*********************************************************
お正月の、茶の間で、スポーツ番組をみるのは、それなりに根拠があるものかも知れない。初詣も、寒くていやだ。それなら、あったかいところで、他人が、困難な状況に立ち向かうのを見ているのが、私にとって、ずっと、ましである。
かって、表記の、本当に個人的な、変わったレースを見て、私は、いたく感動した。
二年に一度の開催と聞いていたが、コロナ変則開催となり、昨年は、3年ぶりに、8月7日に開催されたという。
レースは、南糸魚川市から出発し、身一つで、北・中央・南アルプスを縦断登山し、上高地を経由し、最後は最後は、太平洋の海浜に至るレースである。
「名誉や栄光のためでなく」、ではなく、ほぼ不眠不休で、3000メートル級の高山を縦断するタイムレースであるから、皆、命がけではある。しかし、その、仲間内での栄誉も、名誉も、大したことではないと、私には思える。そのうえ、賞金もない。
前回、前々回とみていたとき、生活破綻者(悪いとは全く言ってない。)のような人も多かった。貯金を切り崩し、レースに参加する人、昔の歩荷(ぼっか)時代の栄光(?)が、忘れられない人、自分の人性に行き詰まりと、虚しさを感じる人、そんな人が、とても多かった。
中には、支援の妻・家族に土下座して、参加したひともいただろう。
この番組は昨年10月くらいに、初回、放映したらしいが、私はまったく知らなかった。
丁度、私は入院して、それどころではなかったのである。
この番組が、興味深いのは、それぞれ、参加のエピソードと、彼を囲む、社会的環境が、取材のうえ、レースに付加して放映されることだ。
ひたすら楽しい話などどこにもない。様々な、挫折や、失望の人性が語られる。
元社会的引きこもりの刑務官、兵庫県警の暴力団担当刑事、挫折した銀行員、様々な人がいるものである。それぞれが、それぞれの理由と事情を抱え、参加している。
仕事に恵まれた(?)人も、数多くいるわけではない。前々回の、チャンピオンは、山岳レスキューのスタッフだったが、前回のチャンピオンは、家具職人だ、そして、全員が、フルタイムの仕事に就いているわけではない。
日々の鬱屈と、生活の不如意を超えて、2年、3年越しで、このレースに参加しているということだ。そして、予選も、巌に存在し、容赦なく振るい落される。
今回は、若い人は少なく、平均43歳、また、50歳を超えた人は、あまりいない。
何度も参加して、標準記録に達しなかった彼らは、その後どうなったのかと、他人事ながら心配になるのだ。
おまけに、今回からルールが変わり、山小屋の利便利用(食事)ができなくなった。
これは、ちょっとひどいなと思った。
自分の食料を、行動食(あられとかチョコとか田中陽希君が持っているあれです。)も、常食、自分で準備しなくてはならなくなった。しかし、荷物の重量を増やすことは、場合によっては、命に係わるのではないか?
山小屋の利用も、なぜ、問題になるのかわからない。
前回は、低体温症になった選手が、山小屋でうずくまっていた画面も見た。山小屋のスタッフは、それを遠くから見守っている。個々の意識的な選択は、それほど重いのだ。
しかし、それこそ、レース参加者と山小屋の相互依存、心的な交流がないと、レースのアマチュア性が失われるのではないか。私はそう思う。
前回、前々回、南アルプスからふもとにたどり着いた選手たちが、地元スーパーの好意によって呵々大笑しながら、よしず張りの座敷で、いかにも愉快そうに、スイカをほばっている画面を見た、まことに、良い場面だった。これが、あたかも、人性ええあるという言うように。
なぜ、そんな、相互交流を止めるのか。
前回のチャンピオンは、家具職人だった。彼は、前回のレースに満足していない。今度こそ、実力を発揮したいと考えている。そのための、努力は惜しまない。
このたび、とても優秀な選手が参加していた。
朴訥で、身の程知らずの大言を語る人でない。冷静で柔和な人だ。
彼は、一人きりで、今までのレースで、絶対チャンピオンといわれた、山岳レスキューのチャンピオンの記録を、大幅に塗り替えていた。半日以上のリードをしていた。
アルプスを越え、平地に出てきた以上、まず、彼の勝利は動かない。
しかし、事故は起こった。
台風9号の影響で、レースは中止となった。
メール一本で、その結果は、各参加者に伝えられる。
山頂で、レース中の男が人前かまわず泣き出した。
ここは、安全じゃないですか、どこに台風が吹いているんです。
彼の号泣はひつこい、見苦しいまでもつづく。
彼が、準備してきた、何年にもわたる努力が、無に帰するのだ。
しかし、最も、ショックだったのは、暫定チャンピオンだったと、私は思う。
平地のトンネルから出てきた、彼に、放送スタッフが、責任上伝える。
「今年のレースが中止になりました。」
彼の、顔色が変わる。
「何か事故があったんですか(誰か死んだんですか?)」、「台風の悪化です」、「それなら、まだ良かった」、私には、彼の言葉が忘れられない。
「人間性は、何と善なるものか」と、思った。
このたびの彼の努力と、幸運が、次にまた、あるかどうかわからない、現実とはそういうものだ。
しかし、自己の名誉と、他人の安全とを、はかりにかけて、他者を思いやれるのは、まさしく、勇者の所業だ。
その時、私は、彼のような若者が、ここにあり、彼なりの修練、努力をしているのを誇りに思う、と思った。
暇つぶしにテレビを見ていて、尊いものを観た。
彼は、本職は、大阪市の、レスキューの隊長であるという。
まさしく、彼の社会生活が、彼の人格を善導し、引き上げたのだ。
彼の姿が、かつての東北大震災の救護者と重なって感じてならない。つい、こちらも涙ぐんでしまった。
そのうち、彼も、長時間にわたった彼の準備段階と、今までのレースの苦労が、フラッシュバックしてきたのか、そして、こみ上げてくるものがあったのか、言葉少なになってしまった。
追い上げに入っていた、前回チャンピオンも、中止勧告を冷静に受け止めた。
しかし、スタッフに誘導され、山小屋のベンチに座り込むと、頭を抱え込んで、最後まで動かなかった。
台風による中止はやむを得ないことだろう、と私は思う。
もし、事故があったならば、このレースに次はない。冒険という行為は、公序良俗を装う俗物たちから、袋だたきにされるのだ。
それは、極めて少ない個人にしか、栄誉が生じず、危険な自然を相手にするレースだから。
次のレースは、2023年になる。
私も、どうにかして、次のドラマを見てみたいものだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます