天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

「記憶 3月11日 HAND DOWN 東北」の講演についての(公式の)お礼  その2

2016-04-16 19:15:07 | 読書ノート(天道公平)
 4月14日、午後9時半ごろ始まった、熊本の群発地震により、今日もまた、大分県に拡大した、神経戦のような、余震・本震の波状攻撃に耐えています。
 熊本、中九州の方々の苦衷(犠牲者37人、避難者9万8000人)は申し上げるまでもありませんが、私の住所は山口県であり、この広範な地震の影響下にありながら、連続する地震の頻発に、今後がわからぬまま、テレビに釘付けのような状況にあります。
 今、震災下で罹災し、避難されている方々の不眠の状況とその不安と苦痛を思いやると共に、地震の鎮静を願っています。
 実際のところ、誰が自然災害に出くわすのか、わからないのです。

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「記憶 3月11日 HAND DOWN 東北」という文集を読ませていただいたこと及び講演についての(公式の)お礼   その2
                                 H26.11.6
 S Y 様    
 S A 様

 このたびは、私たちの行事に協力していただき、また遠いところから、わざわざ山口まで来ていただき、本当にありがとうございました。
 このたびの、研修会に参加した多くの人たち、殊に、こどもたちは、あなたがたの話に深い印象と感動を受けたことでしょう。

 私も、私の受けた感動と印象を申し述べさせていただき、勝手ながら、お礼の言葉にしたい、と考えています。したがって、これは、仕事ではなく、個人的な考えになります。場合によっては、あなたたちと、見解が違うかも知れません。それは、率直な気持ち、ということで理解していただきたい、と思います。また、ひょっとすれば、私とあなたたちとは、体験の差や、気持ちの行き違いや、齟齬(そご)があるかも知れませんが、私の考えたことを、率直に、勇気を持って、私の責任で申し上げたいと思います。
 あの2011年、3.11以降、当時の私の個人的な感覚として、東京以北と、東海道以南と日本列島が大きく分断されたように感じました。その違和感と、災害の実態のわからなさについて、当時、強い焦燥感に駆られ、マスコミ報道とともに、3.11後の状況に対する、普段私が敬意を払うような学者や知識人(?) の発言を必死に探したよう思います。その衝撃と焦燥の気持ちは、ボランティアに行かないまでも、日本中の、多くの人々も同様な経験であったのではないかと思います。
 今でも、印象に残っているのは、村上龍の発言と、吉本隆明の発言です。
 彼らの発言を含め、このたびの多くの発言は、大震災を引き金とした、福島原発事故にかかわるものでした。それ以降、個々の被災の状況の差異は忘れ去られ、過剰な意味合いとバイアス(偏った見方)をつけられてしまいましたが、いま、私の立場を鮮明にすると、外国紙の報道(イギリス)だったと思いますが、私も同様に、「自然災害(大地震)を原因とした原発事故」、だと認識しています。これは、本題とは別ですので、これ以上触れません。

 また、私は、姉妹都市の縁で、2011年8月に福島県のいわき市に、災害ボランティアとして派遣されました。私のみた被災地は、沿岸部の甚大な被害と、一部地域の家屋被害であり、一番深刻なのは放射線汚染(?) による農作物の風評被害でした(当時、消費しない関東圏の人たちの代わりに憤激に駆られた私は福島産ももをたくさん買い込みました。6個も7個も入った桃の箱がたった千円ですよ。現地の農業者の代わりに怒ります。)。また、東京都下で、福島ナンバーの車が、忌避されたり、いたずらされたり、福島県出身者には、アパートを貸さないなどの、卑しい振る舞いのことを聞いたこともあり、改めて、都会の人間の利己主義とそれを恥じない傲慢さに腹立たしい思いをしました。

 現地の職員には、暖かく受け入れていただきましたが、彼に言わせると、妻が子供を連れて、東京の実家に帰り、そのままになっている、などと笑えない話もあり、非常時の際の人間の対応や態度について、何が正しく、何が間違っていたのか、と、今でも思いをはせるところです。当時、私の現地での仕事は、個々の家の損害度合いの判定を補助するような仕事でしたが、地元では「わざわざそんな遠いところから・・・」と感謝の気持ちと、心からのお礼の言葉をいただき、仕事ながらありがたく、しばらくない仕事を通じた充実を感じました。その体験を経て、当初手あげ方式で義務的に募集のあった当該ボランティアに、その後何度も応募する職員もおりました。

