我が家の近隣、柳井市にある某菓子屋のアジサイ園の群生アジサイである。
説明看板で見たが、日本アジサイの花言葉は、「団結」というそうだ。私も、いまさら、イデオロギーに振られることはないと思うので、小林秀雄のように、「常識」をたっとび、自己の「フリーダム」実現に自分を賭けることとしたい。よりよい「国民国家日本」の護持のため、私たちは、不可避的に戦い、団結したいものである。
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これから、私の、職員生活を通じた、具体的な話をしよう。
まず、再度、この計画の、合理性、妥当性、周南市及び周南市民に対する影響の理非曲直を考える。
そうして、なぜ、あの市長が、正常人ならだれも思いつかないような、いわば地方の程度の低い私学を、公立化しようと思ったか、その動機を考察してみたい。
まず、もし、市長が、今後、公立化した徳山大学のOBを今後積極的に採用すると、考えていれば、そのことを検討してみよう。
すでに、市の幹部や、市の職員として、私立徳山大学校(以下「徳大」という。)のOBはちゃんと入所している。市議会議員にも数多くのOBが存する。彼らが同窓会を作っているかも知らない。
市職員の出身大学は公表されていないが、私の知る限り、多くの職員が、大学創立以来、連綿と、途切れなく入所しており、彼らの名誉のためにいえば、能力的に相対的に劣後するような職員は、いないと思う。
しかし、そもそも、それは、大学が周南市にあって、大学で適正な教育がされているからではなく、その各人の人物本位の問題である。
公立化に何の意味もない。
前述したとおり、徳山大学が設立された際に、建設費用、敷地の提供など、当時豊かだった徳山市は、多大な出資・援助をしたはずである。
しかし、現在でもなお、ほぼ全員入学できるというのは、あい変わらず、底辺校といわれても仕方がない。
現在の徳大は、資料を見ても、どうみても、スポーツ大学の様相である。
私は、街中を、ロードワークしている学生たちを眺めるのも決して嫌いではない。
彼らは、日本国のどこかで、いずれ、活躍するかもしれない。
周南市が、豊かで、日本国民に贈与する余裕があれば、それでいいかもしれない。
しかし、同時に、徳大には、中共、韓国、ベトナム、モンゴル人などの留学生たちもいる(私たちの目では判別しがたいが、2019年現在で41人という。)。
一方、国立徳山高専は、理系の留学生が2名(セネガル、カンボジア)という、今では、日本国の産業技術大学にも、外国人はなかなかやってこない。
自己のキャリアアップを目指す、理系の優秀な外国人たちにとっても、現在の、日本国の国立技術学校すら、もうすでに、魅力がないのだ。
そうであれば、いわば私立の底辺校にいる、文系のアジア人の彼らは、徳大で、日本語を覚えて、何の勉強をしているのか。
何より問題なのは、徳大は、大学納付金免除として、何の根拠もなしに、学費免除として、彼らを特権者扱いにしている。
これは、不当利得ではないのか。
利害関係人である、学生たちからの、損賠賠償請求は可能なはずである。
なぜ、まともに、学費を払う、日本人学生たちは、なぜ怒らない。
また、教育財団に対して、現在まで、不適切な、支出をしたことをとがめる責任も、監督責任も、当然に、周南市にあると思われる。
私たちは、ひとたび、自己に対して、自信や、自負心を持つことを忘れたら、なかなか、外部からの理不尽な仕打ちに際しては、それに抗して、不正義に対し、疑問を持ち、正しいことのために戦う意欲は持てなくなる。
それは、学生であろうと、周南市職員であろうと、同様のことである。
現職時代に、私はそんな事実は全く知らなかったが、今まで、担当職員はそんなことに疑問も持たなかったのか?
