この「世の中」には、「とても自分ではできないなー」と思うスポーツや娯楽もいくらもあるわけです。それは要するに費用がないせいなのか、能力・技術不足のせいなのか、もう費やす時間がないせいなのか、またはその複合原因であるのか、一番大きいのはその「やってみたい」という熱意と意欲が絶対的に不足しているのかも知れません。
そのひとつが、この番組であつかわれる、高所登山レースです。
体力に自信のなくなった現在の私の視点から、というのは当然ながら、私には北アルプス、中央アルプス、南アルプスと、アルプスと名のつくような登山経験はあまりありません。しかしながら、「海と山とどっちが好き」といわれたら、「山」と答えてしまう自分ではあります。
標記のレースは、2年に一度行われるそうであり、日本海側の富山湾から、太平洋側の静岡県の海岸に至るまで、総距離415km、八月初旬からお盆をまたぐまで、8日間を限度に、昼夜を問わず軽装備(ザックひとつに水を除いた一切の装備を用意、重量5キロ程度)で、駆け抜けるタイムレースです。
山好きといいつつ、日本アルプス連山などといえば、確かひとつくらいは家族で登ったな、と思う程度の人間が、こんなレースについて言及するのはおこがましいかぎりではあります(納得)。
このレースは、素人にも明らかに過酷と思われるレースで、標高3000m級の山々を、何箇所も登り降り、各アルプスの移動間は、それぞれの何十キロもある一般道路を走りぬき、いわば本土で一番急峻な山々を、独力で、登ったり降りたり、自己判断で休息もとらず徒歩で横断するわけであるので、厳しくないはずはないのですが(もし、万一死者が出たら「形式的・人命・人権・平等性尊重団体」(別名「腐った民主主義団体」)から「中止せよ」と圧力がかかるだろうな、という厳しい日程です。)、何回もつづけられています。
さすがに、予選があり、フルマラソンのタイムとか、登山や露営の技術などが試されるらしく、その参加の意欲や熱意だけでは間に合わず、事前にふるいにかけられるらしいところです。
今回が8回目(2002年開始)とか言っていましたので、すくなくとも、今まで15年以上は続いているようです。賞金などまったくなく受けるのは名誉だけ、という、無償のレースであり、したがって、事故があっても、たぶん任意保険は利かず、その参加費用は持ち出しになるはずですが、それでも第一次選考を経た、30人弱の参加者たちが、参集し、常連の参加者も確かにいます。やはり、業界(?) 、 仲間うちでは権威ある、大きなトロフィーなのでしょう。
そうであれば、次にどんな人が参加しているかが、興味深いところですが、一番多かったのは、かつて山小屋などで、「歩荷(ぼっか)」というのでしょうか、ふもとから山小屋まで資材運搬などを勤めていた人たちでした。私のかつての少ない登山体験で、背中の背負子に数メートルの高さの荷物を背負い、厳しい登山道を歩き始める彼らを見て驚嘆したことがあります。参加者たちは、おおむね、30代から40代、若くて20代の後半、最高齢が50歳代の前半の男性、しかしながら、50歳代で完走を果たした人は今までいないそうです。女性も数名参加しています。
この番組が好評だったせいでしょうか、私が見た範囲では、様々な印象深い参加者たちが参加にいたるまでの経緯や、それにいたる人性についても、別に特集された番組もありました。
レースはやはり、前回のチャンピオン(S県山岳救助隊の隊員)と、前回次席の選手(元山小屋勤務の競技者)を中心に展開されることとなりました。彼らはお互いにけん制しあい、一緒に歩いたり、一緒に露営したり、また別に出発したりと駆け引きの連続です。おそらく彼らは、競技者として別格の存在であろうと、見ていて理解できます。
しかしながら、一流のアスリートでも、節制というのはまことに困難らしく、熱暑の中を歩いてきた次席の選手は、自動販売機の前で立ち止まり、あっという間に、ジュースとか缶コーヒーとかあらゆるものを一挙に飲み干し、その後内臓をやられてしまいます。その後で彼はようやくたどりついた、中央アルプスの山小屋で、「もし、何も食べられなかったら、もう棄権する」、といい、のびてふやかしたカレーヌードル(高カロリーでくせのあるなんとすごいものを食べると感心しました。)を前にして、時間をかけて必死で食べていました。
