ここ、ここにきて、売国奴・パヨクメディアのオリンピック妨害工作が、本格化しています。
朝日、毎日は、言うにおよばず、楽天など、総動員で、中共に使そうされた、あるいは、グローバリズム及び中華帝国・中共と、利害の合一と、目的を同一にする勢力が、コロナ利用をその象徴として、あらゆる手段を講じ、日本国の凋落をめざして、総攻撃をしています。
私は、運動神経もなく、妻には、神経そのものがないと、酷評されますが、しかし、スポーツを見るのは好きです。
しかしながら、プロ野球あるいはサッカーなど、ほとんど興味がありません。
なぜなのかなあ、と考えてみれば、近頃の私は、日本人が活躍する、国際的なスポーツが好きなのであることが、判明しました。
まあ、そういいつつも、ひと昔も前、プロテニスの、フレンチオープンなどの、全盛期のナダルと、天才フェデラーの試合には、強く惹かれたのは確かですが。
テニスなど知りもしないのに、ナダルの強打とそのストロークの威力(それだけではないでしょうが)、それを技術と、素晴らしい才能、センスでしのぐフェデラーの姿は、竜虎並ぶというような、大変感動的でした。
ついでに脱線しますが、彼ら二人とも、身長は、180センチ台であり、2メートルを超える、欧米系の外国人のプロテニスプレイヤーに比べれば、平凡な体格です。
素人が要らないことですが、サーブの威力がものをいう、殊にテニスでは、身長があるのが圧倒的に有利です。
それは、階級制がない、野球や、プロレスなどでも同様かもしれない、ところです。
かの全盛期の、錦織君が、ナダルと対戦した時、錦織君にもう10センチ身長があれば、世界の、せめて、一桁ランクの成績がとれたのに、と思ったことがあります。
それは、基礎体力がないと、まず体格がよくないと、なかなか、世界の壁を破ることがむつかしいことを、如実にしめしています。
調子のよかったころの、錦織君には、日本人として、胸のすくような好試合もあり、昔は、楽しく観戦(WOWWOWでですが)したところです。
その頃は、自己のナショナリティ(日本人で体格に恵まれないこと)を、その負性も、きちんと意識化し、懸命に適応しようとしていた、と思われます。
それこそ、体格に恵まれない錦織君が、その敏捷性と、センスで、トーナメントを勝ち抜いていくのを観ていました。
その中で、彼に、もう少し、後10センチ身長があれば、ナダルや、フェデラー、ジョコビッチと互角に戦えたかもしれないと、残念に思いました。
しかしながら、非力の日本人としての、戦い方はあるはずです。
スポーツが戦闘行為のシミュレーションであるのはもちろんです。
しかし、実際に、武力を行使し、他国を軍隊で侵略・抑圧している覇権国家を、国連が放置しているなら、我が国のアスリートたちが、スポーツを通じて、当該国家の特権公務員・選手を打ち負かすのも、正しい戦いであり、歴史的に意味があることではないでしょうか。
それはそうとして、かつて観た、プロテニスの暦年の最初に行われる、オーストラリアオープンの、優勝杯の贈呈者として、中共人が出てきたのに、びっくりし、同時に非常に強い違和感を感じたのを、覚えています。
それは、どうも、中共の南進侵略政策、「一衣帯水」主義が、ガードの甘い西欧(名著「サイレントインヴェージョン」にそのように記載されていたと思う。)オーストラリアの水面下で活発に動いていたころです。
それを、日本国に類比してみると、国技大相撲の、優勝式の贈呈者が、外国人でいいのか、と、思うような感覚です。
国技のような、オーストラリアンオープンも、ビジネスの一環なのか、というのが、私の感覚ですが、他人種が賞を贈るのか、そんなことを声高に言えば、それは、例のポリティカルコレクトネスに抵触し問題がある、というつまらない話です。