バカな話だ。
それこそ、私たち国民・市民大衆は、デフレ、コロナ、グローバリズムの暴力の中で、自国政府により、理不尽な取り扱いを受け、いかにもそれが、世界レベルで合理的であるかのような仕打ちを受けている。
いうなれば、私たちは在日外国人より劣後した、三等国民として、外国人の下手に置かれている。
そのうえで、当該教育財団の贈与は、敗戦後、対中共に対し無償の贈与で行われた、巨額なODA事業以上に、何の根拠もない。
徳山教育財団の、根拠のない、バイアスのかかった(すなわち朝日・毎日のパヨクたちの下衆な思惑に迎合した)サル知恵(そもそもそれは知恵なのか?)としか言いようもない。
いわば、日本国は、中野剛志氏がいうように、敵国を強化するため、いわば現在の中華民族独裁帝国を強化するために、多大な貢ぎ物をしたのだ。
そんな愚挙に、地方の教育機関がなぜ追随する。
バカな思考停止と、売国行為としか言いようがない。
それこそ、今後、公立化して、学生が集まらなければ、今後、日本国の地方には欧米圏からの留学生はあり得ないことであり、敵性・反日外国人、中共・南鮮人を囲い込むこととなる。
バカな市職員が、LGBTがらみで、公立化に引き続き、将来にわたり、外国人優遇の、そのような検討すらしているとも聞いた。
それは、どうも、公費を使った敵性外国人養成という、売国奴行政そのものではないのか。
市長がバカなのは、選任した一部市民にその責任があるが、一部職員がバカなのは、採用責任の人事課の責任であろうが、そもそも、それは個人としての、それぞれの自己責任であり、研鑽を怠った行政職としての退廃である。
すなわちそれは、今後の、周南市及び周南市民に多大な損害をもたらす。
それどころか、敵性外国人が周南市に居住するということは、近隣の市にも同様に迷惑な話である。
オーストラリアで、中共学生及びその家族が居住・長期滞在し、いかに、オーストラリア国家に対し、敵対行為を行ったかは、再掲する、文末の書籍に当たって欲しい。
閑話休題、実際のところ、多くの市民は、日本国は高度成長期をすでに終え、地域への人材供給などという虚偽のデマゴギーを振りまく、市域の大学の役目はとうに終わった、と考えているのではないか。
結果として、徳大関連の学生で、地元に居つくのは、さきの報告によると、20人(中退した元学生を含めて)程度という。
この数はひどい。
しかし、そもそも、満足できる職場・仕事のない、地方に誰が居つけるというのか?
公立化して、新たな職場が降って涌くような、そんなものがにわかに生じることはあり得ない。
「駅弁大学」(駅弁を売る余力のある地方都市であれば、大学が一つはある、というたとえ)の時代はすでに終わったのである。そもそも、自前の駅弁など、JR徳山駅の駅頭ですら、売っていない。
宇部市や、萩市など県内各地の学校運営の惨憺たる失敗は、周南市長たる、元山口県文教厚生委員長が知らないとは言わせない(それを知って強行するのはバカか悪人である。)。
かつて、徳山女子短期大学があり、時代の要請で(すなわち人が集まらず)廃校となったことは、すでに市民に、忘れられたのではないか。
今回の徳大公立化問題は、市民アンケートを取り、結果が出れば、頓挫するので、しない、とも聞いた。
それなら、コロナの混乱の中で、形式的公聴会開催という、姑息な手段をとる前に、信を問うため、解散してみれば、と思う。
そもそも、報告書には、市民から、公立化してくれという意見があったとはどこにも書かれていない。
報告書のアンケート結果を見れば、70%は無関心という結果ではないか。
まったく、今回の騒動は、市長と利害を同一にする輩との間で作り上げた、マッチポンプの手法である。
問題は別にある。
① 行政が疲弊しているときに、公立大学設立の理念は正しいのか。
国レベルで行政改革が進められ、市職員も容赦なく減らされ、行政レベルで、職員の資質と行政サービスが、明らかに落ちている。
現在の市職員の行政遂行能力は、明らかに低下している。
人員のやりくりに追われて、未熟練で、教育を施す余裕もなく、新任職員に「やりながら覚えてくれ」と指示するという、怖い話を聞いた。
なぜ、今になって、不要な職員(大学教員・職員)を公務員にし、不要な施設を、市財産とし、箱物の建設、多大な営繕、改修費用を持たなければならないのか。
何度もいうが、新たな看護学科の設置と、校舎、付帯施設の設置など、財政的に頭を抱えるしかない話であり、市の将来に大きな禍根を残す。
そもそも、周南合併の負の遺産、元新南陽市が、どこかの腐った私企業に泣きつかれて、無理やり開業した周南市立「新南陽市民病院」の維持・運営だけでも大変な費用と労力を費やしているではないか。
周南市で運営していながら、なぜまだ、「新南陽」などという名称が残るのか。合併して、迷惑施設を引き取ってあげたのに、と、なぜ、徳山市民は怒らないのか?
