このたび、周囲の推薦、あるいは普段あまり話すこともない方から、「「シン・ゴジラ」面白かったよ」、とか言われて、ついに、節を屈し、「シン・ゴジラ」を観に行きました。
まず、その前に、何故ゴジラが嫌なのか考えてみました。
先ごろから機会があって、わが故郷の奥深い山中の清流に住むオオサンショウウオを大量に、何十頭も見学させていただくことがあり、その魁偉な姿は、はなはだ興味深いものでした。それを見るのはいい、おそるおそる触るのはいい、これが地べたを這うのもいい、しかし大きいもので1.2メートルになるこれが立ち上がって、温和な性質が欧米化してしまい攻撃的になり、正面から立ち向かってくるなら、話は別です。やっぱり、両生類、は虫類系は鬼門です。虚構としてもあまり見たくありません。
ゴジラ映画の最初は、やはり「東宝」映画の表示から始まります。「おお、ゴジラ」と懐かしいところです。
しかし、この「シン・ゴジラ」は、その進行の過程で、日本国のゴジラ映画とはまったく関係がないことが明確にされます。関連するのは、アメリカ、ハリウッド映画の「ゴジーラ」(そのように発音しているように聞き取れました。)映画に追随する映画なのが、だんだんに明らかになります。海中投下された核廃棄物を食することにより深海生物が突然変異で生じた怪獣(?) という、アメリカ製の、政治的にバイアスのかかったゴジラの出自は、日本国製と同様でしたが、国境を越え、恣意的にグローバルに活動し、出現ごとに進化していく正体不明の生物という性質が付加されています。どうも、これは、米欧出自のろくでなしの高度金融資本の暗喩なんですかね。ほらあのグローバリズムですよ。アメリカ発という出自がそれを暗示します。最後には、個別の国民国家ではまったくコントロール不能という状況に至るまで同様です。
団塊世代(たとえば、橋本治のエッセイによれば)は、アメリカの水爆実験で日本人が犠牲となった第五福竜丸の放射能被ばくの昏い記憶などから、同時に水爆実験でうまれたたという設定のゴジラを不気味で怖いという認識をしているらしく、再度核兵器の被害者となった当時の日本の世相は理解できますが、私には、このあたりの感覚はよく理解できません(アメリカの懲りない核実験に対する日本人の無力感と恐怖の象徴なんですかね。)。
私とすれば、ゴジラは因果物の怪獣という認識しかなく、宇宙飛行士が打ち上げ国に遺棄されたため宇宙環境で個体変異を起こし怪獣に成り下がったというジャミラという怪獣(ウルトラマン)(これも暗い話ですね。)などと同列のものです。
危機管理映画という見地で見れば、興味深い映画でしたが、アメリカ出自のゴジラが太平洋を越え襲来し、日本国への第二波(ですか?)のゴジラの来襲で、早々と政府首脳が全滅してしまい、暫定政府は、生き残った国務大臣を臨時総理とし、懸命に、アメリカという、自国の失策と責任を不問にし、国連(第二次世界大戦勝ち組の連合国)を巻き込み、いずれ自国が被害を受けないように、期限を勝手に定め、恥知らずに平然と日本国の首都圏でゴジラを核攻撃しようとするアメリカ、それと語らった中共、ロシアほかの強者連合国に対抗します。
リーダーは、内閣官房副長官の若手政務次官(二世議員といいますが、頭もよさそうで各省庁に同窓もいるようで、多分キャリア出身の政治家なのでしょう。)で若手の各省庁の官僚たちを手足として、現実的に直接被害を受ける大多数の国民大衆の生命と財産を守るため、主導権を握り、身命を賭すように懸命に働き、自分たちの政治的・人的な影響力を駆使して、自衛隊と連携し、各省庁の利害を超え、傍流ではあるが各省庁の有能な各専門家を結集し、優秀な民間企業の協力も求め、また、国際政治的にも国連の常任理事国との駆け引きを含めて、日本国としての総力戦により、ついに独自でゴジラを退治することとなります。その描写は誠にテンポが速く痛快で、それぞれの局面でのやり取りが実に興味深く面白いところですが。
ところで、ゴジラ危機管理対策は、心ある政務次官が、最前線に立ち、優秀な官僚たちを取り込み、自衛隊を掌握し、政治的影響力を駆使し、民間企業の技術力と生産力を活用し、特殊重機の特攻的な命がけの運転により血液凝固剤の注入により、ついにゴリラを駆逐するわけですが、それに抗する、抵抗勢力、反動勢力の描写がまったくありませんでした。彼らは、「憲法違反の自衛隊が、有害鳥獣に対し、なぜ軍事行動を行うのか」とか、先の福島原発の炉心融解事故に際し、半ば命がけでに原子炉上から水を散布した尊敬すべき自衛隊員に対しても、国民感情に反し、マスコミが賞賛したことは全くなかったことを考えると、このたびの英雄的な奮闘と努力についても、何の賞賛もしないでしょうね。
