天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

記憶の切実さとそのあいまいさ(NHK「こころ旅」)について    その2

2017-01-24 15:03:54 | 映画・テレビドラマなど
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先に、NHK、BS放送で放映している火野正平の「日本こころ旅」(2016年秋口編)について言及します。
この番組も、年に何度か、シーズンで放映している、「日本こころ旅」もこの度で600回を数えるようで、長寿番組の範疇になるようです。季刊のように、年に数度区切って、本土においては表日本、裏日本のそれぞれを、文字どおり縦断します。一話完結で、どこからでも見始められるので、NHKの朝の番組として定着してように、今度はどこに行くのかと、見るものに期待をいだかすようになっています(私自身そのようになってしまった。)。
このたびシリーズで、記憶に残った「こころに残った風景」について言及します。
この秋口は、三重県、大阪、山陰、九州と入り、鹿児島の島しょ部に入るようです。
大阪南部の路面電車(阪堺路面鉄道)にかかる熟年期(?) の女性の投稿です。
彼女は、還暦を過ぎたばかりの夫、「やっさん」を急病で亡くしたという大きな喪失感があります。文中で「大好きだった、やっさん」と愛称を、平然と(?) 呼ぶので、そのような対幻想(?) というか、より深い気持ちの交流と相互のいきさつの思い出の積み重なりが両者の間にあったのでしょう。深読みすれば、還暦を過ぎ、これから「二人で」、という時期に、夫を亡くした衝撃と、痛手が、テレビ番組にでも「あかの他人にでも伝えたい」という気持ちを彼女に起こさせたのでしょう。
彼女は、路面電車が新規製造されるについて、地元に寄付の勧奨(路面電車はかくも地元に根ざしたものなんですね。)があり、どうもそれは地元で「青嵐(せいらん)」と呼ばれる、丈高で、車体が深い青色のガラスが多用されたスマートな車両ですが、その中のプレートに「やっさん」の名前が載せてもらえるということで、寄付(三万円;寺社の寄付とまったく同じ「のり」なのですが)をしたのだが、(それを電車に現認にいった後)、街角で、路線を走る青嵐を見るたび、苦しいとき、悲しいとき、見るたびに気持ちが慰められる、実際のところ、孫どもに「じいちゃんの電車や」と、呼ばせており、「独りでいること」に、時々慰めがある、という話です。
私は、大阪の下町を知りませんが、このたびは、火野正平が、路線の沿線沿いを、線路に沿って走り、うらぶれた路地や、さびれた商店街を輪行します。本来の路面電車らしく、遮断機も何もない無人踏切はいたるところにあり、衝突事故が起こらないんだろうかと、こちらが心配するようなところです。行き交う路面電車の横はら帯の宣伝は、「質屋ばっかりや」と火野正平が笑わせます。常時、新車両の青嵐は、路面を常時走っている訳でなく、通りがかりの小学生が、「おっ、青嵐や」といって通りすぎます。
とうとう、青嵐に、ターミナルで出会います。火野正平が早速確認に行きますが、荷物棚のうえ、車両の湾曲した部分に寄付者の真ちゅうのプレートがビス止めで設置してあり、ちゃんと「○○康行」と、願主(?) の望みのとおり、記載してあります。そこからもう一度、投稿の原稿を、駅のベンチでとつとつと、読み上げていきます。聞いているうちに、ざっかけない、うらぶれた下町ですが、そこに暮らす人たちの哀感やよろこびのようなものが、見るものに素直に伝わってきます。場所柄、破滅型の漫才師、亡「横山やすし」を連想してしまいますが、「やっさん、どないな人やったんやろ」という具合です。テレビで見ていると、死後も慕われる、あるいは慕うカップルは、「ええもんやな」という具合です。個人的に思えば、存命中はどうだったかは知れないが、死後でも、そこまで妻から執着してもらえるのは幸せなことなのかも知れません。