令和3年の2月に行われた大学問題諮問機関の審議で、さすがに、地元の経済団体選出の委員もおり、多大な人件費(総費用の70から80パーセントという。)、毎年の運営補助金(初年度14億、以下毎年7億から8億と聞いた。)、に批判が集中したと聞いた。
何度もいうが、それは、事実上の、停止勧告である。
それでもなお、その報告をなかったものとして、鉄面皮の市長が、反対を押し切り、市長個人ではなく、市及び全市民の債務保証によって、無謀な投資する意味があるのか。
まったくないのである。
これは、公立大学設立など、時勢を読み間違えた、愚かな試みであり、人減らしとひたすら必要な業務すら縮減した、かつての行政改革の理念(?) にすら、反している。
今思えば、それが無慈悲なグローバリズム行政の走りだったが、1980年代当時、「民間でできることは、(効率性を配慮して)民間に任せよ」、ということが、唯一説得力あるような理屈として、行政改革運動で唱えられたことであった(故土光敏夫氏の主張で聞くべき唯一の理であった。それが、その後とんでもない結果をもたらしたことは笑うに笑えない。)。
しかし、それを担う、行政は、当該政策について、事前の綿密な検討と、国民全体に対する、公平な度量衡を要する。軽々しい、愚かな決断をするべきでない。
その発展形態として、国民間の貧富格差が顕著になった、現在においては、グローバリズムの影響のもとに、他国の金融資本、産業資本、あらゆる存在が、私たち日本国民の国富を簒奪しようと狙っている。
それに抗するはずの政府が、TPP条約の批准を含め、他国迎合の政策をとり、愚かにも規制緩和を垂れ流し始めたのは、90年代と、日本国のデフレと見事に符合している(それぐらいは心得ておけよ、行政職員、私ですらその恐怖と大多数国民の危機を、ひたすらブログで書いてきた。)。
そして、全国のほとんどの地方公共団体で、その流行運動の過程で、国の愚策を教科書に、職員の人減らしと、民営化すべきでない、採算の悪い、しかし、重要な仕事を放棄していったのは、事実である。
送電事業の自由化により、千葉市の災害復旧が遅々として進まなかったこと、身近なところでは、周防大島町の水道事業が、もし民営化されていたらと思うと、先の事故での、てん末を見ると、ぞっとする。
私たちのライフラインすら、政府の規制緩和の強行で、血も涙もない営利企業の手中に落ちかねないのだ。すでに、外国製、水ビジネスに屈した、地方公共団体は、日本全国にいくつもある。
市にとって、すでに多大な時間と労力を使いほぼその役割が終わった事業に、高々自分の好き嫌いや思い込み(大学賞賛幻想、それがすべてなのかもしれないが)で、今になって、必要もない事業を増やすなよ、ということである。
学生たちは、しいて言えば、もし公立になれば、授業料が安くなり、学校のプレスティージ(権威)が上がると思っているかもしれないが、そんな甘い話はない。
広報を見ていれば、岐山通(基幹市道)ボランティア清掃などに徳大生を動員しているようだが、それは、ほとんど、詐欺のようなものである。公立化すれば、県外の優秀な学生が、大勢を占めるのは、報告書で、明確に表記している。
しかしながら、公立にせよ、私が話した、山口県立大学生たちも、就職も大変と、彼らにじかに聞いたことがある。
ましては、市職員への優先採用など、あるはずはないのである。市民のために言えば、あっても、困るのであるが。
そもそも、視野が狭い人間など、市職員にはふさわしくない。
私も、かつて私立大学(それは立派な営利企業である。)に遊学したが、その時、異郷で見た、経験したこと、ものの見方や考え方は、今でも私の現在を大きく支えている。
異郷で暮らしてみることは、若者たちにとって、それなりの意味があるのである。
私自身、大した人間でないことは、百も承知であるが、しかし、生まれたところで暮らし、修学し、という図式が、周南市の若者たちに、魅力的であるとも、意味があるとも思えない。
すでに、大学進学、という、右肩上がり時代の、貧しい親たちの、こどもに高学歴を、という、夢や、切ない共同幻想は破綻しているのだ。
努力すれば報われるという、将来への希望がある時代はまだよかった。
個々の研鑽やこの努力によるその成果が認められ、個々に社会的な安定を得られるロールモデルはまだ、社会制度の中に残っていたのである。
今となれば、はるかに社会主義をしのいでいた、昭和・平成初期までの保守政権を、私は評価できる。
ただ、大学という、モラトリアム時間(猶予期間)を与えてくれた親には感謝している。
しかし、現在を、地方の現実を見てみれば、大学に行って、殊に地方の私立大学に行って、卒業後にフルタイムの仕事に就けるのか、そんな甘い現実は、どこにもないではないか。
私を含め、それほど優秀でない(優秀であっても)学生たちに、現在において、糊口をしのぐ機会はそれほどないのである。
何度も繰り返すが、デフレ、コロナのダブルパンチの苦境で現在の貧しい親たちは、三度三度、こどもを養うことを、まず、必死に努力している。
今さら、高等(?) 教育を施す余裕がどこにあるというのか?