次の日に、カメラが彼を捕らえると、彼はすっかりピンピンしており、すでに小走りにコースを走っています。「この立ち直りができる、というのもレースの醍醐味ですから」という彼のコメントに思わず笑ってしまいました。
いずれにせよ、どの選手も、2年をかけ、このレースのために、修練し、調査し、節制してくるようです。
40代後半のいかにもお人よしそうな参加者がいました。
彼は前回完走できなかったため、仕事をやめてしまい、準備のため心肺トレーニングをはじめ、あらゆる鍛錬と、コースの事前調査をしています。どうも、独身生活らしく、貯金を取り崩して生活しているということで、若からぬその風貌と、そのおっとりとした話し方から、現世的な競争(万人の万人に対する闘争)からは外れた(?) 少し変わった人ではあるようです。温和で、攻撃的でもないような様子の彼も、前回のレースで中途棄権した結果が悔しくて、このたび捲土重来を目指すようです。
「普通の主婦である」と自称する、30代の女性もおりました。
彼女が、レースの途中で、立ち止まって板チョコをかじっており、「板チョコ一枚、完食なんて普通の生活じゃありえないでしょ」と、あっけらかんと、と答えていましたが、細身の女性にもかかわらず、女性というのは、(容姿を維持するため)あらゆる状況でひたすら、辛抱・我慢と節制の人性なんですね、と、まったく関係ないところでこのたび感心しました。
もう一人挙げれば、最年長の50歳代前半の男性がおりました。彼も同様に、山小屋勤務か、 「ぼっか」か、若いころ長く山岳人性(?) を送っており、そのとき(若いとき)になだれで遭難し、死にかけて、登山者に救出されたという体験を経ています。このたび、自分の残年数(人性の)を数えながら、当該場所を再訪し、再度自分の人性に係る士気を鼓舞したい(?) と考えているらしく、妻の心配そうな表情と裏腹に、レースに参加したようです。いまだに、50歳代では、今までに完走者がいないという厳しい現実ではありますが、この方も、少し憂き世離れ(?) したところがあります。
最後が、あのチャンピオンです。彼は、このたび、いままで実現できなかった5日間で完走、という驚異的な高い目標を掲げており、そのため、仕事や、鍛錬など、たぶん結婚しないなど、節制した厳しい人性を歩んでいます。次点の選手が、ジュースを飲みすぎるなど甘いところがあるに比べて、隙のない、まじめな(?) アスリートです。カメラのインタビューも上手くあしらいます。
アルプス踏破のあと、一般道に入った山合の集落が彼のふるさとであることが明らかにされます。近所の人が総出で応援に出ていて、軽トラに乗った母親も駆けつけます。微妙に恥ずかしそうな彼の顔と、「今年はまだ余裕がありそうですね」と、いう母親の心配そうな顔が興味深いところです。
レースが進むにつれ、個々の能力差が明らかになり、大きな差がついていきます。
個々の年齢差、日常的な鍛錬の差、また、運不運にいたるまで、レースがすすむにつれ、競技者たちはひたすら苦痛のような時間となります。カメラを回す側からの、ある意味無神経なインタビューにも、全員が誠実に答えています。この番組の焦点は、だんだん今までに経てきた彼らの個々の人性につながっていきます。なかなか興味深いところです。
しかしながら、みな、謙虚で、温厚な人ばかりです。まさしく日本人らしい、ということですね。なぜそうなのかと考え、その様子をみていると、あたかも、「登山道(とざんどう:とざんの教え)」というような言葉が思い浮かびます。彼らは、登山を通じて、登山者として、求道者として、自己の人格を陶冶し、周囲とその相互の融和と人格の向上を図っていくのですね。
また、そそり立つ日本のアルプス地帯の絶景はさることながら、朝焼けも、夕焼けも、赤や、水色や、オレンジ色など、その色彩のグラデーションは、這い松などの眼にしみるような緑や、尾根道の花々の色々とあいまって、息を呑むような美しさです。
しかし、それは見ているものには絶景であっても、急ぐ競技者には、ちゃんと見えているのだろうかと疑わしいところではあります。
