サザンオールスターズ(桑田圭祐)の正統性について
H27.3.8
栞のテーマ(1974年)
桑田圭祐作詞・作曲
彼女が髪を指で かきあげただけ
それがシビレルしぐさ
こころにいつも あなただけを 映しているの
恋は言葉じゃなく 二人だけの Story yeah
Lady my lady my lady
I wonder if you can love me
Oh no・・・・
彼氏にナニをいわれ 泣いているのか
知らないふり でも
涙の中にいつも 思い出が見えるから
渚にしなやかに通り過ぎてく Melody yeah
Lady my lady my lady
I love you more than you love me
Oh no・・・・
つれないそぶりの Long-brown-hair
ね、どうしてなの なぜに泣けるの
ひところのアナタに戻る
この時こそ大事な Twight - light- game
彼女が髪を指で かきあげただけ
それがシビレルしぐさ
こころにいつも あなただけを 映しているの
このまま二人して 小麦色のMelody yeah
Lady my lady my lady
No-one could love you like I do
Oh no・・・・
やっぱりこの歌が、私にとって一番印象深い曲です。ただ、読むだけならば、特に詞に深みがあるとも思われず、「ただの歌詞じゃねえか、こんなもん」という桑田圭祐の言葉そのままですが、やっぱり当時は、とっても新しい歌でした。もし、ご存じないならばユー・チューブなどで聴いてみてください。
音楽として聞けばとても素敵な曲です(私も今でも歌います。)。
英文を交えたこの歌詞は、それまでの愛を妨げる(?) 逆境の状況、家族、社会の有形無形のあつれきを超えた、自由な性愛の全肯定というような曲であり、男女お互いの親和力と親密さやその行き違いの悲しみを上手に掬い上げています。本当に良質なラブソングです(今でもそう思います)。
これは、「ステレオ太陽族」というアルバムに入っていたと思いますが、アルバム全体がとても新しい音楽で、性愛を赤裸々に歌いながらも、親しみやすく、明るい雰囲気がありました。桑田圭祐は、私と同年で、青山学院の軽音出身だったと思いますが、私が就職して二、三年後くらいに、爆発的に売れだしたと覚えています。彼らの年齢は、はっきり言ってひつじ年還暦です。彼らのバンドは、桑田自身のやんちゃで、ノリのよい雰囲気に触発されたバンドで、彼の姉が大好きだったというビートルズからアメリカロックに至るまで、あらゆるポップスを透過した、桑田の音楽のセンスと、だみ声のボーカルが売りでした(そういえば昔コンサートに行ったのでした。)。
「愛しのエリー」、とか、「私はピアノ」とか大変印象深い好きな曲です。
中期(?)の、「愛の言霊」とか「 Tunami 」とかもいい曲です。それから40年近く経過し、いまだに人気バンドを続けているのですから、それはそれで大したものです。
昨年末、WOWWOWで、「ひつじ年の、ひつじ年による、ひつじ年のためのコンサート」が放映されました。サザンがメンバーの内訌で休止していた際も、彼は「ひとり紅白」と銘打って、大みそかにコンサートをやっていました。もともとは、AAA(Act against aids)支援コンサートとして、主に、彼の支持者の若者のための、エイズ撲滅のためのチャリティコンサートだったのですが、回を重ね、グループの休止により「ひとり紅白歌合戦」に変わって行きました。
彼は出身が茅ケ崎市であり、家業でキャバレー経営(?)していたと聞き、私の居住・生育環境とは全く異なりますが、年代的に、その選曲は、よく得心が行きます(ザ・ピーナッツ、西田佐知子、タイガース、尾崎紀代彦、とか、ただし、土着的な、ど演歌、とかは、少ないようです。少なくとも、多くは私の印象的な曲(アンソロジー)とダブっています。)。日本のポップスのゴールデンエイジというところでしょうか。
一般的な歌謡曲の、男と女の「二人の世界」は、何よりも大事で、本質的、という歌謡曲の王道を歩むものです。
今年の、「ひつじコンサート」で、復活したサザンが歌ったのが下記の曲です。
ピースとハイライト
なにげなく見たニュースで
お隣の人が怒っていた
今までどんなに対話(はな)しても
それぞれの主張は変わらない
教科書は現代史を
やる前に時間切れ
そこが一番知りたいのに
なんでそうなっちゃうの?
