9月15日号の市広報に、半ページのそのまた半ページを使って、底辺大学、徳大の公立化案件の事後報告がされた。コロナ期に、議会を通すのは。わけのないことである。もう、こっちのものよ、と、いかようにも、市民をなめ切ってはいないか。
卒業生が、周南市に20名も残らないのに、少なめに見て、90億をつぎ込む、愚かな暴挙は、一握りの特権者による、市政の私物化に他ならない。
それはそうとして、徳山教育財団で、中共学生、韓国学生に対する便宜供与(授業料の減免)は、監査のの対象にもならなかったのか、理事たちの不見識といい、返すがえすも後味の悪い話である。
今後、当該借財は、市会計を圧迫するだろう。藤井律子市長は、世紀の愚挙の責任を取るべきだ。
また、こんな、世紀の愚挙に加担した、市職員は、行政職としての悪行を愧じよ、何とかの面に小便かもしれないが。
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とうとう、周南市長藤井律子が、どさくさ紛れに、「徳山大学公立化という愚挙」議決をやってくれた。
つくづく下衆な女である。
この、コロナの混乱を狙って、市民への背信と世紀の犯罪のような詐術において、積極的に加担した、初代ポピュリズム市長、現市議会議員、島津某、それに加担した、建設業利権屋、商工利権屋たちを、私は決して許さない。
個人的に、島津某の市長時代の言動をここに列記していってもいいのだが、無駄だと思うので、今のところ、記さない。
市長に加担した、ほかの市議も同罪である。自己利害のためには、なんでもできるのか?
それにつけても、もう少しまともかと思ったが、周南市議会も、バカなものである。
いくら、徳山大学OBが多いにせよ、市民の利益側に立てない、というのは、政治家として、人間として、恥ずべきことである。すなわち、彼らは、人間性が、欠如しているということだ。
しかしながら、市民にとっても、「周にゃん市反対」は、随分高くついたものである。
今となれば、こんな市長を選んだのは、市民の過失と、責任であるというしかない。
このうえは、周辺の市町に、迷惑をかけるなよ、というしかない。
その責任は、現在の周南市民と、将来の、その子弟たちが、責任を取るしかない、市民とすれば、とんだ大損害としか、言い様がない。
仕方がないので、私は、今後、周南市の政策に対し、前向きな、積極的な提言をしていきたい、と思っている。
市長は、様々な、単独事業(すなわち財源のつかない単市事業)を推進している。
どうもそれは、支える職員たちを無視した、つまらない政策(一部は政策とすらいえない。)に思えてならない。単純に考えて、相次ぐ単独事業の
財源はどう手当てするのか?
自分の金ではなく、市及び市民の金であるので、それはどうでもよいのか?
私は、もと財政破綻・元赤字再建団体に居住する市民としては、「おいおい、大丈夫かい」、という恐怖を感じる。
わが居住する下松市の、かつての財政破綻時に、原因者(直接責任者)たる前市長は、責任を放棄した。
きれいに言えば、形式的に責任を取ったということになった。
彼の個人資産には、何の債権訴追もなかったし、すなわち、個人資産の家も土地も強制換価されることはなかった。
彼も死んだが、新聞を見ていたが、さすがに叙位叙勲(自治功労であろう(笑い)。)はなかったと思う。もし、あったら、笑ってやるが。政治家は、賤業(卑しい仕事)であることも忘れてはならない。
そういえば、彼をたたえる、地方誌もあったので、下衆は、どこでも、不断に存在するということである。
そういえば、わが岳父は、中小企業の経営者であった、そのうえで、推されて、企業組合の理事長となった。就任後、専務理事から、初めて、前任者の背任行為を教えられ、その後始末に腐心したと聞いた。
義父は毎晩、自己の会社のみならず、協同組合前理事長の背信行為(自分の会社に多大な便宜供与をしたらしい。)にかかわる不始末について、紐付きを出さぬように、その後片づけについて呻吟していた。
そんな姿は、誰にも見せられない、知っていたのは、義母だけであったという。
昔の男は、自分に責任のないことまで、きちんとしりぬぐいをした。
私たち夫婦も、個人的に、とてもよく面倒を見てもらったが、大正二けた代の男は、本当に偉かったと思う。
自分の仕事の葛藤はさておき、他人の相談にも、キチンと対応した。私には到底できないことである。
中小企業経営者は本業で失敗すれば、個人資産まで、債権者の強制執行がかかる。
法令改正で、当該責任が、限定的になったかはどうか知らない。
バブル崩壊後、デフレ不況下、生命保険の給付欲しさにどれだけ、まともな経営者たちが自殺したか。否、自殺に追い込まれたか。無限責任を負い、その命の保険金を負債として差し出すために。
なんと悲しい、男の人性ではないか。
ところで、放漫経営で、世紀の愚策を行い、無駄な、過剰施設、過剰公務員を増やし、あなたが市の経営に失敗し、今後、市民に多大の負担をかけるとして、今後、下衆な藤井市長はどのように責任を取るのか?
