プレイバックシーン 珍しい474SP
474SP 関空飛来のオマーン政府専用機・・・(即位の礼参列にて来日した)
10月26日早朝、関空橋をリムジンバス車窓から・・・・当該ジャンボ駐機している
初めての機材です
オマーン・ロイヤル・フライト Boeing 747SP (A4O-SO)
関空の飛来目的は
2019/10/25 20:50神戸新聞 オマーン副首相、稲美を訪問 元国王夫人の墓参り (下記※)
2019.10.26
pm12:09 帰国 Boeing 747SP (A4O-SO)
※オマーン副首相、稲美を訪問 元国王夫人の墓参り
天皇陛下が即位を宣言する「即位礼正殿の儀」に出席するため来日した、中東・オマーンのアスアド副首相兼国王特別代理らが25日、王族ゆかりの地である兵庫県稲美町を訪問した。元国王夫人で、神戸でブサイナ王女を産んだ清子・アルサイド(旧姓大山)さんの墓に、同国関係者約10人が花を供えた。約40年前には同王女が来町しており、今回は副首相らが墓参りした。
清子さんは1935(昭和10)年、カブース現国王の祖父であるタイムール元国王と神戸で出会った。恋に落ちた2人は翌年結婚式を挙げ、ブサイナ王女(日本名は節子)が誕生したが、39(昭和14)年に清子さんが病没。元国王は清子さんの母の出身地である稲美町に墓を建て、王女を連れて日本を離れた。王女はオマーンで王族の一員として育てられたという。
この日午後12時半ごろ、アスアド副首相らが、古谷博町長らと同町中村の大沢公園墓地を訪れた。ハンチング帽姿のアスアド副首相は、清子さんの親戚で墓の世話を続ける同町の杉本浜子さん(74)とともに、線香をあげるなどした。
帰り際に、別れを惜しんで同副首相と抱擁した杉本さんは「遠くからわざわざ来てもらい、うれしかった。お墓に『清子さん、良かったね』と心の中で呼び掛けた」。約40年前にはブサイナ王女とも会っており、「(当時)『もう一度来たい』と言われ、再会を待ち望んでいたが、かなわないのは残念」と語った。
オマーン国大使館(東京)によると、ブサイナ王女は同国で健在。次期国王候補の一人とみられているアスアド副首相は現国王のいとこで、王女のおいに当たる。(切貫滋巨)
✳️ボーイング747SPに纏わるコラム記事
◉「ずんぐりむっくりジャンボ」ボーイング747SP どうしてこうなった 短胴で思わぬ功績」
(2019.12.18 乗りものニュース編集部)
「ジャンボ」ことボーイング747シリーズで、コンセプトに逆行した「短胴型」が1モデルだけあります。なぜこのような形をとったのでしょうか。製造数は少なめですが、そののちに引き継がれる功績もあったようです。
明らかにルックスが異なる「ジャンボ」 なぜ?
日本でもなじみ深い機体「ジャンボ」ことボーイング747シリーズは、その大きな胴体で多くの人を乗せられるのが強みですが、ひとつだけそのコンセプトに逆行した異形のモデルがボーイング747SPです。
ボーイング747SPの特徴は、基本シリーズ(747-8以外のシリーズ)より約14m短い胴体にも関わらず、ほかのシリーズより垂直尾翼、水平尾翼が大きいこと。本来の「ジャンボ」のルックスとは、明らかに違うものです。
日本でボーイング747SPを導入していた航空会社はありません。成田空港などでは、かつてイラン航空などの同型機が飛来する程度で、日本人には「馴染みのないジャンボ」でした。
このような形状となったのは、燃料の搭載量をそのままに、胴体自体を短くし、軽くすることで航続距離をあげ、それまでより長距離飛行を可能にするためです。胴体を短くした影響で、舵の効きが従来より悪くなるという懸念への対策として、ふたつの尾翼はむしろ大きくなっています。
軽量化や翼など部分的なアップデートはあるものの、そのほかについては、胴体は主翼前後の部分をそのまま詰めた形で、「ジャンボ」の基本的な仕様を踏襲。これは、共通化することで設計変更のコストを下げるためと言われています。
製造機は少な目 しかし現代にも残る「747SP」の思わぬ副産物!