貧困問題を蒸し返すが、スーパーに設置された、フードポストなどというものは、我が幼少期にも見たことがない。
自分のこどもに、まともに食事を与えられない時代に、金もないのに(あれば給与を上げて欲しい。)、将来の見込みもない、大学生を、半ば騙して、社会に送り出すのか。
そんな、甘い話がないことは、大学教員が一番よく知っているはずだ。
誰も語らないが、公立化して、自分たちの安定したポストシーキング(職場要求)を実現するのか?
大学経営が不安定なので、市の救済を求めるのか?
県内の各私大でも、運営が困難で、薄給に耐え切れない教師と、学校当局のトラブルはいくらもあることである。この辺りは、教育労働者に対しては、同情の余地がある。
しかし、時代の中での役割を終えれば、別の経路もあるはずである。
奨学金を廃するのも、その一つである。
45億円という留保金を分配して、大学解散をするのも一つの手である。
業績不振企業に、未来はないのである。
おまけに、公費に頼るなど、大変おこがましい、というか、まったく恥知らずある。
そういえば、コロナ下のごたごたで、不見識な行為で逮捕されたあの高名なユーチューバーや、先に刑事被告人となった、某建設会社の代表者も、確か、徳山大学の出身であったが。
市議会議員の方々にも少なからぬOBがいると仄聞(そくぶん)している。
議長も、徳大のOBであると聞いた。
それなら、各人が、個人として、自分の出身校の支援を行えばいいではないか。
間違っても、周南市、周南市民に、損害を与え、いらぬ債務保証を求める必要はない。
今の周南市に、学生を引き寄せるなんの魅力があるというのか?
そのうえ、単独で、看護学科を設置するどこに余力があるのか?
人にも公共団体にも、身の丈というものがあり、学科の新設とか、公立化などという大事業は、少なくとも、それは、県や国の役割である。
必要性があるといえば、今後も、市長職を通じ、陳情すればいい。
無理なら、下野すればいい。
そうして、公選挙で、知事になればいいではないか。
他市にも、県にも支援を求めないのであれば、それが唯一の方法である。
市長も、長年にわたり、市長より高給とされる、県議を務められたではないか、その長年の蓄財をもとに、同志を募り、人材育成という、大学振興の理念を極めればいい。
自分の理念のために、採算の取れない、しかし、有益な事業に、私財を投じるのは当然のことである。
数多くの市民が、語る前に、それを自分で実行している。
② 将来の大学公立化に、合理性、意義や意味があるのか
先に、「報告書」で検討されたとおり、18歳人口の激減の中で、大学公立化し、学生が集まらなかったらどうするのか。
箱ものはできても、学生は製造できない。
友人の子息が徳山大学を中退した。親とすれば、社会に出る前に、モラトリアム時間(待命考慮時間)を与えたかったといっていた。
しかし、本人は、時間の無駄として、やめてしまい、求人広告に応じ、就職してしまった。いずれにせよ、親子とも、大学卒業後に、安定した、フルタイムの仕事があるとは毛筋も考えていない。
限られた職場に対し、新卒者をはじめ、多くの求職者がいる。
日本の企業は理不尽にも、自国民の中途採用や、就職浪人を雇用したがらない。
きちんと就職するためには、大学を卒業する意味があるのだろうかと、庶民たちは考えるのである。
そのために、高卒だろうが、大学中退であろうと、就職の機会を逃すべきでない。
ひょっとして、貧すれば鈍すで、今後、学生の不足を補うために、日本国各地で行われている、
グローバリズム政策の災禍、反日国家、南鮮や、覇権国家中共国民の大量移入、いざとなれば、対日工作員を、大量にうけいれることにもなり、市民にとって大変危険である。
私自身の安心安全についても、危機感を覚える。
結局、周南市として何がしたいのか。
それがまったくわからない。
あるかないかわからない、建設特需を期待する一部の土建屋や、開発フィクサーに対し、便宜供与をするだけなのか?