 しかしながら、激震地の被害の大きさと、その体験の衝撃の度合いなど、このたびの、あなたたちの手記で読んだ津波による激甚な被災地の状況とはまた違っており、それぞれの、被災地域での〈差異と落差〉についても、地区地区で、それぞれこうも違うのかと、色々思うところがありました。
 その体験の大きさに応じて、Sさんたちが、今回(2014年2月1日)自己体験を語ることができるようになるまで時間がかかったことは、手記の中でそれぞれ触れられ、よく得心がゆきました。
 今でも、政治レベルで、国・県の復旧支援が停滞し、実効ある支援がいまだに行われていないこと、非日常がいまだに日常になっているような被災住宅などは、大変お気の毒だと思います。
広い東北のそれぞれで、様々な人が被災し、様々な被害と、それぞれ異なった体験と、それぞれの苦闘があり、それが現在の状況でもあることを、私たちは忘れてはならないと思います。(被災地の瓦礫受入れに係る他地区住民の卑しい行為も)
 また、手記を読むにつれて、宮城県石巻市に在住し、被災した、Sさんたちは、地形的に津波で大きな被害を受け、様々な人が被災し、様々な被害と、それぞれ異なった体験として、家族の死に遭遇し、家や財産、生活の根底を失っています。そして、それぞれの進路や人性を、生きのこった家族や周囲と折り合いをつけながら、厳しい〈日常〉に帰っていったことがよくわかりました。その、悲しみと、喪失感を、文章として確認(客観視)するには、相応の時間が必要だったのでしょう。
 3.11当時、私が、テレビで被災後の現地の中継を見ていると、生き延びた人たちがまず最初に必死で行ったのは家族の安否の確認であり、時間が経ち、それが叶わなかった場合は、被災地での瓦礫の中での懸命な遺体の捜索でした。それは、とてもよくわかる行動で、全国でも被災地以外の多くの家族が、身につまされて、その映像を見守った筈です。
 人間は、身内の死を、死として認識し納得できなければ、先に進めない存在であり、また、同時に、人間は、他人の悲惨を、自らの苦しみ、悲しみとして受感し、共有することができる存在でもあるのです。

 ご存知でしょうか、Sさんたちの体験の「記憶」の記録が、私には、長崎の被災地でアメリカ人の軍属によって撮影された、「火葬場の少年(ジョー・オドネルさんの写真)と重なってしまって仕方がありません(毎年、私は、敗戦と、戦争で最初に苦しんだ女性や子供たちなど尊い犠牲者を忘れないように、この写真を8月の壁紙にします。)。
 あなた方も、彼も、若くして、理不尽な肉親の死に立会う、厳しい運命です。私が考えるのに、あなたたちにとって、一番大きなことは、いかにして、それぞれが肉親の死を受け入れたかということと思えます。S Yさんの体験、S Aさんの体験、いずれも過酷で、重いものです。そしてその自らの痛みと悔恨と、母の死を、身内の死を、受け入れ、鎮魂のために手記を書いているのがよくわかります。

 「火葬場の少年」は、おそらく原爆を原因にするものでしょう、死にわかれた両親、家族の代わりに、死んだ妹を背中に負い、火葬場につれてきました。類比して考えれば、大地震と、敗戦と、それぞれ、理不尽な暴力の中で、被災したのです。

