戦後の混乱期とはいえ、こんなことがあったのです。昭和23年のことです。
戦後の占領下にあって、GHQが全国の試験研究機関の整理統合を図ります。
牧之原には、3キロの距離を隔てて国立と県立の茶業試験場があります。どちらか一方を廃止するように勧告が出されます。
当然、規模からしても国立が優位です。
しかし、他の生産県に試験場があって、全国一の静岡県に試験場がなくなることは、県民が許しません。そんなことから、突如、静岡県知事が県立を存続させて国立を廃すると言い出すのです。
当時、国立の職員は86人(臨時雇いも含む)、それに対して県立は24人。
国立の職員をみんな県が引き受けるというのです。
国立が担っていた研究もすべて県がやるというのです。勿論そのための予算も付けると・・・
驚いた国立試験場は急きょ職員を動員して、周辺町村や団体に支持のための陳情を行います。
上のものが、そのときの資料の一部です。当時の粗末な紙に謄写印刷されています。判読困難な部分もあります。
県が強硬なため、らちが明かず、翌年(24年)早々に、本部からも関係者が来て会議が開かれるのです。資料はその時の出席者を記したものです。
県は、県内参加者に有利な発言をするように事前に言い含めます。そのことを国立茶試の資料では、暴いているのです。あれやこれや、これらの資料は小説以上の面白さ・・・
結局どうなったか・・・・
翌日現地視察をします。一目瞭然・・・・
県立試験場は廃止! 指導所になります。(昭和32年に復活)
いま、このことを知る人は殆どいません。
手元の資料がなくなれば、永遠に歴史の闇に消え去る出来事です。
このような歴史を知ることにどのような意味があるのでしょうか・・・
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