なにより危険なのは、現在市有地の公売にも、周南市は、応募者に国籍条件を付けていないし、静岡県よりまだ広範囲といわれる、中共による、日本買いについて、どう考えているのか。
彼らの所有物は、いざとなれば、中共の国家総動員法により、中共国家の資産となる。
北海道のスキーリゾート、ニセコは、今や、中共資本により、立ち入り禁止である。
中共は、オーストラリアでも、他国でも、同様なことを行っている。
さすがに、その恐怖に気づいた、オーストラリア国は、中共政府と、現在、不退転の覚悟で戦っている。
しかし、バカな日本政府は、その危機を考えもしない。
このたびの、外国人の日本国土取得規制法に対し、学会=公明党は、中共のお先棒を担ぎ、法律成立に妨害工作を繰り返す、まったく邪教、売国政治団体である。
日本国に、中共の第五列(スパイ)がいても、法治国家日本は、手も足も出ない。
それらが、最初に手をくだすのが、ガードが甘い、地方都市である。
バカな、地方自治と呼ばれてもいいのか?
宮崎の私立日章学園などの、中共学生たちによる、徒党を組んだ日本人学生の制圧や、反日・反社会的行為をあなたは知らないのか。
それは、想像を巡らせば、将来の日本国制圧を目指した、覇権国家中共の予行演習かもしれないが。
現実的な話をすれば、今後、中共学生の国保加入、など、周南市の国保事業は、外国人による貴重な、国保制度の食いつぶし、現在生じている、未払い市税・国保料の未収助長するのか。それを知りつつ、強行するなら、それは、反市民行為であるよりも、反国家行為である。
まさか、将来において、市職員採用の国籍撤廃など、怖いことを考えているとしたら、あなたは、日本国の安寧と秩序を踏みにじる、市域・県域を越えた、私たち一般国民の敵である。
すなわち、売国奴である。
まともな市民はそこまで考えている。
とどのつまり、地方の弱小大学の役割は終わったからと思っている。
どう考えても、やはり、プラスの確立や意味はない。当該、新規ビジネスに群がる政治屋・利権屋が支持するだけである。
③ 市長は、なぜ、今になって大学公立化などという問題を出して出てきたのか。
以上の考えは私の独断かと、試みに、市の幹部職員の一人に、大学公営化の問題を尋ねてみた。
その結果、彼も、ほぼ、私と同様の意見だった。
どうも、この問題は、市長及び市長と利益と利権を同様にする一部の人々との、独断先行の陰謀政策と思われる。
周南市及び周南市民全体の、将来にわたる問題の影響の大きさを考えれば、試しにやってみる、では済まないのだ。
私たち以上の世代しか、知らないことだろうが、当時の私たち市職員は、市議会議員時代の、市長の今は亡き夫君、藤井真議員の活躍ぶりを知らない。
この際なので、申し述べさせていただく。
市議会議員時代は知らないが、その後、県議になった時点で、市庁舎に来訪する、藤井県議とは、職場で何度も遭遇した。
例えば税務の窓口で、彼の人が何者か知らぬ職員の応対に際し、「お前、俺を知らないのか」と、強弁し、窓口をにぎわせることが、多々あった。
当時、「ここなら威張っても、多少強要しても実害はないだろう」という、政治屋を含め、いろいろな人間が窓口をにぎわすのが、当時の常態であったが、彼もいやな男だった。
理由もなく、一般職員に対しても高圧的に、威張り腐り、しまいには、私たちは、この男は学歴コンプレックスでもあるんじゃないか、という印象すら持った。
当時、私は友人に誘われて、徳山連合青年団というところに出入りしていた。それこそ、あの市長とすれ違ったことがあるかもしれない。
そこは、市域の各地区の青年団の事務局・中央を果たす場所であり、その中で、さるボランティアグループに入った。
青年団というのは、企業のボランティアグループや、労働組合グループに属さない中小企業労働者や、商店などで働く、未組織の若者たちの集まりだった。
