その後、高校3年生になり秋には大学も決まりました。夏頃になると車選びも始めてきて、どんな車に乗ろうかな~なんて考えるようになります。近所に黒のエボ3がいた事や、須藤京一が黒のエボ3だった事も理由にありますが、ラリーの活躍は知っていましたのでランエボも魅力的な車であったのは当然です。
ランエボはラリーの影響ですが、黒という色は須藤京一や近所の人の影響といってもいいかしれません。あと市長の車を見て「黒かっけぇ!」と思っていたというのもあります(笑)
冬になってジャスミンとの奇跡的な出会い。当時GTOが欲しかったのですが維持費がバカ高いという理由でさすがに却下され、ふてくされて中古車を探していた矢先(15分くらい)に柏に黒のランエボ3があるという情報をキャッチ。すぐさま電話して翌日店に見に行く事にしました。
五所川原の中古車屋でR33のGT-S(NA)を見てからジャスミンを見に行く私と父。そこにはローダウンされ迫力があるエボ3。もし今日じゃなく明日だったらアメリカ輸出のオークションにかけられる寸前だったエボ3。どうせ乗るなら日本人の方が良いという理由でオークションに出さないで売ってもらいました。ありがとう店長(keibiさんのタイヤ交換をした人)。
話は中学時代に戻ります。
私は頭が良いワケでないので木造高校に入るにはちょっと厳しい点数でした。なので1年生の12月から現役弘前大学生(現在は県警)にお願いして家庭教師をしてもらっていたんですよ。数学と英語。彼も車が大好きで、私にとっては勉強の先生もあり、車の先生でもありました。さらには同じ西武ファンでもあったり。
当時としては車に乗るなんてまだまだ先の話。あれ欲しいな~これ欲しいな~なんて話をよくしてました。彼は普通のカルディナに乗っていましたがMT。やっぱり車はMTだぜ!というタイプ。そしてランエボ大好き人間。当時平成14年~15年(私の年齢は平成と一緒、わかりやすい)。
当時の彼は大学1年生~3年生。ちょうど私と同じ年齢。エボの最新型は7、そして8。「エボ最高だぜ~」みたいな感じでよく喋っていました。弘前大学付近の焼き肉モーモーでバイトして、週に1~2回私のところで勉強を教えてもらっていたんです。
「今はお金なくてカルディナ乗っているけど、将来はエボ乗りたいな~。そりゃ新しいエボの方がいいけど、本当にエボに乗れるんなら何でも良い!壊れるまで、動かなくなるまで絶対乗る!」
と言っていたのが忘れられません。
もちろん私もエボの魅力はありましたので、いつかは乗ってみたい車にランエボがあったのです。
その後、私は木造高校に推薦合格。木造高校の推薦はかなりの難関(一般はそこそこ)とされるのによく通ったものだと我ながら感心。毎日過敏性腸症候群になるプレッシャーの中頑張りました。先生、ありがとう。高校時代にはエボ9MRまで出ましたねぇ。
そして3年前。ついにジャスミンと対面。家庭教師の先生がランエボ好きだったな~という事を思いだしつつ購入。弘前大学に入学してカルディナ乗ってエボ欲しいな~と言っていた先生でしたが、青森大学ごときで最初からランエボな私。なんて贅沢な大学生活。でも超氷河期。
やっぱジャスミンを乗り換えるのは致命的な故障で買い換えた方が良いくらいまでになってからですねぇ。エボ9は魅力ですが、やっぱこういう過去や、ジャスミンとの出会いを考えるとまだまだ乗ろうと思います。
WRCに関してはですね
私のヒーローのマキネンが引退。後を追うようにマクレー、サインツの引退。これで黄金期のドライバーは引退。グロンホルムも2008年で引退。今はWRC史上最強のローブの時代です。
残念ながら、バーンズは病死。マクレーは引退後ヘリで事故死。マーチンはラリー中の事故でコ・ドライバー(ナビの人)を事故死させてしまい引退。ラリーを見るのが少し落ち着いていた私でもかなりショックを受けました。
今はかなり規模も小さくなってしまったWRCですが、久々にみても最高に楽しいので2010シーズンは積極的に見ようと思います。
それじゃまたロケの続きを更新しますね。