退屈しないように シニアの暮らし

ブログ巡り、パン作り、テニス、犬と遊ぶ、リコーダー、韓国、温泉、俳句、麻雀、木工、家庭菜園、散歩
さて何をしようか

幸福な世界 7

2015-07-23 07:06:52 | 韓で遊ぶ


取り戻した薬指
私の薬指は普通の人よりも1関節分、短くなっています。
7歳の時の事故によるものです。母が私をしばらく実家に預けて仕事に出た時、従兄と鎌で遊んでいて指を切ってしまったのです。元に戻すのは不可能だという医者の言葉に、おばあさんは胸に大きな痛みを残し、母には流すことのできない罪責感を抱かせることになりました。父にとっても短くなった私の左の薬指は、生涯の傷として残りました。生活には支障は無かったのですが、時々人がチラチラ見る視線を感じる時は、何とかして指を隠そうと気を使いました。そんな日は何となく両親に対して神経を尖らせました。
「この手のせいで友達には怖がられ、人が注目するのよ。一生これでどうやって生きていくの、ううう、、」
両親を責めて恨んで不平不満をぶちまけると、それでも心が和らぐようでした。
そうやって歳月が流れたある日、急に父が一緒に病院に行ってみようと言いました。
「あちこち調べてみたけど、指を治すことができるかもしれないって。」
もしかしたら私もまた健全な指に戻るかもしれないという夢が膨らんで、その日から父と一緒に病院を探して行きました。ですが、行く病院ごとに治療は不可能だという絶望的な話だけを聞くことになりました。そうなると明らかに辛くなるはずなのに本当に不思議なことでした。辛いどころか不可能だという言葉を聞けば聞くほど、重かった胸が軽くなり穏やかになっていたのですから。
普通の薬指になるという希望より、もっと大きな贈り物を私はもらったのでした。それは私のために昼夜を問わずに病院を調べて連れて行ってくれた父の真心であり、病院を出てくる時に父が言ってくれた真心のこもった一言でした。
「あぁ、ごめんね。クニ。」
この間、私が辛かったのは短い指のせいではありませんでした。自分の身の上と状況が悔しくて悲しかったからでした。ですが、病院のうわさを頼りに通っている間、父が見せてくれた深い愛は、私の悔しさをきれいに治療してくれました。胸に深く刻まれた傷を。
少し後に私の左手には父の愛に似たキラキラする指輪がひとつはめられました。この指輪は父の愛のおかげで、もう恥ずかしくなくになった薬指を元気に見せようと自らに贈った指輪でした。
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幸福な世界 7

2015-07-22 06:41:19 | 韓で遊ぶ


校長先生はおやつ名人
忠清南道(충청남도)唐津(당진)にある沔川(면천)中学校には、他の中学校にはいないおやつ名人がいます。
午後5時になるとスピーカーを通して、教室ごとにおやつの時間を知らせる放送が流れます。
「みなさん、おやつの時間です。今日のメニューはのり巻きです。」
その言葉が終わるか終わらないうちに、子供たちは学校の行政室(행정실)にぞろぞろと押し寄せます。テーブルの上にうず高く積まれた食べ物を見た全校生117人の口元には笑みがあふれます。
「わあ、おいしそう。」
「ありがたくいただきます。校長先生。」
毎日放課後、自由学習をする生徒たちにおやつを作ってやる人は、他でもないキムソンサム校長です。材料選びから調理まで自らやっているほどで、真心があふれています。彼がおやつの援助を始めたのは、沔川(면천)中学校に赴任する前の美山(미산)中学校に勤務した時からでした。
彼が、去る2004年まで身を寄せていた美山(미산)中学校は、田舎にある学校なので近くに塾さえありませんでした。それに大部分の父兄は農作業で忙しく、授業が終わると美山(미산)中学校の生徒たちはすることがありませんでした。悩んだ末、夜の9時まで子供たちに自由学習をさせることにしました。意図は良かったのですが問題がありました。その時間まで子供たちを学校においておくためには、おやつが必要だったのです。しかし、給食の施設どころか、おやつを作る職員も、材料を購入する予算もない現実でした。
彼は、学校の近くにある韓国水資源公社の保寧(보령)管理公団に行き援助を要請しました。
「うちの学校の子供たちのおやつ代を支援してください。」
彼の提案を快く受け入れてくれ保寧(보령)管理公団側から、1学期ごとに700万ウォンのおやつ代の支援をもらうことになりました。おやつを作ることは心配ありませんでした。幼い頃から母親から学んで手馴れた彼の腕は、瞬く間にのり巻きの塔を積み上げるほどの水準でしたから。
美山(미산)中学校から沔川(면천)中学校に移った後には、自費でおやつを作り続けました。
「校長先生が作ってくれたおやつと自愛に満ちた心は生涯忘れられません。」
学校のインターネットホームページに寄せられた子供たちの感謝の言葉を見る時、最も大きなやりがいを感じるというキムソンサム校長。母の心で子供たちを見て、父の心で教える彼にとって、すべての学生たちは本当の息子、娘のようです。
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幸福な世界 7

