退屈しないように シニアの暮らし

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さて何をしようか

面白く話す人が成功する

2014-11-19 05:36:07 | 韓で遊ぶ

あまり先走るな
相手の話を先取りするくせは、大概先入観の強い人に多く見られる。
何日か前に引っ越してきた隣の人が餅を持って訪ねてきたからといって、無条件に自分に食べさせようと持ってきたと考えては混乱する。餅をくれる人はそんな考えもしないのに。
当然餅をくれようと持ってきたと思って「あ、これはありがたい。」と言ったのに、知ってみると引越しの餅ではなくて自分の家で食べようと買ってきた途中で、何かちょっと聞きたいことがあって入ってきたとしたらどんなに恥ずかしいか。
こんな失敗はいくらでもありうる。
社長がこっそりと呼んでおいて白い封筒をいじりっていたからといって、それが必ず自分のために特別なボーナスだと言う保証はないということだ。
それも知らないでこちら側では、
「社長、私は特に会社のためにやっとこともないのに、あまりにもよく見ていただいたようで身の置き場がありません。」と言ってしまったのに、
「そうだ、一生懸命やれ、私が君を特別に見守っていることを覚えておきなさい。」
社長がこんな話までしておいて、
「それで、これだけど。」
封筒を差し出して何か言おうとするが、
「いや、社長、なぜこのようなことをしますか。私はわかっていただけるだけでもありがたくおそれおおいばかりです。」と言いながらあなたが感激の涙を浮かべた。
その後でどんなことが怒ったか。
「君どうした。」
「、、、はい。」
「なぜ泣いているのだ。」
「私はただ、、、」
あなたは何か見当違いをしたことを、このあたりで気がついて、目にごみが入ったとでも言うようにとぼけることでもしないといけないのだが。問題はあなたのその依然として強い先入観だ。
「特別にやったこともないのに社長から特別ボー、、、、」
あなたがここまで言おうとして無常な社長の口からは、
「今日特別にやることがなかったならば、私の使いをちょっとやってくれるか。これはあの下のカフェへもっていく酒代のつけなんだが、、、」
こんな雷のような言葉が飛び出したら。
あなたはおそらく自分が馬鹿だという感じがするはずだ。
人の話を先走って聞くくせを治さない限りあなたは馬鹿みたいなことではなく馬鹿な人間扱いされるにはもってこいだ。
話をやり取りする順序だけでもちゃんと守ることができてもこのようなとんでもない状況を未然に防ぐことができるのに、いつもそうやって断定する習慣が賢いあなたを窮地に追い込むのです。
対話と言う単語を知っていても対話の能力を持つことができない人が私たちの周辺には意外とたくさんいます。
対話の能力とは外側に表現された言葉の真意を理解することができる力を言うのだが、そのためには間違った先入観とか固定観念から抜け出すことが上策だ。
江南には金持ちだけが暮らすのではない。
ヤンジェ洞ポナ街に少し入っていくと今もビニールハウスの集団村を形成して下層都市貧民として暮らしている人々がいて、ヨクサン洞とかサンソン洞周辺にも20年を超える庶民アパート団地で練炭を焚いて暮らす人々がいる。
こんな人たちのおかげで江南句は生活保護受給者数もソウルで上位圏に位置し奇妙な現象を見ることができる。
それも知らないであなたが今日始めて紹介された淑女に家がどこかと聞いた時、ヤンチェ洞だというその一言で「あ、いいところに澄んでいますね。」と答えたて気後れしたならば、その淑女が帰ってすまなく思うこともありうる。
先入観とか固定観念による人の話を先走って聞くことは対話のブレーキとして作用する危険がとても大きい。こんな危険から自ら脱皮するためにはいくつか努力しなければならない。
一つ目、できるだけ言葉数を少なくする。
あなたはおそらく対話の主導権を掌握しなければならないという固定観念に捕まっているかもしれない。
対話の主導権に対する脅迫観念がある人は大概沈黙とか対話の空白に耐えることができないと言う特性がある。
恋人と二人でデートしていても話の空白が生じると、それがすべて自分の責任のようでどうしていいのかわからない。
「どうしたの。何を考えているの。」
急に恋人が話をしなくなったのが自分のせいではないかと思って、慌てて詮索したりする。
「どこか具合でも悪いのかい。どうして何も話さないの。」
自分が言うことがなければ、相手が口を閉じている理由でも知るために、また一言投げかける。
「つまらないの。どこか他のところへ行こうか。」
「私がいつつまらないって言ったの。」
「何にもしゃべらないからさ。」
「私はただ、少しの間何にも考えないでいたのよ。」
何も考えなかったとは。
彼は到底その言葉を理解することができない。何も考えないでいたならば、何か話でもしないといけないんじゃないか。だけど退屈じゃないとはまた何だ。
彼は何の考えもしない人が退屈ではないと言うことが理解できない。
人はいつも何か考えるなり、せめて、コーヒーが苦いとか甘いとかという考えでもしないとならない、そう考えたならばそれをすぐに言葉に表現しなければならないと思う人だ。
ところが今横にいる恋人は何の考えもなくカフェに流れる音楽に酔っていたのだ。
人に会うと必ず対話を断ち切ってはならないという強迫観念で、沈黙は居心地が悪いという固定観念が一時も離れなかった彼としては本当におかしなことだったろう。
対話だからと言って無条件に何か話を続けてしゃべりまくらなければならないと思うことは間違った考えだ。短時間の中で結論を出さなければならない問題が生じたのでなければ単調な沈黙も対話のひとつの方便になりうる。
恋人と方を並べて座って静かに音楽に耳を傾けていることも実は心の対話になりうる。
対話の空白と沈黙は少し違うが、一定の主題を持って話をしていてしばし互いに言うことがなくなった状況を対話の空白と言う。この場合にも、必ずどちらか一方が発言の責任をとらなければならないと思ったならばそれも深刻な誤算だ。
「輸出の物量を定刻までに確保しないと会社側に大きな損害になるようです。」
「私もわかっている。何としても対策をよく考えないと。」
社長とここまで話をしたが対話が途切れたとしてもあなたの責任ではない。社長は今、しばし、対話の空白を持って対策をよく考えている最中だ。あなたもそうすればいい。
こんな場合は二人のうちどちらかがいいアイデアが浮かんだ時意見を言えばいいのだ。
対話の空白だからと言ってみても3分以内のものだ。それ以上の空白が生じたならばどちらかが一言言うようになっている。
適当なアイデアも浮かばないのに社長が先に空白を意識したならば「わかったからこれで帰りなさい。」と言うはずで、あなたが先にそれを意識したら「あの、それでは帰って対策をよく議論してみます。」と言ってでてくればそれまでだ。
この状況で何の助けにもならない空白でも埋めようと下手なこの話、あの話を並べてみたら、むしろ「考えがそれぐらいしかないのか。」と言われるのが常だ。
一般的な人間関係でも同じだ。
自然な沈黙とか対話の空白に負担を感じて、発言の総代を締めようとする人であればあるほどややもすると注意が散漫だという評価を受けやすい。
ちゃんと聞いて適切に話すことは、私たちの体の血と肉のように、対話において必ず持っていなければならない条件だ。また、自分の先入観と固定観念から脱皮することは知恵のある対話のために血となり肉になることだと言う事実を覚えておきなさい。


人の話を先走って聞かない方法
1. 間違った先入観とか固定観念を捨てなさい。
2. 沈黙とか対話の空白に負担を感じるな。
3. 対話の主導権に対する強迫観念を捨てなさい。
相手の意見を尊重しなさい。
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