京都国際会館の館内ツアーとランチを終え、洛北・鷹峯にある名刹を訪ねました。
先ずは島原の名妓の誉れ高い吉野太夫ゆかりの常照寺です。
帯塚です。
山門を入ってすぐ右側にあり、昭和44年に"昭和の小堀遠州"との誉れ高い名作庭家・中根金作氏により作庭された庭園です。
春の桜・新緑、秋の紅葉と見応えたっぷりの日蓮宗寺院です。
ご住職ご夫妻は非常に親切な方でいつも気持ちよく受付をされています。
この日も本堂で「美の京都遺産」のDVDをつけてくださいました。
懐かしく拝聴させて頂きました。
鬼子母尊神をお祀りしているお堂です。
日蓮宗のお寺にはよくお祀りされています。
鬼子母神は、もともと子供を殺して食べる悪鬼でしたが仏の教えに改心し、子育てや子授けの神として信仰されるようになりました。
吉野太夫ゆかりの茶室・遺芳庵です。
大きく取られた大丸窓(吉野窓)が特徴で、まん丸では無く下が欠けています。
"世の中には完全なものは無い"との想いを表しています。
吉野太夫のお墓です。
吉野太夫が慕い帰依した開山・日乾上人廟の裏手にあります。
吉野太夫は和歌や連歌、俳句などの諸芸にたけた名妓てして知られ、本阿弥講演の縁故により日乾上人に出会い帰依します。
寛永5年には朱色の山門(吉野門)を寄進しています。
やがて夫となる灰屋紹益と出会い結ばれます。
しかし、寛永20年に吉野は38才の若さで病没してしまいます。
悲しみに暮れた紹益は吉野の遺骨を砕き飲み干したと伝わります。
おふたりのロマンスは後世に演劇や歌舞伎に戯曲化されています。
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