100年前というと大昔って感じですが、大正時代ですね。
大正十年(1921年)、茶業試験場技師(技師は試験場に一人しかいない大変えらい方なんです。中国の「書記」と同様に今のイメージとは違います)が、約一カ月間九州へ茶業指導に行ったときの復命書の下書きが手元にあります。
カナ交じり文なので読むのが大変でしたが、一応判読。
こんなことが書いてあります。
小官の視察せし福岡、熊本、鹿児島、宮崎、大分の各県の茶業は、静岡県等の先進地に比較すれば著しく幼稚にして茶園は極めて少なく、主として畑地の畦畔に栽植せる茶樹又は天然の山茶を利用するのみにして、しかも一番茶の摘採のみにして止むるもの多き・・・
ただ、最近、茶業に対する関心が高まり、講演を聞くために50キロの遠方からもやってきた人がいたとか・・・勿論徒歩ですね。小学生も聞きに来ています。
貴重な資料です。
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