次は、594回目、鳥取県の智頭町というところです。
今回の投稿者は、22歳の地元の学生さんです。見るほうは、高齢者が多い投稿において奇異な感じを受けます。
彼の執着する(?) 景色は、小学校(旧山形小学校)の、日本一長いといわれる、木造校舎の廊下です。
毎日(当番もあったかも知れない。)、ぬか雑巾で雑巾がけ競争です。今は、児童の激減で、学校の統合がされ、用途廃止となり今は廃校舎となっています。光沢のあるまっすぐたぶん全クラスの横を通る内廊下なのでしょう、無節で割れ目もないような美しい廊下がはるかかなたまで続いています。ドアや建具(廊下の窓)などとても立派で、天井も高く、特別手間のかかった建築に思われ、きちんと評価できないのは(素人の)悲しさですが)、古い時代の品位を感じさせてくれます。投稿の彼が回想し、執着するのは、友人たちとみんなで、その長い廊下を、雑巾がけ競争したことであり、そのぬかがねずみにかじられ大変だったなどと、こども心に、古かったけど伝統に根ざした美しい校舎で、小学校時代を過ごせたということなのでしょう。しかしながら、この校舎は、おそらく、地元の篤志家のみならず、地区住民が、総力を挙げてこの校舎を作ったであろう、その歴史のたまものなのです。日本の小学校舎などは、西欧と類比すれば教会に当たるもの、と何かで読んだことがありますが、なるほどと納得できます。また、この校舎で、地区との間で、どのように使われてきたかと、その記憶の集積の重みと、地区住民たちの誇りを思うところです。
ためしにわが市の周辺部では、地元小学校で、地区対抗の運動会や、文化祭といくらも行事が挙げられます。また、そこは同時に災害時の避難場所ともなり、営繕の経費は苦情の元ではあることですが。
 先ごろより、「あればうるさい」などとの「保育園設置反対運動」とかがあり、それを「世論」として、意を得たりと設置を怠る行政はさておき、数を頼りに、自分を世界の主人と思い込み、自己欲望を理不尽に貫徹しようとする、醜い地区住民もあり、どれだけ「個人」が「社会」と切れてしまったことかについて暗澹たる思いがします。その一方で、この地域が、こどもの教育にどれほど熱心だったか、賞賛され、この教室に、懐かしい思いを抱くところです。彼は地元(?) で暮らしているようですが、そこを離れるにせよ、よい、懐かしい、地域の社会での思い出が、彼を、生涯拘束するように思われます。
 そのとき、その見事な廊下には、雑巾が一枚置かれます。「待て、待て」と火野正平が呼び止めます。「「ここに、皆と、やった」と書いてあるやないか」と。
 スタッフを含め、3人の「ヨーイ、ドン」です。解説を聞き逃しましたが、総二階の立派な校舎で5クラス以上はあったのでその距離は100メートル弱くらいはありそうです。本気でやれば、途中で、すっころんでしまいそうに見えています。
 見ていて、とても笑えます。

 最後は、鹿児島県の離島、喜界が島の話(597回)です。この番組においては、交通の便などなのか、今まで、訪れるチャンスがなかったせいなのからか、このたびは種子島や何やら離島が続きます。自然的な、あるいは地勢的な不便が加担するのか、離島においては厳しい重い出が多いようです。
 投稿者は、「こころ旅」の愛視聴者で、夫とともに見ていたが、夫に先に逝去された女性が、呆然と毎日を暮らしているうちに、たまたま、テレビで(南海の(?))孤島「喜界が島」を扱った番組を見て、思い立って、十数時間のフェリーや、地域空港(プロペラ機)に乗って、喜界島にたどり着いた。
 彼女は、たった一人で島内を観光するうち、目前に広がる一面のサトウキビ畑に逢着したところです。その中を歩いてみたいと思い立ったのか、中に何の目印もないような一面のサトウキビ畑の中の道路を歩き始めます。ご存知のとおり、サトウキビ畑は、竹木のようで丈があり頑丈で、また密に繁茂しています。高低差のない平地で、その迷路のような似通った畑の中で、そのうちとうとう完全に方向を失ったといいます。今まで、登山体験では一度も迷ったことがないとのコメントであり、本来アウトドア活動には達者な方なのでしょう。散々迷った末、とうとう畑で作業をしている農民にであい、天の助けと喜んだところ、すぐ先に、県道につながる道があった、との落ち話となります。
 その瞬間、悟りというか、コペルニクス的転回(天啓)が訪れたといいます。「私は自分で決めて自分で生きていく」(生きていかなくてはならない)という「事実」であり、それに対する彼女の前向きの覚悟性なのでしょう。これは、自分自身の何かにせかされて無理やりたどりついた南のさいはての地でみた、まことに忘れがたい風景なのでしょう。投稿して、ぜひ他人にも追体験してほしい、という、彼女の気持ちが十分に伝わってきます。
確かに、その道は、なめてかかった火野正平の一行も、迷いそうになり、起伏のない道路で、背の高いサトウキビ畑を走るのは、視界が利かず怖いものです。
 「女性は怖かったやろなー」と、火野正平が述懐します。

 この番組では、他にも、投稿者の学童時に、激しいしけの海で一家総出の漁の事故により、友人家族などを失った思い出と、ご遺体(そう書いてありました。)もあがらなかった遭難場所(すぐ縁接の海岸)、そこに友人の収骨にいった話の場所への再訪(556回)など、厳しい「こころ旅」もありました。
 やっぱり、私たちには、幸・不幸にかかわらず、他人の体験をわがことのように追体験したい、それこそ、同じように「他者の感情の朱に染まりたい」という、強い欲求があるのですね。
 なぜそうなのか、考えたい方には、「日本の七大思想家」(小浜逸郎著、幻冬舎文庫)中「和辻哲郎」の章をお勧めします。

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