希望の苗を植えて行こうよ
地上に愛をそだてていこうよ
未来に平和の花咲くまでは・・・憂鬱(Blue)
絵空事かな?お伽噺かな?
互いの幸せ願うことなど
歴史を照らし合わせて
助け合えたらいいじゃない
硬い拳を振り上げても
心開かない
都合のいい大義名分(かいしゃく)で
争いを仕掛けて
裸の王様が牛耳る世は・・・狂気(Insane)
20世紀で懲りた筈でしょう?
燻(くすぶ)る火種が燃え上がるだけ
いろんな事情があるけどさ
知ろうよ 互いのイイところ!!
希望の苗を植えて行こうよ
地上に愛を育てようよ
この素晴らしい地球(ふるさと)に生まれ
悲しい過去も 愚かな行為も
人間(ひと)は何故に忘れてしまう?
愛することを躊躇(ためら)わないで
書き写していて、(私が聞いた皆の感想のとおり)あまり面白くない、わけですが、共に老いた私も、桑田圭祐もいまさら、恋の歌など書くのは難しいのだろうか、という憮然とした気持ちでしょうか。しかし、この歌を聴いていたら、政治的なバイアスのかかった「憲法9条の会」とか、「脱・原発」とか歌うとかより(晩年の忌野清志郎とか馬鹿な唄を歌っていたぞ)、はるかに誠実な態度でありはしないのか、と思われます。
実際に、国家間の個々の信念対立は、宗教と同じで、「自由の相互承認」しか方法はないよね、お互いの差異と信念を尊重し、妥協点を見つけるしか共存の道はない、わけですから。
また、西欧流の強引な「グローバリゼーション」で、文化、芸術、歌だろうと、無理やり世界均質化を図ろうとしても、それは現在のようにもめるだけです。
そこらあたりの、解決困難な問題や、それぞれ抱えた民族国家の問題、歴史の見方の問題、民族問題にちゅうちょする気持ちと、解決手段はないのかね、と唄うだけでも、桑田圭祐はずいぶんましな歌手(?)なのです。
加齢と、日本ポップスへの貢献、反エイズキャンペーンへの貢献からか、去年桑田圭祐さんは紫綬褒章を受章されました。紫綬褒章は、芸道というか芸能人の功績に対する褒章であり、彼の今までの実績を考えれば至極当然のことと思います。
コンサートで、彼が紫綬褒章をポケットから取り出し、「これが紫綬褒章です」、と皆に見せていました。「へー、なるほど」と思ってみていましたが、放映後、「不謹慎だ」、「敬意が足りない」とか、ネットで炎上したそうです。
同世代として、「もらったものをどう見せようと勝手だろ」、と思うのは私だけでしょうか?逆に、彼の功績をちゃらにして、普通の特に功績もない人間が(太宰治流にいえば「(人は、)ただ生きているだけでいいのよ」かもしれないが)安い「正義」で、賞賛に値する人を、数や徒党をたのみに批判する下劣な精神にいら立ちます。こういうのを、大衆のルサンチマン(他者に対するやっかみ・怨念)というのではないでしょうか。
若い人は知らないかも知れませんが、昔、永井荷風という著名な作家が年金付きということで文化勲章を受章した際に、その勲章を浅草のヌードレビューのお気に入りの踊り子に身に着けさせ、踊らせ鑑賞したという逸話がありますが、国家、世俗、通俗を憎みぬいた、反骨の文学者永井荷風には当然の行為かも知れません。これに比べると、桑田圭祐の行為は何と温和なものではないでしょうか?