また、それを言えば、わたくしのケースでは、常勝、福岡ホークスの、優勝セレモニーも、在日のビジネスマン、孫氏がオーナーではないかといわれますが、それも、親中オーナーが経営する楽天も嫌で、プロ野球はみません、というオチです。
日系アメリカ人の、プロテニスプレイヤー大阪なおみちゃんも、近頃、言動が、無考えで、粗野になったのは残念なことです。
また、錦織君が、「オリンピックと命のどちらが大切なのか」、という言葉で、日本国のコロナ防疫体制を批判し、議論を呼びましたが、これも、不用意な発言と思われます。
日本に居住する、日本人として、新型コロナが死病とか、パンデミックが起きているとは、とても思えないから、です。
しいて、感覚的に言えば、私には、インフルエンザの一種と思われるのです。
したがって、個人的にワクチンの接種を感じません。
再度、したがって他人にも強要しません。
私が、悪性インフルにり患して、死んだとしても、運が悪かった、としてあきらめます。
私が疑うのは、錦織君は、生活の根拠を外国におき、世界を転戦しているうちに、だんだん、「グローバルスタンダード」などという、虚妄のイデオロギーのとりこになったのではないか、という危惧です。
限られた世界で思考していると、「日本人大多数国民大衆」と、生活実感がかい離しますよ、ということです。
自己の競技以外に、自己の祖国への常識の配慮や、一般の人々の「現実」に思いを馳せるのは大事なことです。自国アスリートを、損得抜きで、応援、支持するのは、その層しかいないからです。
絶頂期に至るまでの錦織君は、篤志家によって実現された自己のテニス留学も含めて、自己のナショナリティになにがしかの配慮をしていたと思われます。
彼が、また、高位の選手になるのを願って止みません。
残念ながら、WOWWOWのテニス放映は最近見なくなりました。
閑話休題、大衆の一人である、私が、ほぼ唯一、地上波民放で見るのは、朝の東京テレビ、安住アナウンサーの、オリンピック特番(東京ビクトリー)です。
この番組は、オリンピックに出場した、出場予定のアスリートをゲストで呼んで、その競技内容や、裏話を語らせます。大変興味深いところです。
彼は、人あたりがよく、人をいじるのが非常に巧みであり、この人とどんな話をするんだろうと思っても、毎回、上手に話題を引き出します。やはり、彼は、NHKにはいないタイプです。
この番組で、東京オリンピックが、繰り延べされたことで、国内のアマチュアアスリートたちが、どんな被害を受けたのか、よく理解できました。
自らの競技者としての絶頂期を、2020年に合わせてきた彼らが、目標が延伸されたことで、予選の勝ち抜き、代表への道行きで、いかに理不尽に競技生命を揺さぶられたか、こちらに、直截に、素直に伝わるのです。
彼らが、本番を迎えられないことは、本当にお気の毒なことです。
この番組の中でも、白眉の特集は、女子バレー、ロンドン大会の銅メダルをめぐる戦いでした。
評判が良かったのか、スタッフがノリノリだったのか、三回分の収録でした。
ロンドン派遣のフルメンバーの女性選手たちと、中途から眞鍋監督まで出演し、かしましくも楽しい話が、聞けました。
名セッター竹下の、予選前の指の骨折、今まで勝ったことのない強豪中共との対決、フルセットで死闘する、それこそ、全員が、神がかっていたようだ、という、彼らの話に思わず引き込まれ、強く感動しました。
隣国の反日国家、朝鮮との、銅メダルをめぐる戦い、監督スタッフと、選手と一丸となってというしかない、状態で、勝利を手にしたところです。
これは、まさしく、国家を挙げての戦いで、交渉時に、容易に国益や、原則を放棄する、日本の政治家に見せてやりたい、と思うほどの、苛烈なたたかいと勝利です。
その裏で、選手と監督との相互信頼、それぞれが自らの役目をきちんと果たすという、団体競技の心得、その達成は、たかが、スポーツとは思えない、尊いような戦いです。
彼らは、日本の政治家、官僚以上の、刃の上を渡るような、厳しい苦しい戦いを勝利したと思われます。