ただし、この厳しいレースにも祝祭みたいなものはあるんですね。経営者の芳志なのか、道沿いの、とあるスーパーで、ビニルトタンばりの小屋みたいなところで、皆がバケツで足を冷やすなどくつろぎながら、差し入れらしき、スイカをぱくつきます。つかの間の休息でしょうが、心和む光景ではあります。
さすがに、最後の市街地に入り、順調に移動していたはずのチャンピオンが疲労し、ペースが極端に落ちてきました。しかし、それと認めた、道そばの観衆たちが声援を送り始めました。そうしたら、走れるのですね。「長距離ランナーの孤独」(それが自ら求めた孤独、孤立の覚悟が自己の推力になるという意味であれば)とか、あれは、うそっぱちですね。周囲の、大多数の人々の、他者承認の態度とか、声援とかあれば人間どうにかなるのですね。彼は活力を取り戻し、とうとう、5日(4日と23時間50数分くらいだったと思う。)ぎりぎりで、見事、優勝と驚異的な新記録を達成しました。
次点の、Kさんが見せ場を作りました。
疲労困憊の末、最期の市街地では(残酷な) カメラの問いかけに反応しなくなり、ひたすら、前のみを見て歩き(走り)続けることになりましたが、とうとう、海浜に設けられた、ゴールラインにたどり着きました。そのとたんに、涙ながらに、「どうも申し訳ありません」と謝罪し始めたのにびっくりしました。レース終盤で、カメラの無遠慮な質問にこたえなかったことに耐えきれなくなったのですね。非常に自罰的で、喜びより、倫理的な反省をするなど、やっぱり、この人も「登山道」の求道者ですね。
本来、日本には、山岳信仰はあるかも知れないのですが、現在では、登山はスポーツと考えるとしても、今も、大多数の「日本人」の心の動きとすれば、そのようなものなのかもしれません。
彼は、40歳になり体力的に今年が最後といっていましたが、きちんと妻の支援もあるようで、なかなか興味深い人でしたので、結局は、このたび自己記録を更新したことでもあり、二年のうちに気持ちを切り替えて、「また、出ました」と次回、是非参加して欲しいところです。
「普通の主婦である」と自称する、30代の女性も、足のつめをはがしながらも、8日以内に無事ゴールしました。他にも、鼻血を流したまま、鬼気迫る形相で走っていた人も最後にはゴールでき、見ているほうは、「ああ、よかった」とも、興味深い(?) ところでした。
このレースを「人性の目的」にして、離職までして臨んだ40代後半のいかにもお人良しそうな参加者も、無事、時間内に完走しました。
結果として、30人弱の参加者で、25人完走ということであり、今年(2016年)はすばらしい結果だったということです。
しかしながら、例の50歳過ぎの男性は、苦闘の末、時間内にクリアーができずに、中途棄権ということとなりました。彼は、道路上でずっと待ちわびていた妻に、「どうも申し訳ありません」、と、感極まり、涙ながらに、謝罪します。わがままを通したのでしょうから、やむを得ない、ですね、しかし、彼らのやり取りをみていると、妻が夫の身を確かに案じているのが見るほうにもよく伝わってきます。彼のその振る舞いには、どこか愛嬌があり、近所の人が、彼を鼓舞するため、手製の大きなのぼりを作ってくれたとのことでもあり、いわゆる「世間」との折り合いはキチンとできる人なのでしょう。
「もう、次はないな」、というのが、見る側の率直な感想ですが、本当のところは、同じおやじとして考えれば、本当に次回をどうするのかは、よくわかりません、ね。
たぶん、私が死ぬまで、眼前で、もう肉眼で見ることはないであろう日本のアルプスの峻険で孤高な自然の美しさは別にしても、この番組は、大変興味深く、現実に動いている人たちの人間模様というか、まさに面白いドラマでした。つい、今でも、何度も見返してしまうところです。
(私の観たのがBSプレミアムの再放送であり、次回の放映はわかりませんが、3月24日にDVD発売がされるそうです。)
そのひとつが、この番組であつかわれる、高所登山レースです。
