(毎年4月29日に、山口市の中原中也記念館において、「中原中也賞」の授賞式とともに、「中原中也生誕祭」が行われます。その、公式行事として、一般の人を対象にして、申し込み順で、詩の朗読会があります。そのテーマは、中也の実作でも良いし、オマージュでも何でも自由らしいところです。今年、たまたま、その紹介番組をテレビで観ていましたが、どこかのじじい(蔑称)が、つまらない、政治的デマゴーグを読み上げ(あれは、バカサヨクではないのか。)、当方、赤面逆上し、中也になりかわり(?) 、憤りを覚えました。やむなく、山口県在住のじじいの一人として、下記のとおり、つたない詩作をしたわけです。)
私は かの写真を 二葉見たことがある。
一葉は あの お釜帽を被り ランボオを気取ったような写真である
たとえば フランス名家の ディレッタントとは 当時 このような様であったろうか
お坊ちゃん然として 自らの才能と その無垢を 鼓舞するかのように
大きな瞳で こちらを覗き込んでいる
「早熟の天才」 あなたはどれほどあこがれただろう
地方で 片田舎で 「世界」の全てを つかみ
そして 自ら その根拠のない自大感により
大芸術家になることを 熱望しながら
「ダダイスト」 「和製の 天才詩人 ランボオ」
若さゆえ 面白いものは いくらも あったろう
傲岸不遜の自我と
そのくせ 妙に甘く 友人たちに
気持ちのままに なんども 波状訪問を 繰り返す
友人たちに 「いなかもの」と 誹られただろう
また ときに 「主のまねび」などを 口誦さんだ アドレッセンス期
自分で言うほど もてもせず
はずかしい思いもした 京都時代
酒を覚え 自らの レイゾン・デートル(存在意義) を担保するため
友人たちとの 毎夜の 身命を賭した 観念の闘い
そうして 後に
ゆきどころなく 悩みぬいた 三角関係
いなか天才には 試練が いくらも あったに違いない
「俺は詩人として 故郷に 錦を飾る」
いやになるほど 通俗的だが
あなたは 純金無垢に そう思っていた
片意地で 傲然とした 自恃のこころと
どうしようもなく 生まれてくる
自らの幼年期と その無垢への とめどのない傾斜
しかしながら 「詩人になるしかなかった」あなたのその資質(さが)
のろわれた資質としか言いようもなく 招きよせる その運命(さだめ)
詩人はろくでなしだ
まさしく それは 必敗者であるやも 知れぬ
「ごくつぶし 二度と生きて帰ってくるな」
誰もが その逡巡と 恐怖を越え
不確かな 自らの運命をかけて 虚空に 踏み出す
保証もなく 自己に強いられ 魅入られたかのように
いつの時代でも
詩人の行く末は 決まっている
二葉目の写真は ずっと後の写真だ
最初で 最期の 厳しい恋に 敗北し
生活に敗北し
「世間」に敗北し
しかし 詩人として
社会・現実と 不可避に 相対した 写真だ
刈り込まれ 整髪された髪と そのそげた頬と そして強い眼が
アドレッセンス期の終わりと 幻滅と
そして その意識的な訣別を 深く つよく 語っている
私は その写真に 惹かれる
とても 強く惹かれる
そのとき
あなたが かつての 自分の詩を くちずさむ ことがあったのか それはわからない
結婚し
しかし 愛児を失い
その渦中で あなたが 対峙しようとしたものが
それは 詩神のみ ならず
生活の冷たい床(ゆか)であったのか
しゅく病(あ)であり 奈落のように とめどのない貧困であったのか
あるいは それは 非力で 無防備な 芸術家への
厳しい 近代の試練で あったのか
あなたは 自らの人性と 才能の賭けに
不見転(みずてん)に その身を投じるしかなかった
しかし 今の 私には よくわかる 私は
あなたの知らぬ 昭和 平成を 無自覚につききり
凡庸に また 大過なく 延命し
