・歩み続けた先は所謂悟りであると思います
・例えばスポーツジムに趣味で通っている人が、全員ボディビルの世界選手権で優勝したいわけではないように
・同じ道の上でも、目標が違う場合はあります
・ジムでお腹をちょっとへこませたいと思う人と、ボディビル大会で優勝したい人は、きっと違うメニューでトレーニングすることでしょう
・しかし、使う器具、トレーニングの種類、有酸素運動と無酸素運動のバランス、そして、目標を達成したあとも努力の継続が望ましいと言う部分は、共通するところです
・瞑想にいたっても同じで
・多くの人は瞑想によってリラクゼーション効果、集中力の向上、メンタルトレーニング、心のコントロールなどを獲得したいと思い取り組み始めます
・全く悪いことではありません
・スポーツジムはあらゆる目的の人に開かれています
・瞑想も、あらゆる目的で訪れる人に心を開いています
・しかし、そこで指導されることの先の先には悟りがあります
・多くの人はその副次的効果であるリラクゼーションやメンタルコントロールに魅力を抱きます
・そのため、どうしても指導の中に不可抗力的に入り込んでしまう仏教的表現やアプローチに驚いてしまう人もいます
・ボディビル選手にも、趣味のトレーニーにも、トレーナーは平等に「限界まで追い込め!」と指導します
・同じように、マインドフルネスを習得したい人にも、悟りを求める人にも、平等に「無常を見ていなさい」と指導します
・あくまでおなじ一直線上の出来事です