天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

永遠の0(ぜろ)について その1

2015-06-01 23:52:50 | 哲学・文学・歴史

  時宜に合わず、本当に申し訳ありませんが、投稿もさせていただきましたが、その2と併せ、私なりの印象をつたえたいと思います。

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「永遠の“0(ぜろ)”」について
            -「特攻」はテロなのか-
                                H25.10.10
 百田尚樹の「永遠の0(ぜろ)」を読みました。
 百田尚樹のデビュー作であり、350万部売れ、このたび12月に映画が封切られます。
 この本は、例のアニメ「風立ちぬ」に触発されて読みましたが、ベストセラーになっただけの価値ある本でした。著者の処女作ということで、ところどころ若書きというか気になるところがありましたが、ほぼ私と同世代の作者の、折にふれ語られる「思い」に大変共感するところが多かったのです。
 主人公宮部少尉は、海軍の志願兵で戦闘機のパイロットで、卓抜した腕を持ちながら、人には親切で、部下にも丁寧な人です。また、部下には、「生き延びて家族のもとに帰らなくてはならない」と自分でいい、部下にも伝える人でした。
海軍という組織は、海軍兵学校という養成校の出身者が幹部になるところで、志願兵や、ほかの兵隊は、冷遇されるところです。私でも知っている、撃墜王(?)坂井少尉も同じく志願兵で、冷遇された人だそうです。
宮部少尉が、実際に軍隊組織で存在したかは、そこはフィクションですが、いわば、戦争に負けた時点での思慮深い軍人が、戦争中に戻ったような状況であり、当時の向こう見ずで勇猛な軍人気質の全く反目(はんめ:反対側)を生きるような人です。
日中戦争から真珠湾攻撃に至るまで、空母艦載機による当時の海空戦の状況、ゼロ式戦闘機(以下「零式」といいます。)の性能の高さと、それを操縦する操縦士の技量の高さ、など当時の無敵の状況が冷静に語られていきます。当時のアメリカ軍には、「零式」とは戦闘するな、という命令まであったそうです。明治維新以来たかだか70年程度しか経たない時点で、世界一の性能の戦闘機と、それを操縦できる技量をもった操縦士がいることは、奇跡のようなことだったでしょう。(昔、ニュージーランドに行ったとき、国立博物館の一室を借りて、捕虜となった(?)零式の展示があり、この情熱は何なの?と思ったことがありました。彼らにとっては、恐るべき敵と戦った重要な戦利品なのです。)
この本は、宮部少尉の孫たちが、生きのこった戦友たちの話を聞き、全く知らなかった祖父の生きざまを再構成していくという、構成をとっています(どんでん返しがあります)。
戦況が悪化するにつれ(腰を据えたアメリカ軍の強力さや、日本海軍の戦略のまずさや幹部の腰抜けぶりが次々に書かれます。)、宮部少尉は、教官として、即製の「学徒出陣兵」の養成をすることとなりました。ほとんど特攻隊として養成された、学徒動員兵の実態とその戦いぶりを初めて知りました。生き延びた学徒動員兵は、宮部少尉が、「あなた方は死んではいけません。これからの日本にとって必要な人です。生きてください。」という教官の言葉がどれほど救いだったか、と語ります。
同道した新聞記者が、「特攻はテロリズムでしょう。」といい始めると、元学徒動員兵は激昂します。「戦艦や、敵の軍事施設に自分の命を懸け特攻した戦争時の戦いと、不特定の一般民衆を標的にした、テロリズムをあなたは同一視するのか。 あなたの新聞に、私は答えない。
あなたの新聞が、戦争中に何を書いてきたのか。5・15事件に、2.26事件に、時流迎合の記事を載せ、戦争直下の状況で、大政翼参会に、軍部に迎合し、国民を戦争に追いやり、悲惨な生活と絶望的な死に追いやるのに加担したではないか」、と。
「あなたが、戦争下の遺書など批判するなど筋使いだ、検閲があるのに、また家族が悲しむのに、なぜ苦しい、悲しいと書けるのだ、書かれた遺書の行間の意味が読み取れない人間が、何がジャーナリストだ、君は一人の人間としての、想像力が欠除している」、と。