生活の局面では もがき 格闘し
あきらめ 不本意に 空疎な気持ちで 受容しながら
ついには 家族に疎まれ 多くの場合に 憎まれ
観念の世界では 「反核・脱原発」に加担せず サヨクとたたかい
陋劣な「グローバリズム」 とも闘い
また それは 多くの訣別を受け入れることとなり
「変化」を厭い 憎む 友人たちをも失い
ここまで来た
はるかに ひたすらに 馬齢を重ね
老かいともいえず いよいよ 醜くなるばかり
「じじい」 とも呼ばれ
多くもなかった美点を 時間の砥石で そがれながら
ほとんど あなたの 倍以上の時間をも 費やし
語る詩も 言葉もなく
しかし ここまで きた 私には よく分かる
あるいは 分かりたいと思う
そうして 今 わが若き日に
破滅を賭けても
なにがしかの 回帰をしたいと 乞い願う
そうして それには その試みの 発条として
あなたの詩句を 愛唱し そして 思いめぐらす ことができる
そうして ここで あなたの その むくな時代をなつかしみ
偉大な エディプスの時代は 終わったのだ と 思うのである
私は といえば
反抗すべき 父も 真にいつくしむ母も すでにおらず
「真摯に」思考することが 憎まれ
時に まんべんなく ふりかかる試練や 厳しさが 忌避、嫌悪され
ひたすら つまらぬ 自己欲望を 無限肯定するばかり
愚かしくも 無媒介に 「やさしく」し また されることを
常に 強いられ また 求められ
「抵抗」すら 空疎に思われ
無思考と 刹那の気晴らしが たたえられる この時代に
私たちは どこへ いくのか
また ついには
どこで 頓死する というのか 私は
戯れの 唄も
くちずさむ 一遍の 詩もなくて
「忘れがたない、虹と花
忘れがたない、虹と花、
虹と花、虹と花
どこにまぎれていくのやら
どこにまぎれていくのやら
(そんなこと、考へるの馬鹿)
その手、その唇(くち)、その唇(くちびる)の、
いつかは、消えて、行くでせう
(霙(みぞれ)とおんなじ ことですよ)
(中 略)
忘れがたない虹と花
虹と花、虹と花
(霙(みぞれ)とおんなじ ことですよ)」
(「別離」中原中也・草稿詩篇(1933-1936))
私は かの写真を 二葉見たことがある。
一葉は あの お釜帽を被り ランボオを気取ったような写真である
たとえば フランス名家の ディレッタントとは 当時 このような様であったろうか
お坊ちゃん然として 自らの才能と その無垢を 鼓舞するかのように
大きな瞳で こちらを覗き込んでいる
「早熟の天才」 あなたはどれほどあこがれただろう
地方で 片田舎で 「世界」の全てを つかみ
そして 自ら その根拠のない自大感により
大芸術家になることを 熱望しながら
「ダダイスト」 「和製の 天才詩人 ランボオ」
若さゆえ 面白いものは いくらも あったろう
傲岸不遜の自我と
そのくせ 妙に甘く 友人たちに
気持ちのままに なんども 波状訪問を 繰り返す
友人たちに 「いなかもの」と 誹られただろう
また ときに 「主のまねび」などを 口誦さんだ アドレッセンス期
自分で言うほど もてもせず
はずかしい思いもした 京都時代
酒を覚え 自らの レイゾン・デートル(存在意義) を担保するため
友人たちとの 毎夜の 身命を賭した 観念の闘い
そうして 後に
ゆきどころなく 悩みぬいた 三角関係
いなか天才には 試練が いくらも あったに違いない
「俺は詩人として 故郷に 錦を飾る」
いやになるほど 通俗的だが
あなたは 純金無垢に そう思っていた
片意地で 傲然とした 自恃のこころと
どうしようもなく 生まれてくる
自らの幼年期と その無垢への とめどのない傾斜
しかしながら 「詩人になるしかなかった」あなたのその資質(さが)
のろわれた資質としか言いようもなく 招きよせる その運命(さだめ)
