先日、思いがけない縁で、山口放送の電話インタビューで宇部大空襲の思い出をしゃべりました。
そしたら、宇部で空襲の慰霊碑保存運動をしている岡本さんと言う方から立派な本や資料が送られてきました。放送を聴いたのだそうです。
これは、1995年に刊行された、当時の空襲を記録した314ページもある立派な本です。昭和20年(1945年)に集中的に爆撃を受けています。そして、その時、私は宇部にいたのです。
私が一番記憶にあるのが、7月2日未明の焼夷弾による爆撃です。そして、この写真が、その時、米軍の機上から映した宇部市街の火災の写真です。
ですから、この時、わたしは、この下にいたのです。家にも不発の焼夷弾が落ちました。大きな鉛筆というイメージでしたが、今回の資料の記述にぴったりでした。
そして、朝、近所を見て回ったら、馬が吹き飛ばされて電線にひっかかっていました。街中のはずなのに、なぜ、馬がいたのだろうと思っていました。
そしたら・・・
そしたら、頂いた資料の中に翌年(1946年)米軍調査団が写した宇部市中心街の写真がありました。馬が二頭写っています。荷車を引く馬です。馬がいたんですね・・・。
そして、私が見た町の光景は、これに近いものでした。
頂いた『宇部大空襲』の中にたくさんの体験記があります。あのとき、私と一緒にあそこにいたのだと思うと特別な思いがあります。
でも、殆どの方が十歳以上うえなので、故人になってる方が多いかも・・・
庶民の記録を残すのは大変大切なことです。
百年後、ブログに残ってるはずの膨大な記録はどうなってるんでしょうかね。
かえって、今の時代の物はなんにもなくって、謎の空白時代なんてなってるかも・・・
・・・