ついでに申しあげますと、荷風は典型的な徹底した近代人で、自己、自我を縛る結婚は生涯放棄し、独居で、最期に馴染みのカツ丼屋で体調悪くおう吐し、他人に迷惑をかけられないとおう吐したカツ丼を再度飲み込み、カツ丼屋を去った後、そのまま、独居所帯で、胃潰瘍で悶え死にをしたのだろうとの逸話のある人です。また、文化勲章の年金を含め、莫大な金額の貯金通帳を残し、他人のためにも働かないが、他人の世話にもならない、という、ある意味潔い作法を生涯通した人です。しかし、渡欧体験や、渡米体験を通じて、日本の知識人や、日本の薄っぺらな近代と文明を憎み、また当時の軍部の専制を憎んだひとで、反近代とでもいうべく、フーゾク狂いのひひ爺いとして花柳界を愛好し、妾契約を結んだりしながらも、狎れ合い、もたれ合いを拒否し、孤独と孤立を通した人であり、その徹底性と、彼の文学者としての業績は、燦然として残っている、というわけです。
一般的な世俗の権威や常識は、誰にでも有効とは限らない訳なのです。(なぜそれなら彼が国家から勲章をもらったかといえば、叙勲による老後の年金が欲しかったらしい。)
私も、高校の時、国語の授業で「墨東奇談」を無理やり読まされ、当時そんなに感心はしません(わかる年代というものがあるよね)でしたが、後年、彼の日記集「断腸亭日常」を読んだ時は大変興味深いものでした。
栄典授与は、決定に至る申請審査中は、交通違反ですら違反行為があれば失着するとのことですが、栄典授与後は、個々の所存の問題です。私には功績がないので、紫綬褒章は受けられませんが、もし受賞したなら、ポケットに入れて皆に見せびらかせて歩くかも知れません、私の勝手です(引かれ者の小唄かも知れないが)。
まだまだ、今年も新しい取り組みをする意欲的な、桑田圭祐ですが、現在は同年の明石家さんまとかにも衰えが見えているようでもあり、彼の復活を祈っています。私たちは側面から、彼の営為を妨げるつまらない世論は、ちゃんと批評しましょう。
余計なことながら、「若者は恋をしなさい」といいましょう。
また、被害者意識から(?) 暴走が多い今日この頃の老人には、ひひ爺いは各自の勝手ですが、「公序良俗を踏み外さないように」、といいましょう。
H27.3.8
栞のテーマ(1974年)
桑田圭祐作詞・作曲
彼女が髪を指で かきあげただけ
それがシビレルしぐさ
こころにいつも あなただけを 映しているの
恋は言葉じゃなく 二人だけの Story yeah
Lady my lady my lady
I wonder if you can love me
Oh no・・・・
彼氏にナニをいわれ 泣いているのか
知らないふり でも
涙の中にいつも 思い出が見えるから
渚にしなやかに通り過ぎてく Melody yeah
Lady my lady my lady
I love you more than you love me
Oh no・・・・
つれないそぶりの Long-brown-hair
ね、どうしてなの なぜに泣けるの
ひところのアナタに戻る
この時こそ大事な Twight - light- game
彼女が髪を指で かきあげただけ
それがシビレルしぐさ
こころにいつも あなただけを 映しているの
このまま二人して 小麦色のMelody yeah
Lady my lady my lady
No-one could love you like I do
Oh no・・・・
やっぱりこの歌が、私にとって一番印象深い曲です。ただ、読むだけならば、特に詞に深みがあるとも思われず、「ただの歌詞じゃねえか、こんなもん」という桑田圭祐の言葉そのままですが、やっぱり当時は、とっても新しい歌でした。もし、ご存じないならばユー・チューブなどで聴いてみてください。