2015-07-21 06:32:12 | 韓で遊ぶ


青いお日様
息子が5歳の時、幼稚園で色を学んだ時のことです。
「ミンヒョク、これは何色。」
「空のお日様のような暑い赤。」
「よく知っているわね。じゃあ、これも何色かわかるでしょ。」
「海みたいに涼しい青だ。僕は青が一番好きだ。」
ひどく暑いせいか、息子は青をとても好みました。
ある日、幼稚園から「夏休みにあったこと」という題で、絵を描く宿題を持ってきた息子が、画用紙に果樹園とおいしそうなスイカをいっぱいに描きました。ですが、息子ができたと言って自慢げに見せてくれた時、私はびっくりしました。
「おっ、おかしいわね。どうしてこんな色を。」
赤い太陽がいるべきところに青い太陽があったからでした。
「ミンヒョク。何でお日様が青なの。お日様は赤い色じゃないの。」
息子がいくら青い色が好きだからと言っても、まちがったことは言ってやらなければ思って言ったのですが、息子は意外な話をしました。
「ママ、僕はお日様が青だったらいいと思うよ。そうすれば、お日様がかんかん照り付ける暑い夏にも、果樹園でおばあさんが涼しく仕事ができるじゃない。」
息子の言葉を聞いてもう一度絵を見て、やっと畑で仕事をする母が目に付きました。何日か前に、夏休みに合わせておばあさんの家に行った時、幼い心にも太陽がカンカンと照りつけるところで仕事をするおばあさんがかわいそうだったようです。
青いお日様は、暑さの中で仕事をするおばあさんに涼しい夏をプレゼントしたい息子の気持ちだったのでしょう。幼い息子ほどにも母の苦労を理解できなかった私自身を恥ずかしく思いました。お日様が赤いならばどうで、青いならばどうですか。その中にこめられた子供の心の色がいつも美しいのです。青いお日様がある絵の中の母は、顔に笑みを浮かべているように見えました。
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幸福な世界 7