体力に自信のなくなった現在の私の視点から、というのは当然ながら、私には北アルプス、中央アルプス、南アルプスと、アルプスと名のつくような登山経験はあまりありません。しかしながら、「海と山とどっちが好き」といわれたら、「山」と答えてしまう自分ではあります。
標記のレースは、2年に一度行われるそうであり、日本海側の富山湾から、太平洋側の静岡県の海岸に至るまで、総距離415km、八月初旬からお盆をまたぐまで、8日間を限度に、昼夜を問わず軽装備(ザックひとつに水を除いた一切の装備を用意、重量5キロ程度)で、駆け抜けるタイムレースです。
山好きといいつつ、日本アルプス連山などといえば、確かひとつくらいは家族で登ったな、と思う程度の人間が、こんなレースについて言及するのはおこがましいかぎりではあります(納得)。
このレースは、素人にも明らかに過酷と思われるレースで、標高3000m級の山々を、何箇所も登り降り、各アルプスの移動間は、それぞれの何十キロもある一般道路を走りぬき、いわば本土で一番急峻な山々を、独力で、登ったり降りたり、自己判断で休息もとらず徒歩で横断するわけであるので、厳しくないはずはないのですが(もし、万一死者が出たら「形式的・人命・人権・平等性尊重団体」(別名「腐った民主主義団体」)から「中止せよ」と圧力がかかるだろうな、という厳しい日程です。)、何回もつづけられています。
さすがに、予選があり、フルマラソンのタイムとか、登山や露営の技術などが試されるらしく、その参加の意欲や熱意だけでは間に合わず、事前にふるいにかけられるらしいところです。
今回が8回目(2002年開始)とか言っていましたので、すくなくとも、今まで15年以上は続いているようです。賞金などまったくなく受けるのは名誉だけ、という、無償のレースであり、したがって、事故があっても、たぶん任意保険は利かず、その参加費用は持ち出しになるはずですが、それでも第一次選考を経た、30人弱の参加者たちが、参集し、常連の参加者も確かにいます。やはり、業界(?) 、 仲間うちでは権威ある、大きなトロフィーなのでしょう。
そうであれば、次にどんな人が参加しているかが、興味深いところですが、一番多かったのは、かつて山小屋などで、「歩荷(ぼっか)」というのでしょうか、ふもとから山小屋まで資材運搬などを勤めていた人たちでした。私のかつての少ない登山体験で、背中の背負子に数メートルの高さの荷物を背負い、厳しい登山道を歩き始める彼らを見て驚嘆したことがあります。参加者たちは、おおむね、30代から40代、若くて20代の後半、最高齢が50歳代の前半の男性、しかしながら、50歳代で完走を果たした人は今までいないそうです。女性も数名参加しています。
この番組が好評だったせいでしょうか、私が見た範囲では、様々な印象深い参加者たちが参加にいたるまでの経緯や、それにいたる人性についても、別に特集された番組もありました。
レースはやはり、前回のチャンピオン(S県山岳救助隊の隊員)と、前回次席の選手(元山小屋勤務の競技者)を中心に展開されることとなりました。彼らはお互いにけん制しあい、一緒に歩いたり、一緒に露営したり、また別に出発したりと駆け引きの連続です。おそらく彼らは、競技者として別格の存在であろうと、見ていて理解できます。
しかしながら、一流のアスリートでも、節制というのはまことに困難らしく、熱暑の中を歩いてきた次席の選手は、自動販売機の前で立ち止まり、あっという間に、ジュースとか缶コーヒーとかあらゆるものを一挙に飲み干し、その後内臓をやられてしまいます。その後で彼はようやくたどりついた、中央アルプスの山小屋で、「もし、何も食べられなかったら、もう棄権する」、といい、のびてふやかしたカレーヌードル(高カロリーでくせのあるなんとすごいものを食べると感心しました。)を前にして、時間をかけて必死で食べていました。
次の日に、カメラが彼を捕らえると、彼はすっかりピンピンしており、すでに小走りにコースを走っています。「この立ち直りができる、というのもレースの醍醐味ですから」という彼のコメントに思わず笑ってしまいました。
いずれにせよ、どの選手も、2年をかけ、このレースのために、修練し、調査し、節制してくるようです。