しかし、彼らの勝利も、中共のように、賞金も、将来の保障もない、名誉も、時がたつにつれ、忘れられていくでしょう。
監督提案で、「欧米系の選手は日本人の顔の判別ができない、みんな、髪形を統一して欲しい。」という、戦略は、竹下セッターたちの猛反発で、白紙になったそうです。笑わせます。
勝利のために何をするべきか、皆で、それぞれ真摯に考えます。
私は、スポーツを政治の手段にするな、とか、スポーツに政治を持ち込むな、とかいう、言説をまったく、信用していません。
これまで、政治的でなかった、オリンピックなど、一度もない。
ボイコットされたオリンピックもいくらもある。
しかし、東京オリンピックはチャンスです。
おそらく、今後、こんなチャンスはもうめぐってこないだろう。
私が若者(馬鹿者)で、あったころ、オリンピックに全く興味がない、と公言していました。といいつつも、横目で見ていましたが。
近頃、友人の若い衆と話していて、彼も、まったく、当時の私と同様なスタンスであることが理解できました。
若者(馬鹿者)の特権、無意識の反骨精神と反通俗精神です。
しかし、現在の、少数者の利害と、覇権国家の横暴に支配される、グローバリズムの嵐の中で、それぞれが、健全な国民国家を維持、守ることは大事なことです。
外国で戦う、アスリートたちは、そのことを、まず意識し、理解しているように思われます。
例の「〇〇と戦争にルールはない」といいますが、スポーツは、ルールにのっとった戦いですから。
その点を、よく理解できるのは、隣国南鮮の過去のあまりにひどいオリンピックの競技者の醜い姿を見た、日本人であろうか、と思われます。
アマチュアリズムで、ルールを守り、勝利は大切である、そして勝利以上に大切なものもある、という、日本人の長所と美徳を、見せてやりましょう。
健全な、国民のナショナリティを鼓舞するためにも、オリンピックを応援しましょう。
現在、日本国は、残念なことに、政治の無策と、グローバリズム迎合政策によって凋落し、今の我が国の周囲は、反日国家と、侵略をたくらむ覇権国家ばかりです。
この際、環太平洋の、覇権国の被害国が、結集し、政治的なオリンピックを実施する機会は、今回だけです。
併せて、中共包囲網の実力をしらしめ、中華帝国に、団結を示す時です。
新コロナで、つまずく、あるいは、躊躇する国々は、仕方がないことです。
この際、大事な同盟者、台湾、オーストラリア、だけでもいいではないでしょうか、是非、オリンピックを成功させよう。
大きなイベントには、国民の心を高揚させ、夢を持てる契機となります。
デフレとコロナに痛めつけられた中でも、ガンバロー、という気持ちも起きる。
新コロナの中でも、困難な状況でもやるべきことはやる、という、日本人の決意と、覚悟を、まず、環太平洋地域に、示そうではなかろうか、と思います。
中野剛志氏の著書ではないですが、日本国をはじめ、あらゆる国民国家は、現時点で、グローバリズム勢力に侮られることなく、悪質な他国と様々にたたかい、「富国強兵」を目指すしかないのです。
それが、他の、グローバリズムと戦う、自立した、国民国家を助ける、手段にもなるのです。
とはいえ、国内に内患を抱えている国は、参加はむりかもしれません。
建前は別にして、当該参加は各国民国家の判断に任せるべきです。
間違っても、グローバリズム勢力、パヨク、売国奴に、主導権を渡してはなりません。
斜に構える若者たちも、オリンピックという重大な政治的な行事に、反日国家、覇権国家に負けないように、国民の一人として戦わなくてはなりません。
こんなことを主張しても、ごまめの歯ぎしりですが、国民の一人として、IOC会長と、日本政府の奮闘に期待しています。
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