2015-07-20 05:11:29 | 韓で遊ぶ


世の中で一番おいしいラーメン
大学の卒業が目の前に近づいてきて、焦る気持ちがなかなか落ち着くことはありませんでした。
成績が悪く、英語の能力もさほど無く、、、私は、何一つとってもとりえのない就職志望者に過ぎませんでした。ですが、教授の推薦を受けてやっと履歴書を出したところがラーメンの会社でした。半信半疑で志願したところ面接までいった時は、内心自信感が生じました。ですが、固く厳粛な面接の雰囲気にすぐに気後れしてしまいました。その時、面接官が私に質問をしました。
「世界で一番おいしいラーメンがどんなラーメンだと思いますか。」
幸いにも、この質問は私には難しいものではありませんでした。すでに以前から答えを持っていたからです。
「実は、私はラーメンがそんなに好きではありません。」
面接官たちは当惑した表情をしましたが、私は勇気を持って言葉を続けました。
「私の母には、ラーメンにまつわる辛い記憶があるので、子供の頃からラーメンを食べさせてくれませんでした。」
私の母は、貧しさのため花のような青春の大部分を、紡織工場で仕事をして送りました。忙しく仕事をして食事の時間を逃し、いつも伸びたラーメンで空腹を満たしていたと言いました。だから、母はラーメンがすっかり伸びたうどんだと思っていました。暮らしがある程度安定し、やっとおいしくできた伸びていないラーメンを食べて、母は胸が押し付けられ悲しさに泣きました。その後、母にとってラーメンは2度と思い出したくない「貧しさの痛み」のようなものになってしまいました。
「ですが、何年か前に、ラーメンだというと匂いも嫌だと言っていた母が、ラーメンを食べたいといいました。」
母が子宮摘出手術を受けた直後でした。女性にとって子宮は木の根のようなものです。女性としての人生が終わろうとしている母は、再びラーメンを食べたがりました。もう、ラーメンは母にとって貧しい記憶ではなかったのでした。体も心も健康で夢も多かった頃に対する美しい郷愁であり、懐かしい思い出でした。母はずるずるという音までたてて汁までおいしそうに飲みました。
「世界で一番おいしいラーメンが何かとお聞きになりましたでしょ。私にとって世界で一番おいしいラーメンは、思い出の中の伸びてしまったラーメンです。」
私が言葉を終えると固かった面接官の表情に満足そうな笑みが浮かびました。
そうして私の初の職場がラーメンの会社になりました。
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秋田の言葉 7

2015-07-19 05:31:52 | 秋田
「あぺ」  または  「あっぺ」   (逆であること)

おめ ふぐ あっぺでね(あなた 洋服 裏返しじゃない、または前後ろ逆じゃないの)


あれ あだま あっぺだから (あの人 頭が 逆だから →頭が変だから)
というような使い方もする。



ついでに

「けど」 または 「けんど」 道路   けど みずさ ちかった (洪水などで道路が冠水すること)

「じぇんこ」 お金     じぇんこ けれ (お金頂戴)

「けり」  靴     こさ けり ぬげ (ここに靴を脱ぎなさい)

「ぼんぼ」  赤ちゃん、幼い子    まだ ぼんぼだもの (まだ幼いから)

「じゃんご」 田舎者   あいだけ じゃんごだもの (あの人は田舎者だから)

「がっこ」 漬物   この がっこ だえ こへだ (この漬物誰が漬けたの)



 
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幸福な世界 7

2015-07-19 05:25:16 | 韓で遊ぶ


健康おなら家族
2年前、私が癌の手術を受けた後、うちの家族にはおかしな習慣がひとつ生じました。
テレビを見ている時とか食事をしている時とか、いつでも互いに気にしないで「ブー」とおならをすることです。
うちの家族を、おなら家族にした主犯は他でもないにんにくです。
テレビで、にんにくが癌予防に良いというニュースを見て、うちの家族は生のにんにくを食べ始めました。すると、おならがしょっちゅう出て、おならからはにんにくの匂いがし始めました。匂いをかいだことがある人はわかると思います。にんにくのおならが息もできないぐらいひどいことを。一度嗅ぐと眠気が冷めてしまうぐらいです。ウンチをした後に芳香剤をまいても消えないぐらい匂いがひどいのです。
夫は重要な会議がある度、いつもおならが出そうになり我慢しようと大変です。
「う、どうしよう。出そうだ。黙って出してしまおうか。いや、ダメだ。我慢しなきゃ。この匂いをかいだら皆倒れて起き上がれなくなる。」
状況がこのぐらいになると食べなければと思うのに、夫は家に帰るなりにんにくを探します。
うちの家族皆が、おならに悩まされながらも、にんにく礼賛論者になったのは、それだけの理由があったからです。にんにくのおかげで夫の足に長らく寄生していた水虫菌がきれいにいなくなり、私の顔にゴマ粒のようにあったシミもきれいになくなりました。娘はと言えば、たっぷりついていた脂肪がなくなって健康な体になりました。
その中でも最も幸福な変化といえば、私が癌にかかって重く沈んでいた我が家に、笑い声が絶えることがなくなったということです。
「う!お父さん、今日のおならの匂い、自動車の煤煙よりもひどいわ。」
「お前のも、なかなかのもんだ。ははは。」
おならでストレスまで一発で飛ばしてしまう我が家は、別名「ブーブー家族」。歩いていても、仕事をしていても、授業を聞いていても、いつでも出そうなおならに、緊張する時も多いのですが、大丈夫です。家に帰ると気兼ねなく、音も聞いてくれ、匂いも嗅いでくれる愛する家族いますから。我が家は互いのひどい匂いまでも包み込んでやる力強い垣根です。
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秋田の言葉