40代後半のいかにもお人よしそうな参加者がいました。
彼は前回完走できなかったため、仕事をやめてしまい、準備のため心肺トレーニングをはじめ、あらゆる鍛錬と、コースの事前調査をしています。どうも、独身生活らしく、貯金を取り崩して生活しているということで、若からぬその風貌と、そのおっとりとした話し方から、現世的な競争(万人の万人に対する闘争)からは外れた(?) 少し変わった人ではあるようです。温和で、攻撃的でもないような様子の彼も、前回のレースで中途棄権した結果が悔しくて、このたび捲土重来を目指すようです。
「普通の主婦である」と自称する、30代の女性もおりました。
彼女が、レースの途中で、立ち止まって板チョコをかじっており、「板チョコ一枚、完食なんて普通の生活じゃありえないでしょ」と、あっけらかんと、と答えていましたが、細身の女性にもかかわらず、女性というのは、(容姿を維持するため)あらゆる状況でひたすら、辛抱・我慢と節制の人性なんですね、と、まったく関係ないところでこのたび感心しました。
もう一人挙げれば、最年長の50歳代前半の男性がおりました。彼も同様に、山小屋勤務か、 「ぼっか」か、若いころ長く山岳人性(?) を送っており、そのとき(若いとき)になだれで遭難し、死にかけて、登山者に救出されたという体験を経ています。このたび、自分の残年数(人性の)を数えながら、当該場所を再訪し、再度自分の人性に係る士気を鼓舞したい(?) と考えているらしく、妻の心配そうな表情と裏腹に、レースに参加したようです。いまだに、50歳代では、今までに完走者がいないという厳しい現実ではありますが、この方も、少し憂き世離れ(?) したところがあります。
最後が、あのチャンピオンです。彼は、このたび、いままで実現できなかった5日間で完走、という驚異的な高い目標を掲げており、そのため、仕事や、鍛錬など、たぶん結婚しないなど、節制した厳しい人性を歩んでいます。次点の選手が、ジュースを飲みすぎるなど甘いところがあるに比べて、隙のない、まじめな(?) アスリートです。カメラのインタビューも上手くあしらいます。
アルプス踏破のあと、一般道に入った山合の集落が彼のふるさとであることが明らかにされます。近所の人が総出で応援に出ていて、軽トラに乗った母親も駆けつけます。微妙に恥ずかしそうな彼の顔と、「今年はまだ余裕がありそうですね」と、いう母親の心配そうな顔が興味深いところです。
レースが進むにつれ、個々の能力差が明らかになり、大きな差がついていきます。
個々の年齢差、日常的な鍛錬の差、また、運不運にいたるまで、レースがすすむにつれ、競技者たちはひたすら苦痛のような時間となります。カメラを回す側からの、ある意味無神経なインタビューにも、全員が誠実に答えています。この番組の焦点は、だんだん今までに経てきた彼らの個々の人性につながっていきます。なかなか興味深いところです。
しかしながら、みな、謙虚で、温厚な人ばかりです。まさしく日本人らしい、ということですね。なぜそうなのかと考え、その様子をみていると、あたかも、「登山道(とざんどう:とざんの教え)」というような言葉が思い浮かびます。彼らは、登山を通じて、登山者として、求道者として、自己の人格を陶冶し、周囲とその相互の融和と人格の向上を図っていくのですね。
また、そそり立つ日本のアルプス地帯の絶景はさることながら、朝焼けも、夕焼けも、赤や、水色や、オレンジ色など、その色彩のグラデーションは、這い松などの眼にしみるような緑や、尾根道の花々の色々とあいまって、息を呑むような美しさです。
しかし、それは見ているものには絶景であっても、急ぐ競技者には、ちゃんと見えているのだろうかと疑わしいところではあります。
ただし、この厳しいレースにも祝祭みたいなものはあるんですね。経営者の芳志なのか、道沿いの、とあるスーパーで、ビニルトタンばりの小屋みたいなところで、皆がバケツで足を冷やすなどくつろぎながら、差し入れらしき、スイカをぱくつきます。つかの間の休息でしょうが、心和む光景ではあります。
