なぜ私が宇部にいたのか・・・父親が炭鉱の附属病院に勤めていたのです。
宇部は炭鉱の町でした。その宇部を作ったのが「宇部興産」・・・
創業者・渡辺祐策・・・
翁を記念して作られた公園の中にすごい銅像が建てられています。朝倉文夫作。
市民皆がお金を出して作ったんだそうです。宇部の大恩人。勿論、亡くなって久しい・・・
その子孫を訪ねたのです。どんな豪邸か‥興味津々
庭は広いけど普通のお宅ですね・・・あれって感じ。
ひ孫の方にお話を伺いました。77歳だそうですが気さくな方でした。
石炭は掘りつくしたら終わりだ・・という考えでセメント工業や化学工業など積極的に事業展開し、同時に利益は市のインフラ整備、教育などへつぎ込みました。
子供も孫もお医者さんなんです。京都大学医学部卒・・
実業家で医者というのも珍しい。
そんな経緯もあって炭鉱附属病院(同仁病院)は、山口醫専の母体になるのです。二代目は、多くの株を手放して医学教育にあてるのです。
今でも各種の財団を作って文化、教育を援助しています。すごいですね・・
ですから、御殿は作らなかったのです。
質素ながらそれなりに贅をこらして・・床の間には横山大観の軸が二幅
現在、宇部興産とどういう関わりがあるか聞けなかったけど・・・
その宇部興産、この4月、社名変更しました。UBE(ゆーびーいー)と・・
やはり企業活動優先なんでしょうね。
なにかさびしい・・・
渡辺祐策(すけさく)を知る人も少なくなってるらしい。
宇部のまちもなにか元気がないような・・・・地方都市の厳しさを感じました。
遠くからエールを送るだけ・・・
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