音楽として聞けばとても素敵な曲です(私も今でも歌います。)。
英文を交えたこの歌詞は、それまでの愛を妨げる(?) 逆境の状況、家族、社会の有形無形のあつれきを超えた、自由な性愛の全肯定というような曲であり、男女お互いの親和力と親密さやその行き違いの悲しみを上手に掬い上げています。本当に良質なラブソングです(今でもそう思います)。
これは、「ステレオ太陽族」というアルバムに入っていたと思いますが、アルバム全体がとても新しい音楽で、性愛を赤裸々に歌いながらも、親しみやすく、明るい雰囲気がありました。桑田圭祐は、私と同年で、青山学院の軽音出身だったと思いますが、私が就職して二、三年後くらいに、爆発的に売れだしたと覚えています。彼らの年齢は、はっきり言ってひつじ年還暦です。彼らのバンドは、桑田自身のやんちゃで、ノリのよい雰囲気に触発されたバンドで、彼の姉が大好きだったというビートルズからアメリカロックに至るまで、あらゆるポップスを透過した、桑田の音楽のセンスと、だみ声のボーカルが売りでした(そういえば昔コンサートに行ったのでした。)。
「愛しのエリー」、とか、「私はピアノ」とか大変印象深い好きな曲です。
中期(?)の、「愛の言霊」とか「 Tunami 」とかもいい曲です。それから40年近く経過し、いまだに人気バンドを続けているのですから、それはそれで大したものです。
昨年末、WOWWOWで、「ひつじ年の、ひつじ年による、ひつじ年のためのコンサート」が放映されました。サザンがメンバーの内訌で休止していた際も、彼は「ひとり紅白」と銘打って、大みそかにコンサートをやっていました。もともとは、AAA(Act against aids)支援コンサートとして、主に、彼の支持者の若者のための、エイズ撲滅のためのチャリティコンサートだったのですが、回を重ね、グループの休止により「ひとり紅白歌合戦」に変わって行きました。
彼は出身が茅ケ崎市であり、家業でキャバレー経営(?)していたと聞き、私の居住・生育環境とは全く異なりますが、年代的に、その選曲は、よく得心が行きます(ザ・ピーナッツ、西田佐知子、タイガース、尾崎紀代彦、とか、ただし、土着的な、ど演歌、とかは、少ないようです。少なくとも、多くは私の印象的な曲(アンソロジー)とダブっています。)。日本のポップスのゴールデンエイジというところでしょうか。
一般的な歌謡曲の、男と女の「二人の世界」は、何よりも大事で、本質的、という歌謡曲の王道を歩むものです。
今年の、「ひつじコンサート」で、復活したサザンが歌ったのが下記の曲です。
ピースとハイライト
なにげなく見たニュースで
お隣の人が怒っていた
今までどんなに対話(はな)しても
それぞれの主張は変わらない
教科書は現代史を
やる前に時間切れ
そこが一番知りたいのに
なんでそうなっちゃうの?
希望の苗を植えて行こうよ
地上に愛をそだてていこうよ
未来に平和の花咲くまでは・・・憂鬱(Blue)
絵空事かな?お伽噺かな?
互いの幸せ願うことなど
歴史を照らし合わせて
助け合えたらいいじゃない
硬い拳を振り上げても
心開かない
都合のいい大義名分(かいしゃく)で
争いを仕掛けて
裸の王様が牛耳る世は・・・狂気(Insane)
20世紀で懲りた筈でしょう?
燻(くすぶ)る火種が燃え上がるだけ
いろんな事情があるけどさ
知ろうよ 互いのイイところ!!
希望の苗を植えて行こうよ
地上に愛を育てようよ
この素晴らしい地球(ふるさと)に生まれ
悲しい過去も 愚かな行為も
人間(ひと)は何故に忘れてしまう?