さすがに、最後の市街地に入り、順調に移動していたはずのチャンピオンが疲労し、ペースが極端に落ちてきました。しかし、それと認めた、道そばの観衆たちが声援を送り始めました。そうしたら、走れるのですね。「長距離ランナーの孤独」(それが自ら求めた孤独、孤立の覚悟が自己の推力になるという意味であれば)とか、あれは、うそっぱちですね。周囲の、大多数の人々の、他者承認の態度とか、声援とかあれば人間どうにかなるのですね。彼は活力を取り戻し、とうとう、5日(4日と23時間50数分くらいだったと思う。)ぎりぎりで、見事、優勝と驚異的な新記録を達成しました。
次点の、Kさんが見せ場を作りました。
疲労困憊の末、最期の市街地では(残酷な) カメラの問いかけに反応しなくなり、ひたすら、前のみを見て歩き(走り)続けることになりましたが、とうとう、海浜に設けられた、ゴールラインにたどり着きました。そのとたんに、涙ながらに、「どうも申し訳ありません」と謝罪し始めたのにびっくりしました。レース終盤で、カメラの無遠慮な質問にこたえなかったことに耐えきれなくなったのですね。非常に自罰的で、喜びより、倫理的な反省をするなど、やっぱり、この人も「登山道」の求道者ですね。
本来、日本には、山岳信仰はあるかも知れないのですが、現在では、登山はスポーツと考えるとしても、今も、大多数の「日本人」の心の動きとすれば、そのようなものなのかもしれません。
彼は、40歳になり体力的に今年が最後といっていましたが、きちんと妻の支援もあるようで、なかなか興味深い人でしたので、結局は、このたび自己記録を更新したことでもあり、二年のうちに気持ちを切り替えて、「また、出ました」と次回、是非参加して欲しいところです。
「普通の主婦である」と自称する、30代の女性も、足のつめをはがしながらも、8日以内に無事ゴールしました。他にも、鼻血を流したまま、鬼気迫る形相で走っていた人も最後にはゴールでき、見ているほうは、「ああ、よかった」とも、興味深い(?) ところでした。
このレースを「人性の目的」にして、離職までして臨んだ40代後半のいかにもお人良しそうな参加者も、無事、時間内に完走しました。
結果として、30人弱の参加者で、25人完走ということであり、今年(2016年)はすばらしい結果だったということです。
しかしながら、例の50歳過ぎの男性は、苦闘の末、時間内にクリアーができずに、中途棄権ということとなりました。彼は、道路上でずっと待ちわびていた妻に、「どうも申し訳ありません」、と、感極まり、涙ながらに、謝罪します。わがままを通したのでしょうから、やむを得ない、ですね、しかし、彼らのやり取りをみていると、妻が夫の身を確かに案じているのが見るほうにもよく伝わってきます。彼のその振る舞いには、どこか愛嬌があり、近所の人が、彼を鼓舞するため、手製の大きなのぼりを作ってくれたとのことでもあり、いわゆる「世間」との折り合いはキチンとできる人なのでしょう。
「もう、次はないな」、というのが、見る側の率直な感想ですが、本当のところは、同じおやじとして考えれば、本当に次回をどうするのかは、よくわかりません、ね。
たぶん、私が死ぬまで、眼前で、もう肉眼で見ることはないであろう日本のアルプスの峻険で孤高な自然の美しさは別にしても、この番組は、大変興味深く、現実に動いている人たちの人間模様というか、まさに面白いドラマでした。つい、今でも、何度も見返してしまうところです。
(私の観たのがBSプレミアムの再放送であり、次回の放映はわかりませんが、3月24日にDVD発売がされるそうです。)
次点のK選手(実は「紺野」選手)は、やっぱり本当に優秀なアスリートなんですね。彼が水分摂取の管理や、カメラへの過剰な受け答えなどやめていれば、優勝した望月選手とデッドヒートができたと再度確信しました。彼は、国内山岳レースには何度も優勝したとのことですが、負荷マラソン(重量をかついで走るマラソン)の世界記録保持者の望月選手に比べ、勝負への執着が薄いのですね。勝負なので勝たなければ意味がないのは、確かですが、「競い合う喜び(?)」などと、いっていた、紺野選手が、二年後、もう来年ですね、今度はどんなレースをするのか、冷徹に、望月選手に肉迫するのか、やっぱりとても楽しみです。
次もぜひ出てきてくださいね。