747シリーズの初期型である747-100型の航続距離は8890kmでしたが、ボーイング747SPは、それよりも1500km以上長い1万656kmの航続距離を持ちます。パンアメリカン航空に納入された初号機は1976(昭和51)年、アンカレッジ(アラスカ)経由が一般的だった東京~ニューヨーク線で直行便を就航させます。「SP」の意味する「スペシャル・パフォーマンス」なデビューです。
しかし747SPの製造機数は、45機とそう多くはありません。そののち、1983(昭和58)年、基本系「ジャンボ」の形をそのままに、燃料タンク容量増加とエンジン変更で航続距離が延長した改良型の「747-200B」が登場すると、同じくらい(厳密には-200Bが多少上回る)の航続距離でありながら、人は多く乗せられない747SPの需要は衰退します。
しかし、この747SPのシルエットは、そののちのシリーズにも引き継がれる、思わぬ副産物を生み出します。
同機の形は、「ジャンボ」の特徴である2階席のコブ(アッパーデッキ)はそのままに、一階の部分にあたる胴体を短縮したものでした。つまりコブと垂直尾翼の距離が、従来のモデルより近いのです。この形状が巡航中、空気抵抗を減らす効率的な形であることが判明しました。
この結果に基づいて、コブを伸ばすことで、同様の効果が得られるのではと開発されたのが、アッパーデッキ延長型の「747-300」です。この長いコブの「ジャンボ」は、ベストセラーの「ハイテクジャンボ」こと747-400や、最新型の747-8にも引き継がれています。
✳️747SPについて
ボーイング747-SP(Boeing 747-SP)は、アメリカのボーイング社が開発した大型旅客機、ボーイング747の派生モデルの一つ。胴体を大幅に短縮して重量を減らし、さらに翼を改修することで航続距離性能を向上した。これにより座席数は犠牲となったが、世界初の東京-ニューヨーク間の無着陸直行便に就航する。なお「SP」は「Special Performance」の略。
開発の経緯
1970年に就航したボーイング747は、そのキャパシティは他に追随するものがなく旅客航空の新しい時代を切り開いたが、日本とアメリカを結ぶドル箱路線である東京とニューヨークを無着陸で結ぶほどの航続距離性能はなく(当時そのような航続距離を持つ旅客機は存在しなかった)、パンアメリカン航空や日本航空、ノースウエスト航空など同路線に就航していた各航空会社は、ボーイング747やマクドネル・ダグラス DC-10などで、アンカレッジやサンフランシスコ経由で飛行することを余儀なくされていた。
これを受けて、ボーイング747のローンチカスタマーでもあるパンアメリカン航空のファン・トリップ元会長が、ボーイングやロッキード、マクドネル・ダグラスなどのアメリカの大手航空機製造会社に、東京-ニューヨーク間、ニューヨーク-テヘラン間の無着陸直行便の就航を目的とした機材の開発の依頼を行った。
この依頼に応えてマクドネル・ダグラスは、DC-10の航続距離延長型の「ER」を開発することを明言し、これに対抗してボーイングのジョー・サッターが、標準型の-100型/-200型を短胴化して重量を低減することにより、航続距離の増大をはかったモデル「ボーイング747-SB(Short Body=短胴型)」を開発することとなった。
ボーイングが航空会社にヒアリングを行った結果、パンアメリカン航空以外からも発注が得られる手ごたえをつかんだことで1973年に開発がスタートした。ローンチ・カスタマーはパンアメリカン航空で、同年の9月10日に発注した(同社は最終的に11機発注した)。その後開発が進められ、1975年5月19日にロールアウトし、同年7月4日に初飛行した。
1976年3月5日にパンアメリカン航空向けの1号機「Clipper Freedom(N531PA)」が納入され、4月25日に世界で初めての、東京-ニューヨーク間の無着陸飛行便に就航した。この無着陸直行便の就航により、アンカレッジ経由での運航を行っていた日本航空とノースウエスト航空のライバル2社は大打撃を被った。
しかし、既にボーイング747-100や-200を導入していた日本航空とノースウエスト航空は、機体の短縮により座席数が276席(エコノミークラスとファーストクラスの2クラスの標準仕様)と標準型に比べ大幅に減ったことから収益率が悪化することを嫌い、-SPを発注することはなかった。
だが、同じくボーイング747-100や-200を導入していたトランス・ワールド航空やブラニフ航空、アルゼンチン航空や大韓航空などは、超長距離路線を運航するために-SPも購入した他、チャイナエアラインや南アフリカ航空、中国民航やエル・アル航空も、近隣諸国との間の対立を抱え、近隣諸国の上空を大きく迂回して運航しなければならないなど、様々な政治的状況により超長距離路線を運航せざるを得ないために早期に-SPの導入を決めた。