詩人はろくでなしだ
まさしく それは 必敗者であるやも 知れぬ
「ごくつぶし 二度と生きて帰ってくるな」
誰もが その逡巡と 恐怖を越え
不確かな 自らの運命をかけて 虚空に 踏み出す
保証もなく 自己に強いられ 魅入られたかのように
いつの時代でも
詩人の行く末は 決まっている
二葉目の写真は ずっと後の写真だ
最初で 最期の 厳しい恋に 敗北し
生活に敗北し
「世間」に敗北し
しかし 詩人として
社会・現実と 不可避に 相対した 写真だ
刈り込まれ 整髪された髪と そのそげた頬と そして強い眼が
アドレッセンス期の終わりと 幻滅と
そして その意識的な訣別を 深く つよく 語っている
私は その写真に 惹かれる
とても 強く惹かれる
そのとき
あなたが かつての 自分の詩を くちずさむ ことがあったのか それはわからない
結婚し
しかし 愛児を失い
その渦中で あなたが 対峙しようとしたものが
それは 詩神のみ ならず
生活の冷たい床(ゆか)であったのか
しゅく病(あ)であり 奈落のように とめどのない貧困であったのか
あるいは それは 非力で 無防備な 芸術家への
厳しい 近代の試練で あったのか
あなたは 自らの人性と 才能の賭けに
不見転(みずてん)に その身を投じるしかなかった
しかし 今の 私には よくわかる 私は
あなたの知らぬ 昭和 平成を 無自覚につききり
凡庸に また 大過なく 延命し
生活の局面では もがき 格闘し
あきらめ 不本意に 空疎な気持ちで 受容しながら
ついには 家族に疎まれ 多くの場合に 憎まれ
観念の世界では 「反核・脱原発」に加担せず サヨクとたたかい
陋劣な「グローバリズム」 とも闘い
また それは 多くの訣別を受け入れることとなり
「変化」を厭い 憎む 友人たちをも失い
ここまで来た
はるかに ひたすらに 馬齢を重ね
老かいともいえず いよいよ 醜くなるばかり
「じじい」 とも呼ばれ
多くもなかった美点を 時間の砥石で そがれながら
ほとんど あなたの 倍以上の時間をも 費やし
語る詩も 言葉もなく
しかし ここまで きた 私には よく分かる
あるいは 分かりたいと思う
そうして 今 わが若き日に
破滅を賭けても
なにがしかの 回帰をしたいと 乞い願う
そうして それには その試みの 発条として
あなたの詩句を 愛唱し そして 思いめぐらす ことができる
そうして ここで あなたの その むくな時代をなつかしみ
偉大な エディプスの時代は 終わったのだ と 思うのである
私は といえば
反抗すべき 父も 真にいつくしむ母も すでにおらず
「真摯に」思考することが 憎まれ
時に まんべんなく ふりかかる試練や 厳しさが 忌避、嫌悪され
ひたすら つまらぬ 自己欲望を 無限肯定するばかり
愚かしくも 無媒介に 「やさしく」し また されることを
常に 強いられ また 求められ
「抵抗」すら 空疎に思われ
無思考と 刹那の気晴らしが たたえられる この時代に
私たちは どこへ いくのか
また ついには
どこで 頓死する というのか 私は
戯れの 唄も
くちずさむ 一遍の 詩もなくて
「忘れがたない、虹と花
忘れがたない、虹と花、
虹と花、虹と花
どこにまぎれていくのやら
どこにまぎれていくのやら
(そんなこと、考へるの馬鹿)
その手、その唇(くち)、その唇(くちびる)の、
いつかは、消えて、行くでせう
(霙(みぞれ)とおんなじ ことですよ)
(中 略)
忘れがたない虹と花
虹と花、虹と花
(霙(みぞれ)とおんなじ ことですよ)」
(「別離」中原中也・草稿詩篇(1933-1936))
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