愛することを躊躇(ためら)わないで
書き写していて、(私が聞いた皆の感想のとおり)あまり面白くない、わけですが、共に老いた私も、桑田圭祐もいまさら、恋の歌など書くのは難しいのだろうか、という憮然とした気持ちでしょうか。しかし、この歌を聴いていたら、政治的なバイアスのかかった「憲法9条の会」とか、「脱・原発」とか歌うとかより(晩年の忌野清志郎とか馬鹿な唄を歌っていたぞ)、はるかに誠実な態度でありはしないのか、と思われます。
実際に、国家間の個々の信念対立は、宗教と同じで、「自由の相互承認」しか方法はないよね、お互いの差異と信念を尊重し、妥協点を見つけるしか共存の道はない、わけですから。
また、西欧流の強引な「グローバリゼーション」で、文化、芸術、歌だろうと、無理やり世界均質化を図ろうとしても、それは現在のようにもめるだけです。
そこらあたりの、解決困難な問題や、それぞれ抱えた民族国家の問題、歴史の見方の問題、民族問題にちゅうちょする気持ちと、解決手段はないのかね、と唄うだけでも、桑田圭祐はずいぶんましな歌手(?)なのです。
加齢と、日本ポップスへの貢献、反エイズキャンペーンへの貢献からか、去年桑田圭祐さんは紫綬褒章を受章されました。紫綬褒章は、芸道というか芸能人の功績に対する褒章であり、彼の今までの実績を考えれば至極当然のことと思います。
コンサートで、彼が紫綬褒章をポケットから取り出し、「これが紫綬褒章です」、と皆に見せていました。「へー、なるほど」と思ってみていましたが、放映後、「不謹慎だ」、「敬意が足りない」とか、ネットで炎上したそうです。
同世代として、「もらったものをどう見せようと勝手だろ」、と思うのは私だけでしょうか?逆に、彼の功績をちゃらにして、普通の特に功績もない人間が(太宰治流にいえば「(人は、)ただ生きているだけでいいのよ」かもしれないが)安い「正義」で、賞賛に値する人を、数や徒党をたのみに批判する下劣な精神にいら立ちます。こういうのを、大衆のルサンチマン(他者に対するやっかみ・怨念)というのではないでしょうか。
若い人は知らないかも知れませんが、昔、永井荷風という著名な作家が年金付きということで文化勲章を受章した際に、その勲章を浅草のヌードレビューのお気に入りの踊り子に身に着けさせ、踊らせ鑑賞したという逸話がありますが、国家、世俗、通俗を憎みぬいた、反骨の文学者永井荷風には当然の行為かも知れません。これに比べると、桑田圭祐の行為は何と温和なものではないでしょうか?
ついでに申しあげますと、荷風は典型的な徹底した近代人で、自己、自我を縛る結婚は生涯放棄し、独居で、最期に馴染みのカツ丼屋で体調悪くおう吐し、他人に迷惑をかけられないとおう吐したカツ丼を再度飲み込み、カツ丼屋を去った後、そのまま、独居所帯で、胃潰瘍で悶え死にをしたのだろうとの逸話のある人です。また、文化勲章の年金を含め、莫大な金額の貯金通帳を残し、他人のためにも働かないが、他人の世話にもならない、という、ある意味潔い作法を生涯通した人です。しかし、渡欧体験や、渡米体験を通じて、日本の知識人や、日本の薄っぺらな近代と文明を憎み、また当時の軍部の専制を憎んだひとで、反近代とでもいうべく、フーゾク狂いのひひ爺いとして花柳界を愛好し、妾契約を結んだりしながらも、狎れ合い、もたれ合いを拒否し、孤独と孤立を通した人であり、その徹底性と、彼の文学者としての業績は、燦然として残っている、というわけです。
一般的な世俗の権威や常識は、誰にでも有効とは限らない訳なのです。(なぜそれなら彼が国家から勲章をもらったかといえば、叙勲による老後の年金が欲しかったらしい。)
私も、高校の時、国語の授業で「墨東奇談」を無理やり読まされ、当時そんなに感心はしません(わかる年代というものがあるよね)でしたが、後年、彼の日記集「断腸亭日常」を読んだ時は大変興味深いものでした。
栄典授与は、決定に至る申請審査中は、交通違反ですら違反行為があれば失着するとのことですが、栄典授与後は、個々の所存の問題です。私には功績がないので、紫綬褒章は受けられませんが、もし受賞したなら、ポケットに入れて皆に見せびらかせて歩くかも知れません、私の勝手です(引かれ者の小唄かも知れないが)。
まだまだ、今年も新しい取り組みをする意欲的な、桑田圭祐ですが、現在は同年の明石家さんまとかにも衰えが見えているようでもあり、彼の復活を祈っています。私たちは側面から、彼の営為を妨げるつまらない世論は、ちゃんと批評しましょう。
余計なことながら、「若者は恋をしなさい」といいましょう。
また、被害者意識から(?) 暴走が多い今日この頃の老人には、ひひ爺いは各自の勝手ですが、「公序良俗を踏み外さないように」、といいましょう。
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