ほぼ彼らは、高卒であり、また、就業済みのいっぱしの大人であり、彼らが、企業ボランティアにも、組織労働者への道行きにもなじめないのはよくわかった。
そこは、比較的気持ち良い人達の集まりであり、明らかに異物のようなわたしたちにも、いろいろ親切にしてもらい、意地悪をされたことはあまりない。
しかし、惜しいことにそこは政治好きの若者たちの集まりだった。その後、彼らが、自分たちのコンプレックスをばねとして、皆、政治家を目指したのを見れば、よくわかる。
彼らのうちの多くが、自分の生業に満足できず、そのむなしさから、政治過程(虚飾)に身を投じようとするのだ。
戦後、開放された(?) 民主国家で、若者たちが全国に勃興した青年団活動などを通じて、実力を蓄え (?)、国会議員などに上り詰めたことには、いくつもの、ロールモデルがある。
しかし、昭和50年代後半(70年代後半)に、政治活動を目指すのは、いささか、「遅れてきた青年」に思えた。
先の県議は、「遅れてきた青年」の代表だったのだろう、したがって、彼の多少傲慢で傍若無人な態度も仲間内で容認され、支持され、彼らの中では、われわれの代表で、県政に出場したという、希望の象徴だったのだろう。
要は、「大卒の役人どもに思い知らせてやれよ」という、コンプレックスから生まれる、不健康なルサンチマン(弱者の怨念)である。
すなわち、彼は、そのくだらない職工根性に媚びてくれる存在だったのだ。
このあたりの大衆心理は、現在の公務員攻撃によく似ている。不健康で容認できない。
今では、当該、大学をめぐる共同幻想は、ほぼ終了した(すなわち大衆が大卒に夢をもたなくなった。)。現在において教育投資などとんでもない贅沢でもある。
夫君、夭折後、その跡目を継いだ、藤井律子市長、元県議も、どうもその系譜をひくものに思われる。
いまだに、自前の公立大学をという狭量な共同幻想(共同幻滅でもよい。)のとりこになっている。
そして、たかだか看護師(職業人として私は看護師を尊敬しています。殊に、看護に適性のある女性看護師を。)の自分が、現在の偉い政治家にのし上がり、自分の見栄と虚栄心で、大学を運営したいと思っているのだろう。
そして新たな箱もの建設を目指す土建屋と、その利権を目指す、市議会議員たちと野合してまで。
そうでなければ、私には、大学公立化、という発想が出てくる、あなたの内面の経緯がどうしても理解できない。
すなわち、公立大学を創設し、その栄誉(?) で、命令する立場になり、自分のルサンチマン(不健康なコンプレックス)と空虚な気持ちを埋めたい、ということだ。
看護学科の創設は、そのおまけであろう。
身の程を知れ、というしかない。
しかし、すでに、結論は出ている。
再度掲載する。
市長も、長年、市長より高給とされる、県議を永気にわたり務められたではないか、その長年の蓄財をもとに、同志を募り、人材育成という、大学振興の理念を務めればいい。
自分の理念のために、私財を投じるのは当然のことである。
数多くの市民が、語る前に、自分で実行している。
それが、まっとうな考え方であり、ノーブレス・オブリージュ(優れ勝った者の社会貢献)というものである。明治以降、慶応、早稲田といくらもそんな例があり、大多数国民、卒業出身者の尊敬を集めている。
それは、尊敬される政治家として、困難であるかもしれないが、やりがいのある仕事であるかもしれない(私にはよくわからないが)。
④ 大学を経営するリスク
大学の入学者が減少し、全国の大学は苦悩している。
休止、廃校する大学も多い。
人材提供など、まったくの虚偽なのだ。
それより、むしろ、すでに、休校・廃校もあった、県内の大学でも、中共人学生しか集められず、学生の集団脱走など、いくらも事件が相次いだ。