私、政治家にも、官僚にもまったく知り合いはおりませんが、唯一著書を介して存じ上げる優れた経済学者中野剛志氏(「TPP亡国論」他多数)のように、大多数の国民の安全と利害に意識的な、本来の官僚の役割を果たすべき志ある官僚たちの存在を信じたい、と思うばかりです。
フランスの社会学者エマニュエル・トッド氏が、自国の多くの大衆の危機に際し、その切実な直接利害のために戦えない、仏国のエリート官僚たちの退廃にいら立つように、私にも、わが日本国で、デフレに際し、財政政策を怠り、景気回復と賃金の引き上げを怠り、際限なく国民に塗炭の苦しみを与え続ける自由主義を信奉する財務省の官僚たちの不作為、不見識、いや国民に対する背信行為が憤ろしいところです。
政治家といえば、先に、財務省の施策の悪乗りし、消費税12%、13%、15%引き上げを提案する石原某大臣、とか、正気を疑うような人が幾らもいるんですね。
あなたたちは知っているのか、私が、毎晩買い物に行くたび、スーパーに売れ残り安売りを目指しおし寄せる主婦や老人、独り者がどれほどいるのか、食料品ですら高い商品は売れず、数量調節の試みや、原価は切られ、生産者と、流通業者、がどれほど疲弊しているか、恥ずかしながら、私も安売り品を目指すが、この状況が国民にとってあとどれだけ耐えられるだろうかと、私ですらその理屈はわかるぞ。
小泉新次郎農林部長、あなたは父親を継ぎ、迷走、構造改革を目指しているが、全国会議員に献本配布されたという「亡国の農協改革」(三橋貴明著)をちゃんと読んだのか。過酷な資本主義に対抗する、利潤を直接目的にしない「農協」が、わが、みずほの国の農業に、地域社会に、あるいは安全な食料にどれだけ貢献しているか、認識したことはあるのか、今後TPP条約を通じ、国内法を改正してまで過剰に迎合し、飢狼のような外国農業資本に、わが国民の経済的利害と食の安全を売り渡すのか、間違った政策に荷担しておやじと二代にわたり、歴史に残る愚挙を繰り返すなよ、と告発します。
この映画を見た方は、国家の危機に際しては、徳義の高い、優秀な政治家が、自己利害を離れ、リーダーシップを発揮し、われわれ大多数の貧しい普通の国民のために働いてくれるかどうかは、あてにならない、バカの民進党は別にして(何度も書いたので)も、自民党のリアルポリティシャン(現実の政治家)を見ていれば、それはきわめて疑わしい、誰がダメなのかよく観察し、肝に銘じ、今後も、ちゃんと監視していきましょう、と諫言いたします。
まず、その前に、何故ゴジラが嫌なのか考えてみました。
先ごろから機会があって、わが故郷の奥深い山中の清流に住むオオサンショウウオを大量に、何十頭も見学させていただくことがあり、その魁偉な姿は、はなはだ興味深いものでした。それを見るのはいい、おそるおそる触るのはいい、これが地べたを這うのもいい、しかし大きいもので1.2メートルになるこれが立ち上がって、温和な性質が欧米化してしまい攻撃的になり、正面から立ち向かってくるなら、話は別です。やっぱり、両生類、は虫類系は鬼門です。虚構としてもあまり見たくありません。
ゴジラ映画の最初は、やはり「東宝」映画の表示から始まります。「おお、ゴジラ」と懐かしいところです。
しかし、この「シン・ゴジラ」は、その進行の過程で、日本国のゴジラ映画とはまったく関係がないことが明確にされます。関連するのは、アメリカ、ハリウッド映画の「ゴジーラ」(そのように発音しているように聞き取れました。)映画に追随する映画なのが、だんだんに明らかになります。海中投下された核廃棄物を食することにより深海生物が突然変異で生じた怪獣(?) という、アメリカ製の、政治的にバイアスのかかったゴジラの出自は、日本国製と同様でしたが、国境を越え、恣意的にグローバルに活動し、出現ごとに進化していく正体不明の生物という性質が付加されています。どうも、これは、米欧出自のろくでなしの高度金融資本の暗喩なんですかね。ほらあのグローバリズムですよ。アメリカ発という出自がそれを暗示します。最後には、個別の国民国家ではまったくコントロール不能という状況に至るまで同様です。
団塊世代(たとえば、橋本治のエッセイによれば)は、アメリカの水爆実験で日本人が犠牲となった第五福竜丸の放射能被ばくの昏い記憶などから、同時に水爆実験でうまれたたという設定のゴジラを不気味で怖いという認識をしているらしく、再度核兵器の被害者となった当時の日本の世相は理解できますが、私には、このあたりの感覚はよく理解できません(アメリカの懲りない核実験に対する日本人の無力感と恐怖の象徴なんですかね。)。
私とすれば、ゴジラは因果物の怪獣という認識しかなく、宇宙飛行士が打ち上げ国に遺棄されたため宇宙環境で個体変異を起こし怪獣に成り下がったというジャミラという怪獣(ウルトラマン)(これも暗い話ですね。)などと同列のものです。