大変もっともな意見だと思います。
その後、敗戦後70年くらい経過し、特攻隊の生き残りに配慮する必要はなくなったのか、
最近戦争中の命を懸けた特攻(人間魚雷回天や簡易飛行機による特攻「桜花」、その悲惨な実態がよく描かれています。)も、世界標準でテロではないか、という論調があります。これは、さすがに私にも理解に苦しむところで、そこまで馬鹿になるなよ、と言いたいところです。戦争の本質は、「弱者や大衆を、まず最初に敵の前に差し出す」(シモーヌ・ベイユ)ということは、事実だと思いますが、現在のテロの、弱いもの貧しいもの無防備な者を直接狙う「どうしようもなさ」は、自己の行為に対する道徳的な判断も人間としての悩み苦しみもないテロリストの退廃は、敵を倒すために、かけるものは命しかなかった当時の日本の特攻と一線を画すべきでしょう。
いつぞや、キューバの独裁者のカストロが、「原爆投下はテロではないのか」とテレビで言ってましたが、投下された立場でいえばその通りだと思います。
いつのまにか、アメリカ=西洋諸国史観中心の(いわゆるグローバリゼーシヨンの)立場で発言する、植民地文化人の傲慢なお前(某大手A新聞記者)は、その前に、人道に対する罪を犯した、原爆投下、東京大空襲、沖縄決戦などについて、抗議したうえでいえよ、と、その馬鹿らしさを指摘・検証したいところです。
つい最近までは、「特攻」による死は、テロなどとは言えませんでした。それは、かつて父母や家族、友人を戦争で失った国民大衆の厳しい反撃があったからです。
しかし、今、無考えの発言とはいえ、このような意見が公言できるようになったことは、「世界では」とか、「グローバリゼーションの立場からは」など、個々の国の歴史や、犠牲を払った国民の共通感情(エートス)に無自覚な、馬鹿で恥知らずな文化人(?)が増えてきたことでもあり、かつて、「岡本公三事件」など、世界規模で階級闘争を行うと、日本産の、国際テロ組織「連合赤軍」などと、裏表の志向なのです(少し前、最後の馬鹿な幹部が自首しましたよね。)。
私は当時の太平洋戦争に賛同し、組するものではありませんが、「侵略戦争」、「正義と悪の戦争」などの無国籍でステレオタイプの言い方には強い「違和」を感じます。
宮部少尉は、敗色が明白でありながら、ほとんど成功もしない特攻作戦を強行する(一部断固、特攻を命じなかった部隊もあったそうです。)軍当局に絶望し、教官として、訓練生を無駄に殺させる自己の状況に絶望して、部下になり変わり特攻に出撃します。そのころは、飛行機の性能は格段に向上し、電子機器の支援もない零式は、時代遅れになり、ほぼ撃墜されていました。敗戦宣言の直前の日に、出撃した全機は未帰還となりました。宮部中尉はレーダーに探知されないように、海面すれすれで、限界までの長時間飛行を続け、敵艦にたどりつき、装甲板に突入しましたが、たどり着いたとき、爆弾の不発で、体が真二つになりながら、その命を落とすのです。その偉業と、執念のすさまじさに対し、敬意を覚えた敵艦艦長と乗組員は、水葬に付し、敬礼で見送るのです。
先の学徒動員兵の元特攻要員(特攻できなかった人)は言います。
「特攻は二度と行ってはならない。しかし、死を受け入れ、平然と沈黙のまま死んで行った同胞を、犬死にしたとは決して言えない(言わせない)。」と。

敗戦後に、大敗北した日本は、アメリカの政治的子分になり、歴代の内閣は、唯々諾々と、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラン・イラク戦争と、アメリカの政策に従ってきました。 
日本マスコミは銃後で(したがって何の危険も責任もなく)、アメリカ帝国主義反対、またきわめて一部でソビエト・中国修正主義(?)反対と言ってきました。
しかし、中国が愚劣な覇権国家に成り下がり、日本海・東シナ海の制空権を主張している今、日本はアメリカのお情けとその下卒として、安保条約にすがるのか、と私には思えます。
 対等な関係で、中国、ソ連、アメリカと渡り合う、伝統ある独立国家日本を私は支援したいと思います。

 11月29日に、文化会館で、百田尚樹の講演会があります。
 まだ、チケットは余ってるみたいですよ。

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