なおイラン航空は、-100や-200で無着陸飛行できないような超長距離路線の運行の予定がないにもかかわらず、皇帝で飛行機マニアとして知られるモハンマド・レザー・パフラヴィーの一存で購入を決定した。また、ボーイング747-100や-200では需要に対し座席数が多過ぎると判断した上、コンビ型を導入するほどの貨物搭載量も見込めないシリア航空やモーリシャス航空なども導入した。
1985年には、当時のマラウイの独裁者ヘイスティングズ・カムズ・バンダのイギリス訪問の目的だけのために南アフリカ航空より同機が短期リースされ、エア・マラウイの塗装に塗り替えられて大統領専用機として利用された。
世界最速記録
また、パンアメリカン航空のボーイング747-SPが、1976年5月1日から3日にかけて、ニューヨーク-ニューデリー-東京-ニューヨークの世界一周飛行を行い、46時間46秒の世界最速記録を作った。
生産停止
しかし、1980年代半ばに日本航空がニューヨーク直行便専用に発注したボーイング747-200Bの高性能型(パワーアップしたエンジンの搭載と燃料タンクの追加により最大離陸重量を引き上げたモデル)が出現し、風向きによっては搭載量を減らさなければいけないものの、なんとか東京-ニューヨーク間の無着陸直行便が可能になり、以後他の航空会社も購入を始めたことで受注が減少した。
さらに航続距離が長く2人乗務が可能なボーイング747-400の開発を開始したことにより、1989年に正式に生産中止となった。ボーイング747の主な分類(製造中止分)では、日本の航空会社からの発注が一機もなかった型式である。なおイラン航空は、2011年まで747SPを東京への定期便で運航していた。
中古機市場での人気
生産は中止されたものの、ボーイング747-100/-200/-300程のキャパシティを必要としない超長距離路線の運航機材を必要としたナミビア航空やアメリカン航空、ルクスエアなど多数の航空会社が中古機として導入した他、バーレーンやオマーン、カタールやカザフスタンなどが政府専用機として中古機を導入した。またサウジアラビア政府は、サウジアラビア航空の中古機を改修して王族専用機として使用している。
機体の特徴
最大航続距離が12,325kmとボーイング747-100や-200と比べ格段に長く、1989年にボーイング747-400が出現するまでは、世界の旅客機の中で最大の航続距離を誇った。
全長が56.31mと他のボーイング747の各モデルに比べて重量軽減のために大幅に短縮されており、併せて短胴化によるモーメントアーム減少への対策から、垂直、水平尾翼とも翼端を各1.5mずつ延長しているために、外観が他のボーイング747シリーズや他の旅客機に比べて大幅に異なる。また、フラップは在来型とは違いシングルスロッテッドで下翼面のフラップトラックがない。
なお、胴体を短縮したが2階席を短縮しなかったことが副次的に機体にエリアルールにより則する形状をもたらし、最高運用速度がマッハ0.92(1095 km/h)、最高巡航速度マッハ0.88(990 km/h)に向上した。ボーイング社自身もこの予想外の効果に驚き、ボーイング747-300などのSUD(「Stretched Upper Deck」2階部分延長型)開発へとつながっていった。
主なカスタマー
航空会社
パンアメリカン航空
トランス・ワールド航空
ブラニフ航空
アメリカン航空(中古機を購入)
ユナイテッド航空(パンアメリカン航空から太平洋路線とともに引き継ぐ)
アルゼンチン航空
チャイナエアライン
マンダリン航空(親会社のチャイナエアラインから引き継ぐ)
大韓航空
中国国際航空(中国民航から引き継ぐ)
カザフスタン航空
イラン航空
イラク航空
シリア・アラブ航空
サウジアラビア航空
イエメン航空(中古機を購入)
エル・アル航空
コルセール・インターナショナル(中古機を購入)
ルクスエア(中古機を購入)
モーリシャス航空
南アフリカ航空
アライアンス航空(提携先の南アフリカ航空から引き継ぐ)
エア・マラウイ(中古機を購入)
ナミビア航空(中古機を購入)
カンタス航空
オーストラリア・アジア航空(親会社のカンタス航空から引き継ぐ)
政府専用機
機体の小型化、そしてそのために航続距離が長くなったことを生かし、産油国をはじめ多くの政府が政府専用機として使用している。なおその多くにBAEシステムズ が開発した「AN/ALQ-204マタドール」などの対ミサイル防衛装置が装着されている(エンジンとAPU後部)。
ブルネイ
バーレーン
サウジアラビア
アラブ首長国連邦
オマーン
イエメン
カザフスタン
その他
ラスベガス・サンズ
グローバル・ピース・アンバサダーズ
★オマーン