちゃんと聞いてわかりやすく表現しなさい
スピノザは「人間の不幸は互いに信頼できないところから始まる。」と言った。
どうして人々は互いに信じることができないのか。
それは互いの心を理解できないからだ。人が人の心を理解することができなければ不和が生じる。国家間に広がる戦争も結局は理解不足から始まったものだ。
他の人の心を理解して理解させることがなぜこんなに難しいのか。
私たちは他の人の心を理解する、または理解させる手段として言語を使用する。しかし、言葉というのは私たちが互いに話をしなければならない内容を完璧に伝えることができない限界を持っている。よく、私たちは「いちいち話すことができない。」とか、「言葉では表現できない。」と言う言葉を通して言語の限界を吐き出したりする。
言葉では表現できない心の風景、よく、私たちが本心だと言う呼ぶことが相手にちゃんと伝わらない時、私たちは絶望を感じる。
複雑で微妙な人間心理を悟らせることにおいて、言葉のように効果的な手段を人間はまだ持っていない。
自分の心を理解してくれないところから来る悲しみ、あるいは自分が知りたい人の心を理解できないところから来る悲しみが私たちを絶望させるのだ。また、時にはそのような絶望の代わりに誤解と葛藤が作られることもある。
どうしても私たちは言葉に頼るしかない。今自分が会って、これからも会わなければならないすべての人との美しい関係のために。
しかし、どうすれば言葉がもう少し正確に伝わることができるか。
かつて、ある人は「言葉で表現されたすべてのことは全部うそか、偽善」だと言った。私たちは知ってか知らずか、話を誇張したり縮小させて隠蔽させる。
一例を挙げると、「私はあなたを愛している。」と言う言葉の中には、あなたがどのように相手を愛しているのかに対する情報が抜けている。
愛と表現された一言の中に、あなたの心の中を全部盛ることはできない。この世の中の多くの美辞麗句を動員しても、愛があなたをどれだけ幸福にするかを表現することができず、また、幸福だと言う感情の中にはどれだけ多くのほかの感情が混ざっているかを見せてやることはできない。
表現された言葉と事実はどこまでも異なることだ。だから、「正確に話して正確に把握」すると言うことははじめから不可能なことかもしれない。単に、私たちができることは、最大限自分の意図に近く表現することで、誤解とか葛藤の数値を最小限にすることだけで、相手の言葉の意味を把握するところにおいても、できるだけ彼の言おうとする真義に近いところで理解するように努力するだけだ。
さあ、それでは、正しく話をするということから実践してみよう。
あるおばあさんが道を聞こうとソウル駅の案内デスクに行った。
「何で、来ましたか。」
「汽車に乗って来ました。」
「いいえ、そうではなくて、ここに、何で来ましたか。」
案内員は田舎のおばあさんが耳が遠くて聞こえなかったと思って大きな声で聞いた。すると、おばあさんも負けじとこのように叫んだ。
「何で来たかって、お前。汽車に乗ってきたと何回言えばわかるんだ。」
「このばあさん、冗談を言っているのか。はい、汽車に乗ってきたのは当然なことですよ。このには、なぜ来たのかと言うことです。」
駅員がいらいらするなり、おばあさんが礼儀正しくたしなめた。
「腕章までつけた人が韓国語を知らないのか。それならば、はじめから『何の御用でいらっしゃいましたか。』と言わなければならないのであり、何で言うのは何だ。」

一般的に「何で」と言う言葉は「何のために」「なぜ」などの広範囲な意味で解釈されることができるが、確実な表現ではない。こういうことは「言葉の抽象性」と言うが、聞く人の立場によってその解釈が異なるから全的に話す人に責任があるのだ。
おばあさんは「何で」という質問の意味を、表現そのままに選択して解釈したので大きな間違いをしたとはいえない。
問題はその案内員の態度だった。彼はおばあさんが「汽車に乗って来た」と言った時すぐに自分の表現に、聞く人を配慮していない弱点があるということを悟らなければならなかった。彼が、「何のために」と言う意味で使用した「何で、来ましたか」は正しい表現ではなかったのだ。
おばあさんはすぐに、そんな案内員の失敗を確実につまみ出すと同時に正しく話す方法まで提示している。
正しい話法とは、できるだけ抽象的な表現を使わないで正確に意味を伝達することだ。例えば、内容の範囲とか基準が曖昧な表現の代わりに誰でも理解できる言葉を使ってこそ互いの間に誤解を減らすことができる。言語学者はこれに対して「中学生でもわかる程度」と範囲を規定している。すなわち、不必要な専門用語や外国語を乱発して相手を混乱させないことも正しく話をするという条件になる。
これで、残ったことは人の話を正確に把握することだ。
日常的に私たちがよく使う対話にも、意味が限定的でない抽象的な表現がいくらでもある。
例えば、子供が「おなかが痛い」と言った時、子供の状況によって本当におなかが痛いこともあり、おなかが空いている場合もある。賢明な母親ならば、自分の子が今、おなかが空いているのか痛いのかわかるように、私たちは対話の本質を見抜くことを知らなければならない。
仮に、けちで細かいと言ううわさの社長が昼をおごってくれるといって、職員がメニューを決めようとする前に「俺、チャンポン」と露骨に先手を打ったと仮定しよう。
この状況でチャンポンの値段の範囲を超えて料理を注文して食べようという豪気なものはおそらくめったにいない。
小心な私たち職場人がこういう時、ジャージャー麺(ただの麺でもなく海鮮麺でもない間の形)でもお願いしますと言えることは、社長の言葉に対する一種の反抗的妥協だとも言うことができる。結局社長の意図を正確に把握するにはしたのだ。
考えて、考えるほど言葉の世界は本当に奥が深く神秘的だ。私たちはこんな風にでも全部表現できない私たちの精神のイメージを具体化させる作業をしているのだ。


いいスピーチの方法
1.わかりやすい言葉を使う。
  ・専門語、外国語、学術用語に注意しなさい。
・ なまりに注意しなさい。
・ 自分がよく知らない言葉は避けなければならない。
2.わかりやすい表現をする。
  ・曖昧な表現は混同させる。
・ 起承転結、または序論、本論、結論を区画するといい。
3.確信を持って話す。
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き楽かん 家具職人の仕事

2014-11-10 01:27:53 | 木の工房

椅子のリサイクル
元々レザーの椅子でしたが
すわり心地が悪くて
足の機能を残して(キャスターが付いていて、ロックをはずすとゆり椅子になる)
座面だけを取り替えました。
肘掛が高いくてテーブルの下に入らず
かなり存在感を主張する椅子でしたが
肘掛を短くしたのでテーブルの下に入るようになって
座っていない時もすっきりです。
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