・時が経ったり、資料を見直したりすればまた変わるのを前提として
・2日間に渡る東京の学者先生の講義が昨日終わりました
・現在の仏教教学の最先端を走る先生方とは言え、今回の講義は初心の折りに学ぶ内容の復習の意味合いも強く
・原点に立ち返り“在り方”を再確認する機会にもなりました
・もちろん先生方特有の解釈や理解も時間の許す限りお伝えいただき
・大変にありがたい時間が過ぎていきました
・ここはこう
・と言う確信、断言ができるという訳ではないですが
・今回はお大師さまがお弟子さん、あるいは著作を読む多くの人々に対して
・「一生懸命自信を持って修行しなさい」
・と言う意思の感覚。影響力の波を感じました
・なぜ修行に重きを置く高野山が建立されたのか
・そしてそこをお大師さまは終の住みかに選んだのか
・なぜ自分自身がこの世界と、そして悟りと如来さまと同一であると徹底的なまでに主張されるのか
(自分=世界=修行=悟り=如来)
・阿字観に代表される真言宗の修行法がなぜここまで多岐に渡り深遠さを維持しているのか
・「この修行法に確信を持て。だから必死に修行するのは今なんだ。」
・と言う訴えがあったように感じました
・タイやチベットやど伝統的な仏教圏では当然のように“今”悟るために多くのお坊さんが修行しています
・それは目指す処が私たちと違うからだ、と早合点していました
・逆だったのでしょう
・真言宗修行者が目指すのは、本来ここだったのでしょう
・悟りと言う目標を遠く来世の自分に託して、勉学の享楽を甘受していた当時の仏教者たちに
・お大師さまは今こそ本来の原点に還り
・生きている今悟り、本当の悟りの利益を人々に与えようと
・真言密教と言う最先端の神秘宗教の皮を仮に被り
・伝えたかったのではないかと
・そう感じました
・もちろん方便としての神秘的儀礼の数々は人々を救済へ導く手立てであることに疑いの余地はありません
・ただその真意を理解してくれる仏弟子たちに対しては
・「大丈夫、進みなさい」
・と、慈悲深く、そして力強く背中を押してくれるお大師さまの人物像が
・少し見え隠れした様な気がした
・そんな時間でした
・それを実際の実践教化場面にいかにして活かすかは
・…