 私は、以前から、家族の〈意味〉と〈役割〉というものを、ずっと、考えています。
 ヘーゲルというドイツの哲学者がいます。
 彼は、まず、家族の本質については「愛の直接性」ということをいいます。
 それは一対の自由な男女が、成熟し、出会い、結婚し、子どもを持つという過程(相手を思いやり自分を犠牲にして相手に尽くす相互の行為)を通じてお互いの人格を陶冶(とうや)し、愛を持って子供を育て、子どもはその無償の愛に応えて、将来家庭を持つことで、人間の世界(社会)は続いていくという人倫のサイクルをいいます。
 もう一つ、ヘーゲルには、家族について、重要な「人間の掟」と「神々の掟」という言葉があります。「人間の掟」を「国家(社会)の掟」とするならば、もう一つの大きな家族の役割は「神々の掟」であると言っています。(それは「義理」と「人情」のように相矛盾することもあります。これらの
挿話はヘーゲルの精神現象学の「アンチゴネー(ギリシャ悲劇に題材を借りたもの。とても素晴らしい部分です。)」に関するものです。「ヘーゲル・大人のなり方」(西研)NHK出版、がとてもお勧めです。)
 「神々の掟」を解釈すれば、「埋葬の義務」のことです。「家族は、その一員の死体を、自己意識を持たない自然の意志のままに放置せずに正しく葬ることによって、死者に「人間としての尊厳」を付与しなおすという使命と役割を最初からもっている、なぜなら性愛的な結合やそこから生じた親子関係にもとづく情感の交感と共有とは、「やがては、ばらばらに死すべき存在」としての個々の人間身体のあり方をたがいに深く気にかけるということとほとんど同義だからである」(小浜逸郎「エロス身体論」からの引用です。)と、いうこととなります。
 もう少し具体的にかいつまんでいえば、「家族は、もし離れていたとしても、お互いに気遣い合い、思い合い、訪問し合い、気持ちの様々な交流を続け、もし、最後に家族の誰かがなくなれば、葬儀を行い、獣や動物に襲われないように埋葬し、その存在( 魂?)を祖霊のもとに返していく」というこ
とです。これを家族に課された「神々の掟」といい、「人間の掟」(現世の法律とか道徳)より上位に当たる、個々の家族に託された人間の長い歴史の中での尊い重い役割のことをいいます。
 「愛の直接性」で結びついたはずの家族は、互いに睦みあい、慣れ親しみ、互いに思いやり、気持ちの交流を持ちます。そして不意の死があり、理不尽にまた不条理に別れた残された家族は、個々に自分で家族の死と別れの意味を考え、受け入れ、祖霊のもとに、彼らを送らなくてはならないのです。
今の年になって実感しますが、これは本当に大事なことです。実際のところ、私も、老いてしまい、家族を想いながらも、自分の残年数(?) を数えています。自己と、身近な人間の死を想い、思いやり、たぶんその時に初めて、「死」から見た私たちそれぞれの人性の意味が照射されるのです。

 また、私が聞いた話では、東北には、「津波てんでんこ」ということわざがあるそうですね。我流に解釈すると、天災のときは、それぞれなりふり構わず一人で逃げて、とにかく生きのこったやつがまたやりなおせよ、といったような意味となります。なお、それは、同時に、家族も同様に行動していると信頼の上でのこと、であるとも聞きました。
いざというときはどうしようもないかも知れませんが、生き延びたことは少なくとも価値です。個人的にいえば、私より若い人が生き残るのは、それだけで価値です。
 Sさんたちとは世代も生活史も違いますが、私の理解しているかぎりでは、〈一般的に〉いうと、東北地方は、自然も支配も過酷な地域でしたから、飢饉 や中央政府の制圧など、悲惨な歴史はいくらもあるでしょう。(このたびも「なぜまた東北なのか」という声もありました。)しかし、生き延びた人間とすれば、どんなに厳しい現実が残ったとしても、希望をもち、自己を肯定しなければ、生きていけないのではないかと思われます。私たち個々の体験(人性)は他人に置き換えられない、まぎれもなく尊いものです。

 皆さんの手記を読んでいるうち、中には、この体験を世界に発信しなければならない、というような文章もありました。
 しかし、現在の世界を考えれば、悲しいことに、天災のみならず、戦争や政治や宗教や理不尽な人為的な暴力によって招き寄せられる、死や、悲惨な現実はいくらもあることです。あらゆる体験は本当に個人的で、容易に他者への拡散を許さないのです。誤解を恐れずにいいますが、身につまされ他者の苦悩を理解できるのは同様な体験をしうる可能性のある人と他者の痛みに触れることのできる「想像力」のある人だけなのです。
 あえて年上の人間としていわせてもらえば、それよりは、自分で、自分の体験を深く想い、現在の立ち位置に踏みとどまり、〈自分の〉未来を見すえ、生きていく希望と勇気を持つことを望みます。
それが、亡くなった人たちの死を悼み、親族以外の死者をも〈正しく〉葬る方法であるようにも思えます。それが、文集を編ずることかも知れません。
 皆さんの、真摯で、切実な取り組みが、皆さん自身に前向きの勇気を与え、そして、この取り組みが、手記を読んだ皆に、若い感動と、彼らが未来に立ち向かう勇気を与えるように祈っています。
このたびは本当にありがとうございました。

               天 道 公 平

追記  私は、趣味のクラブ活動で英会話をやっていますが、この手記に英文があったので、うちの英語の先生に見せましたが、彼女は強い印象を受けたようです。その時聞きましたが、ハンドダウンのコノテーション(言外の意味)というのは、手を挙げる気力もない、呆然とする、手をつかねるというような意味だと言っていました。それでいいのか、また、教えてください。