殊に中共人については、宮崎の私立日章学園の生徒が、数を頼んで、日本人生徒を制圧(文字とおり暴力による制圧である。)し、中国国家が吹鳴される体たらくだそうである。
理事長は、学生数さえそろえば良い、とうそぶいているが、教育営利企業にとってはそれだけ切実な問題なのだ。
思いあがった彼ら(高校生)が、衆を頼んで、街を徘徊し、市民生活の安心・安全の脅威になればどうするのだ。
当該生活費など、我がやさしい国家が、日本人には給付せずとも、外国人には無償援助するらしいが、彼らが周南市に常在し、それでなくても、苦しい国保会計に穴をあけられたらどうするのだ。
中共人は、いつでも、母国の第五列(スパイ)になれるし、中共の国家総動員法を適用されれば、中共人の所有権は、すなわち、中共国家に帰属する。
それが、グローバリズムの常識である。
国土防衛を怠った、あるいは市域防衛の構想もない国民・市民は、三等国民、三等市民に転落するしかない。
現在、中共人の国土購入は大きな問題になっている。北海道、離島、あるいは瀬戸内海でも、一時でも、静岡県の面積以上が、中国人の所有になっている。
私の見聞した限りでは、市議会議員の須々万地区選出の、F議員のみが、MTT理論(マネー・マネージメント・シオリーの略。要は、不況時に、財政施策を、国家政府が推進するのは当然で、公共事業の大規模拡大を行い、その原資は自国通貨の国債発行で行う。当該国債により生じた、社会資本は、将来の自国民の財産になる。)(新自由主義の権家、日本国財務省は絶対これを行わない。消費税の撤廃も、減税も決して行わない。)を理解し、景気対策を早急にやれ、と主張していると思われる。
F議員、周南市の、不動産が、どれだけ、覇権国家中共民、反日国家南鮮民の所有になっているか調べて見られたらどうですか?
それは、それで、現在の政治家の役割として、意義あるまともな仕事だと思いますよ。
再度書き記すが、現在、国土のうち、静岡県より多大な面積の国土が、中共人(すなわち中共国家)によって買われているという。低迷するデフレ、コロナの渦中でその動きは加速している、という。
周南市も、いつでも、中共国家の支配下になりうるのだ。
それが、軍事力を背景に、日本国に迫られるのは明らかであり、ウイグル・ジェノサイド問題を見てみれば、全体主義国家中共の、人間を受け入れることは、非常に恐ろしいことは見て取れる。
他国の、日本の直接敵国、中共の、モンゴル、チベット、そしてウイグルの全体主義的抑圧を見えいれば、私たちが手をこまねき、放置すれば、地勢的、歴史的に、我が国の運命は明らかである。
彼らが数を増やせば、EU後のヨーロッパとまったく同じ状態になる。
メルケルと、利害を同一にする、国境を超えた一握りの金持ちたちが、国境を越えた低賃金経済難民を受け入れたがために、国境も、各国民の安心安全も、文化も伝統も、根本から、破壊したのだ。
それを、公費でやろうとするのが、大間違いなのだ。
藤井市長は、将来、売国奴市長と呼ばれるかもしれない。
それくらいの、構想力も、想像力も、あなたはもっていないのか?
そうであれば、地方自治体において、徳大再編成に係る箱もの建設(いずれにせよ地元業者がそんな建設主体工事には入れない)のおこぼれにあずかろうとする、一部市議会議員、建設業者、商工者の、ことの理非を受け入れない、愚挙に組するとは、あまりに矮小で、愚かしく卑しい振る舞いである。
参考書籍
西洋の自死 ダグラス・マレー 東洋経済新報社
目に見えぬ侵略 中国のオーストラリア侵略計画 クライブ・ハミルトン 飛鳥新書
TPP 亡国論 中野剛志 集英社新書
富国と強兵 地政経済学序説 中野剛志 東洋経済新報社
デタラメが世界を動かしている 小浜逸郎 PHP研究所
ウイグル人に何が起こっているのか 福島香織 PHP新書
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