天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

日本の七大思想家(小浜逸郎)を読む前に

2015-06-09 21:47:06 | 哲学・文学・歴史
敗戦経験という基軸
(斜体部分は私の引用・加筆です。)
                        H25.2.20
Ⅰ 敗戦体験は日本史上最大の事件である
① 推定300万人という死者の数、投入された兵員、軍事物資、戦費の膨大さ、
 という量的な側面
② 国際舞台での西洋列強(外部の強敵)との総力戦、という質的な側面 
③ その局面における大日本帝国全体の完膚なきまでの敗北
④ 中国本土への泥沼的侵攻とその失敗
⑤ 沖縄戦、本土空襲、原爆投下などによる国土のいまだかってない荒廃
⑥ 7年近くによる他国の占領統治と、「勝者の裁き」としての東京裁判
⑦ 軍事大国の道から経済大国の道への転換
⑧ アジアで唯一近代化の道を進みつつあった途上での屈折と挫折
⑨ 西洋から近代化、帝国主義、植民地主義を学んだ一民族国家の敗北の必然性
⑩ 戦前、戦中の国民のエートスのあり方と、敗戦後のそれとの大きな変化
⑪ 敗戦前と敗戦後におけるイデオロギー的な価値観の極端な転換。民主化の徹底
⑫ 67年後の今日にいたるまでも、日本の政治構造、外交姿勢、思想の型などに直接の後遺症と思われる現象が強く残り、今後もその後遺症が衰えそうな 気配を見せないこと

   明治維新・・・藩政の解体、中央集権的国家建設及び近代的国民意識(ナショナリズム)の形成に至る大変動 → その後の大挫折(敗戦)
      
    アジアからも西洋からも孤立した国家としての、哀しい近代化の内包
     (国民のエートス:「私は鳥でもありませぬ、獣でもありませぬ」太宰治)
         Ex) 戦友(日露戦争)
           海ゆかば(日中戦争)
Ⅱ 近代日本の建設と屈折と思想家との関連
 第二次世界大戦敗北(最大事件)と思想家との格闘
  日本の近代とよく格闘した者
   ◎西洋近代の思考そのものを相対化しえたもの  (私見:和辻、小林、大森)
   ◎西洋思考を取り込んだうえで日本「近代」の問題の剔抉(てっけつ)を行いえ
    たもの (私見:福沢、時枝、丸山、吉本)
Ⅲ 「七大思想家」とはだれなのか
  生年順とすれば、福沢諭吉(1835~1901)(社会思想)、和辻哲郎(1889~1960)(倫
 理思想)、時枝誠記(1900~19 67)(言語思想)、小林秀雄(1902~1983)(実存思想)
 丸山眞男(1914~1996)(政治思想)、大森荘蔵(1921~1997)(哲学思想)、吉本隆明
 (1914~2012)(文学思想)(2012年3月16日死亡)と表現される。

モチベーションとして
① 第二次大戦の敗北という日本史上最大の衝撃から、日本思想は何を語り始めたかを確認すること
② それぞれの思想家と思想家の連鎖の中で、関連性、共通性(背反しているような場合を含め)を見出すこと
③ 日本近代とはそもそも何であったのか、その中途における挫折の意味を確認し、本来の姿を現代に活かすには、近代思想のエッセンスの何を取り出すべきなのかを定位すること
 日本近代思想を検討することにより西洋思想を超えていることも発見できるかも知れない!!

(私見)
 個人的に、なぜ私は、社会科学系(文学の本を含みます。)の本を読むのか、問い返してみました。
 学生時代は、「なぜ私はここにいるのか」から始まって、「世界とは、そもそも日本、日本人とは何なのか」という話に派生して行きました。この本で挙げられる思想家は、(一部を除いて)当時の学生たちに強く支持された人たちです。
 著者は、近代の問題は、これらを批判的に扱うことで、解明できるのではないか、非欧、非亜の独自の日本及び日本人論を試みており、現在の私にとって大変興味深い、切実な本です。また、かつて吉本が言ったように「普遍的に語れ」という態度を自己に期しているように思います。
 実は、個人的に、千年に一度の大災害の3.11後の発言を、同時にこの著者に求めていました。その期間の沈黙が、このように結実したのは、とてもうれしいことです。
 今は年のせいか、悪たれていた昔は別にして(「政治の季節」も、「全共闘」も今思えば何のこともなかったのです。)、「美しい自然と優れた文化的価値の収斂していく日本(実体としての日本国家)はやっぱり私の祖国だ」に変わっていき、つまらないグローバリゼーションで根こそぎにされ(経済社会的にも、芸術文化的にも、勤勉でお人よしの国民性にしても)、二流の西洋系国家(?)に頽落するのは、断じて嫌だと思っています。
 残り少ない(?)人性ですが、先に亡くなった内村剛介がいった、「視るべきほどのものは見つ」という姿勢で(彼の場合はどうかな?と思いますが)、自らの信じる<価値>と、<私の好きな><日本>のために戦っていきたい、と考えています。

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