天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

NHK Eテレ 「シャキーン」の面白さについて

2016-04-28 20:22:51 | 映画・テレビドラマなど
朝7時から、朝のゴールデンタイム(?)、Eテレの強力ラインナップとして、朝の支度をしながら、横目で見ている興味深い番組として、「シャキーン」をほぼ毎日続けています。
 この番組は、「こども向けお目覚め番組」として位置づけられており、しゃべる樹木のジュモクさん、電子映像の羽の生えた猫のネコッパチの二人の不動のキャラクターに加え、その他MC(番組進行役)は、昨年4月から、めいちゃん(小学校中・高学年くらいですか)という利発そうな女の子が務めており、また、特筆すべきは、モモエ(年齢がつかみにくいが、たぶん女の子でしょう。)というトリックスター(かきまわし役)が登場したことです。この試みは、確かに新しいものでした(感心しました。)。
 この番組は、朝の子ども向け「シャキーン」というお目覚め番組ということになっており、もともと、間違い探しのお遊びから、知能クイズなど、こども向けの、遊びと教養番組のようなものを目指しているようですが、あにはからんや、なかなか、それだけにとどまりません。年齢・世代を超えた、ゲームの実験のようなもの(?)まで登場し、飽きさせません。ときどき、製作者も思考実験として楽しんでいるんじゃないか、と思える時があります。他の、Eテレの同種の番組と同様に、必ずしも、こどもたちだけでなく、その両親、祖父母まで射程においているようです。実際のところ、Eテレの「日本語であそぼ」の「恋そめし、われ」の視聴者参加の大人のダンスの投稿も数多くありましたので、視聴者の年齢の幅も、支持する層も大きく広がっているのでしょう。
 メイちゃんの衣装も、ジュモクさんをイメージとして、森の中に棲む女の子をイメージしたような緑の帽子などの衣装を着ていますが、特に目立つのは、モモエの衣装です。彼女は、全身をすっぽり、真ピンクの着ぐるみやタイツのようなものをまとい、その顔をハスの花びらで覆われたような頭巾(かぶりもの、私はももの和菓子を連想してしまいます。)を被った太めで豊頬(ほっぺたが豊かで赤い)の女の子です。
上流志向らしく、精一杯背伸びをし、「おーっ、ほっほっほ」とほおに手をあて、かん高く、上品に笑います。平凡が嫌で、月並みや平凡な社会通念を嫌悪し、他のMCたちに反抗します。ま、いじめの標的(?)になりそうな存在です。着ぐるみなので様子がわからず、最初は男の子かなとも思いましたが、どうもやっぱり女の子らしく、年齢は、小学校の高学年くらいかな、と私には思われます。
 先ごろ、「オーガンジー」というファッション用語を巡って、モモエをめぐり、「オーガンジー」とはどんな意味か、という議論になって、動物キャラクターに扮する男どもの厳しい突っ込みにあい、ファッションと聞けばひき下がれない知った被りのモモエが、「ワインレッド」のことだわ、「ビロード」のことをいうのよ、「織り方だわ」と、次々に前言をひるがえし、必死で抵抗します。実際のところ、私も「オーガンジー」ってなんだと思っていたので、興味がわきました。
結局、「平織で薄手、軽く透けている生地で、スカートの裏地などで使う材質」だそうです。まだ、前思春期の、モモエがよく知らなかったのは無理がないかもしれませんが。狼狽するモモエのあたふた振りが面白く、とても笑えました。トリックスターとして、くせのある、難しい性格に反して、少し太めで近頃まれな赤いほっぺをしたかわいい子です(そういうと彼女から逆ねじをくらいそうですが)。
 実際のところ、Eテレで、現在の、素のさまざまなこどもたちがみられることは、私にとって、とても興味深いところです。この番組では、色々と、普通のこどもたちからのこどもらしい分別での投稿もあるし、彼らにも結構人気のある番組ではないかと思います。
誤解を恐れずにいえば、この番組は、私にとって、「童心」に出会える貴重な機会のように思われます。
こどもの着想や大人の関心や興味など折衷したりして、その組み合わせの妙もあり、こどもたちのみならず、頭脳が柔軟な、多くの大人たちにも是非おすすめです。

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H28.5.5追記
先ごろ、車を運転中、前の横断歩道を横切るカップル(無論男と女です。)を何の気なしにみていて、ふと気付きました。「エウレカ(われはっけんせり)」、「あれが、オーガンジーではないのか。」カップルの若い女の子が、短い原色のスカ-トのうえに、さながら、花束のラッピングのような半透明のスカートを重ねて穿いているではありませんか、「とても素敵ですな」と直感的に思いました。
 この衝撃は、いつぞや、ズボンの上にスカートを穿いた女の子を見て以来(ごく一般的になっつまいましたね。)のことでした。
 いやー、「人間の思惟することはおしなべて現実的である」、おやじにも、卑近な例でございました。

 私の誤理解した「グローバリゼーション」を「グローバリズム」に即座に訂正するのはもちろんのことながら、私のファッション感覚(?)に、間違いがあれば、直ちに正しますので、皆さま、是非教えてください。