私は、下松市の倒産の原因は、当時、身の程知らずの、放漫経営にあったと聞いたが、そんな話は今さら、言って欲しくない。
それ以降、日本国でも、外国でも、いくらも教訓があろうかと、思われるからである。
そもそも、財政破綻、赤字再建団体という経路が、現在、認められるかどうかわからない。
夕張市始め、北海道の市町は、中共資本の食い物にされた。
結局、被害を被ったのは、市長ではない、その地区で生きていくしかない、大多数住民なのだ。
新規事業はすべてさし止め、制限税率(通常標準の市税の税率を引き上げる。)の導入、職員採用停止、を含む政策で、当時の下松市民はたちは多大な損害を被った。
私及びはるか世代を違えた私のこどもたちも、中学校まで、毎日キチンと弁当をもっていった。
給食の質、とか、食物アレルギーとかそんな話は別世界の話だ。
私など、高校に入って、他市の出身者に、他市では中学まで給食があると、そんな話を初めて聞いた。
市庁舎は木造二階建ての、うぐいす張りの庁舎(歩くとき汚い板の軋みがうるさかった。忘れられない。)、私たちの学校舎もぼろだった。
小中学校は、父祖の世代の建物がそのまま使われていたという。
職員採用もできないので、市職員はバカばっかりで(本当です。)、倫理観を怪しいような職員ばかりだった。変化がなければ、組織はよどむ。実のところ、極端な、事務職の削減で、周南市は危ういところまで来ている。
思えば、給食のなかった私たちは、代わりに、昼食に瓶入り牛乳を与えられた。それも有料であったと思う。
幸い、下松市には底力があった。
市内有力企業の市財政への貢献、企業用地の更地への大規模商業施設の進出で、息を吹き返した。
本当に僥倖であったと思う。
後に平成の末期になって、ようやく、当時の人気者の市長は、遅れてきた一括民間委託の給食を自慢していたが、なぜ、それまでお世話になった、無数の各養育者達(監護した父兄たち)に、なぜ、まず感謝しなかった。
恥ずかしいことである。
当時の養育者であった私たちの父母は、そのみじめさを存分に味わってきたと思う。
当時財政が豊かだった、徳山市民は、そのみじめさがわかるまい、と思う。
私たちは、知り合った、他市、他県の人からは、一言目には、あの、「財政破綻した下松市出身なの」と、恥ずかしい二つ名で呼ばれていたのである。
市が倒産するなど、きわめて、珍しかったのである。
そんな近隣の行政運営の失敗に学ばないのは馬鹿者である。
わたしが徳山市に就職したころ、昔はまだ健全だった。
私たちの現役時代は、財源のつく事業ばかりを探すのに、腐心したところである。
財源がつかない、しかしなすべき、仕事があれば、身を削ってすればよい、身を削る以上、徹底的にその質を問われなければならない。
みじめな下松市で育った、私には、当時の市財政(徳山市)の運営のありようがよく分かった。
安易な自主財源や、思い付きの市政運営で、将来の市民に付け回しをしてもらっては困る。
私たちは、まず、何より市財政の安定と、大多数市民の利害と、将来の安心安全のために働かなくてはならない。
政策ごとに、冷徹に、その評価と必要性を検証しなければならない。
私の在職中、事業検討・評価というのは腐るほどやった。多大な時間と労力そして費用を使ってのうえである。
そんな、貴重な(?) 検討を、市長が変われば、空文化するのか。
どれだけ、時間と金をかけて、それをどぶに捨てても、あなたは平気なのか?
市長は、女性らしい直観で、自分の思い付いたバカ(バカらしいので、もう書きたくない。)な政策を思い切りやった。
「無理がとおれば道理引っ込む」という話であり、重ねて、バカな話である。
バカと、思考停止、無関心が集まれば、なんでもできる、というのが、今回の騒動の結論である。
気を取り直して、今後も続けます。
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