2015-07-18 05:47:45 | 秋田
やっこ (乞食)

今ではほとんど見ることができないので、使うことがなくなり、死語になったかも
(秋田の言葉自体が死語になっているか
韓国へ行くとまだいますね。

乞食をあらわす名詞としての他に、

「わいやっこ「  わい」はびっくりした時よく使う感嘆詞でそれとあわせて使い、失敗した時に瞬間に出る言葉です。

「このやっこ  相手に対して怒った時に瞬間的に使います(このやろう」という感じでしょうか)。例えば、猫が魚を取って逃げたとかすると、「このやっこ」自分が失敗した時にも自分に大したも使うことがあります。

ちなみに

ほいど  1.いやしいこと、何でも欲しがって物にがつがつしている感じを表す。
       ほいどたげる(いやしい態度を取ること、何でも欲しがる。)
       ほいどたげるな(いやしいことをするな) 
 
     2、ものもらいのこと、
       まなぐさ ほいど でぎだ。(目にものもらいができました。)

がんど  上の1に似ている
     

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幸福な世界 7

2015-07-18 05:42:39 | 韓で遊ぶ


夢見る牛乳
朝早く、遠くから聞こえてくる耳慣れた車の音に、子供たちの目が輝きます。
「牛乳の配達に来ました。」
「牛乳配達のおじさん、おばさん、おはようございます。」
毎朝、両親のいない子供たちに牛乳を渡す二人は儀政府で牛乳代理店を営んでいるチョンカンヒョン、パクミスンさん夫婦です。両親の愛を受けることができない子供たちに、この夫婦の牛乳は母の愛と父の心のように優しかった。牛乳を飲んで健やかに大きくなっていく子供たちを見ると、心が豊かになる夫婦。夫婦が児童保護所と養児院に無料で牛乳を配達し始めたのは7年前からでした。
パクミスンさんは牛乳を配達する途中で、偶然におしめがたくさん干されている家を見つけました。
「この家には子供がたくさんいるみたいね。」
もしかして牛乳の注文を受けることができないかしらと思って入って行ったところは、児童保護所でした。すごく愛を受けたい年頃に両親から捨てられた子供たちが、一ヶ所に集まって暮らしていたのでした。家に帰って来ても、その子供たちのまなざしが忘れられず、彼女は夫と共に助ける方法を考えました。
「あなた、保護所にいる子供たちに牛乳をあげるのはどうかしら。」
夫であるチョンカンヒョンさんも妻の意思に心から同意しました。持っているものといえば牛乳しかなく、分け合うことができるのも牛乳だけ。それさえも助けになるという事実に夫婦は喜びました。
その日以後、夫婦は何と7年もの間、児童保護所に牛乳を配達しているのです。夫婦が1年に子供たちにあげる牛乳は500万ウォンに値する量です。事業に失敗して借金を背負った夫婦には決して小さな額ではありませんが、少しも惜しくはありません。牛乳にこめた愛情が一人の子供の夢になることを知っているからです。だから夫婦はより力を出して配達をしています。
いい匂いの牛乳を飲みながら明るく笑う子供たちを見ながら夫婦は知りました。本当の心がこめられた分け合いが幸福の始まりだということを。
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幸福な世界 7

2015-07-17 08:11:11 | 韓で遊ぶ


うちの町の空き地
うちの近所には家が取り壊されて空き地になったところが一ヶ所、何もされずに放置されています。
管理する人が誰もいないので、いつもゴミが捨てられ町の人の悩みの種でした。どうせ持ち主のいない空き地。うちの家族は、遊びがてらその土地にサツマイモを植えてみようと思いました。
農作業には門外漢ですが、関連する本を見たり、インターネットで検索をして、私たちはサツマイモを育てる方法を少しずつ覚え始めました。紆余曲折の末、青々としたサツマイモの茎が力強く伸び始めました。ところがある日、おばあさんが一人やってきました。
「サツマイモの茎がとても元気がよく育っているね。もしよかったら、茎を少し摘んでいったらだめかい。」
私たちは申し訳ないと思いましたが、おばあさんの頼みを断りました。根が元気になるためには、まず茎が元気でないとダメだという考え。情けをかけてサツマイモをだめにしたくはありませんでした。ですが、数日後おばあさんは、今度は家まで訪ねて来て頼みました。
2回も冷たく断ることもできず承諾しましたが、憎らしいことにおばあさんは、たくさんあるサツマイモの茎の中でも、太い茎ばかりを選んで摘んでいくではありませんか。それを見ていて腹が立ちました。それは娘も同じでした。
「お母さん、あんなことをしたらうちのサツマイモみんな死んでしまうんじゃないの。」
うちの家族は、おばあさんのせいで一生懸命作った畑がめちゃくちゃになったと、不満と泣き言を言っていました。ところがある日、お父さんがまだ知らなかった事実をひとつ教えてくれました。おばあさんの憎らしい行動に対する誤解を解いてくれる情報でした。
「これ、二人とも、この本をちょっと読んで見なさい。サツマイモの茎は根の栄養分を吸収してしまうとあるね。だから茎をまめに摘んでやらないと根がよく大きくならないって。」
私たちは良く知りもしないで、おばあさんを無条件に警戒して恨んでいたのでした。次の日の朝、うちの家族は、おばあさんが玄関前にこっそり置いていった靴下と手紙を1通受け取りました。
「おかげ様でサツマイモの茎を売って小遣いが増えました。本当にありがとう。」
そして明らかになった驚くべき秘密。
「その空き地は実は私の土地です。年をとって気力がなくなり、到底手を入れる元気が無かったけれど、ちゃんと畑にしてくれて本当にありがとう。」
おばあさんは、死んでいく土地に生気を呼び起こしてくれて、ありがたいと言いました。考えてみると土地を使ってもいいと許可をもらったのだから、むしろ私たちが感謝するのが正しいことでしょう。
私の町の小さな空き地には、おばあさんの気持ちに似たサツマイモが元気に育っています。
一緒にお隣同士の情と愛も育っています。
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秋田の言葉

2015-07-16 07:01:34 | 秋田
だんじゃぐこぐ(駄々をこねる)

似たような言葉には「ごんぼほる」があります。
子供などが何か買ってくれと泣きわめいているような時に使います。

だんじゃくごき 名詞化 (駄々をこねる人)
だんじゃぐこでる 進行形 
だんじゃぐこぐな 禁止

ちなみに「だんじゃく」+「こぐ」で「こぐ」をつけて動詞になっています。
「こぐ」がつくのは「うそ」「へ」があります。
うそこぐ(嘘をつく)
へこぐ(おならをする)


そして、だんじゃぐごげば(駄々をこねると)大概叱られますが、それでも言うことを聞かないで泣き続けると
「かだつっぱり」「かだつぱり」(強情な人)になります。
かたつぱるな 禁止
かたつっぱれれば 仮定
かだつっぱってら 進行形


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