危機管理映画という見地で見れば、興味深い映画でしたが、アメリカ出自のゴジラが太平洋を越え襲来し、日本国への第二波(ですか?)のゴジラの来襲で、早々と政府首脳が全滅してしまい、暫定政府は、生き残った国務大臣を臨時総理とし、懸命に、アメリカという、自国の失策と責任を不問にし、国連(第二次世界大戦勝ち組の連合国)を巻き込み、いずれ自国が被害を受けないように、期限を勝手に定め、恥知らずに平然と日本国の首都圏でゴジラを核攻撃しようとするアメリカ、それと語らった中共、ロシアほかの強者連合国に対抗します。
リーダーは、内閣官房副長官の若手政務次官(二世議員といいますが、頭もよさそうで各省庁に同窓もいるようで、多分キャリア出身の政治家なのでしょう。)で若手の各省庁の官僚たちを手足として、現実的に直接被害を受ける大多数の国民大衆の生命と財産を守るため、主導権を握り、身命を賭すように懸命に働き、自分たちの政治的・人的な影響力を駆使して、自衛隊と連携し、各省庁の利害を超え、傍流ではあるが各省庁の有能な各専門家を結集し、優秀な民間企業の協力も求め、また、国際政治的にも国連の常任理事国との駆け引きを含めて、日本国としての総力戦により、ついに独自でゴジラを退治することとなります。その描写は誠にテンポが速く痛快で、それぞれの局面でのやり取りが実に興味深く面白いところですが。
ところで、ゴジラ危機管理対策は、心ある政務次官が、最前線に立ち、優秀な官僚たちを取り込み、自衛隊を掌握し、政治的影響力を駆使し、民間企業の技術力と生産力を活用し、特殊重機の特攻的な命がけの運転により血液凝固剤の注入により、ついにゴリラを駆逐するわけですが、それに抗する、抵抗勢力、反動勢力の描写がまったくありませんでした。彼らは、「憲法違反の自衛隊が、有害鳥獣に対し、なぜ軍事行動を行うのか」とか、先の福島原発の炉心融解事故に際し、半ば命がけでに原子炉上から水を散布した尊敬すべき自衛隊員に対しても、国民感情に反し、マスコミが賞賛したことは全くなかったことを考えると、このたびの英雄的な奮闘と努力についても、何の賞賛もしないでしょうね。
私、政治家にも、官僚にもまったく知り合いはおりませんが、唯一著書を介して存じ上げる優れた経済学者中野剛志氏(「TPP亡国論」他多数)のように、大多数の国民の安全と利害に意識的な、本来の官僚の役割を果たすべき志ある官僚たちの存在を信じたい、と思うばかりです。
フランスの社会学者エマニュエル・トッド氏が、自国の多くの大衆の危機に際し、その切実な直接利害のために戦えない、仏国のエリート官僚たちの退廃にいら立つように、私にも、わが日本国で、デフレに際し、財政政策を怠り、景気回復と賃金の引き上げを怠り、際限なく国民に塗炭の苦しみを与え続ける自由主義を信奉する財務省の官僚たちの不作為、不見識、いや国民に対する背信行為が憤ろしいところです。
政治家といえば、先に、財務省の施策の悪乗りし、消費税12%、13%、15%引き上げを提案する石原某大臣、とか、正気を疑うような人が幾らもいるんですね。
あなたたちは知っているのか、私が、毎晩買い物に行くたび、スーパーに売れ残り安売りを目指しおし寄せる主婦や老人、独り者がどれほどいるのか、食料品ですら高い商品は売れず、数量調節の試みや、原価は切られ、生産者と、流通業者、がどれほど疲弊しているか、恥ずかしながら、私も安売り品を目指すが、この状況が国民にとってあとどれだけ耐えられるだろうかと、私ですらその理屈はわかるぞ。
小泉新次郎農林部長、あなたは父親を継ぎ、迷走、構造改革を目指しているが、全国会議員に献本配布されたという「亡国の農協改革」(三橋貴明著)をちゃんと読んだのか。過酷な資本主義に対抗する、利潤を直接目的にしない「農協」が、わが、みずほの国の農業に、地域社会に、あるいは安全な食料にどれだけ貢献しているか、認識したことはあるのか、今後TPP条約を通じ、国内法を改正してまで過剰に迎合し、飢狼のような外国農業資本に、わが国民の経済的利害と食の安全を売り渡すのか、間違った政策に荷担しておやじと二代にわたり、歴史に残る愚挙を繰り返すなよ、と告発します。
この映画を見た方は、国家の危機に際しては、徳義の高い、優秀な政治家が、自己利害を離れ、リーダーシップを発揮し、われわれ大多数の貧しい普通の国民のために働いてくれるかどうかは、あてにならない、バカの民進党は別にして(何度も書いたので)も、自民党のリアルポリティシャン(現実の政治家)を見ていれば、それはきわめて疑わしい、誰がダメなのかよく観察し、肝に銘じ、今後も、ちゃんと監視していきましょう、と諫言いたします。
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