先日、日置市日吉を訪ねた時に小松帯刀のお墓参りをしてきました。
昨年の大河ドラマ「篤姫」で知名度を上げた小松帯刀。
この小松家歴代墓所はそれまでは訪れる人も少なかったようです。
上の写真が小松帯刀(清廉)の墓 明治3年(1870年)8月16日没享年36歳
ドラマでは篤姫と幼馴染で恋愛感情も持っていたような扱いでしたが、実際はあまり接点がなかったようです。
36歳の若さで亡くなったのですが、帯刀が生きていたら西南戦争は起こらず西郷隆盛も大久保利通も死なずに済んだかもしれません。
歴史に”もし”は禁句でしょうが、帯刀の死は惜しまれます。
お近(千賀)さんのお墓 明治17年(1884年)享年56歳
小松帯刀の本妻。
日本初の新婚旅行を行ったとされる坂本龍馬より10年前に霧島に新婚旅行をしていたとか…
ドラマでは「武士の妻」が描かれてました。
子供の出来なかったお近さんはお琴さんの子供二人を引き取って育て、お琴さんの遺言を受けて小松家の墓にお琴の墓を建てたのもお近さん。
お琴(三木 琴)さんのお墓 明治7年(1874年)8月27日享年26歳
京都祇園の芸妓さんで帯刀の情報収集の手伝いをしていたとか…
帯刀の最後を看取ったお琴さんも4年後に26歳で亡くなった。
「帯刀はんの傍に葬って」との遺言通り小松家墓地に葬られました。
しかし、帯刀やお近さんの墓と違ってとても小さな墓石。
そして「清廉の妾」と裏に刻まれた文字が…
※ブログ鹿児島散歩のgenesislifeさんから薦められた「小松帯刀日記」をまだ読んでいません。
読んでからお墓参りをすれば良かった
昨年の大河ドラマ「篤姫」で知名度を上げた小松帯刀。
この小松家歴代墓所はそれまでは訪れる人も少なかったようです。
上の写真が小松帯刀(清廉)の墓 明治3年(1870年)8月16日没享年36歳
ドラマでは篤姫と幼馴染で恋愛感情も持っていたような扱いでしたが、実際はあまり接点がなかったようです。
36歳の若さで亡くなったのですが、帯刀が生きていたら西南戦争は起こらず西郷隆盛も大久保利通も死なずに済んだかもしれません。
歴史に”もし”は禁句でしょうが、帯刀の死は惜しまれます。
お近(千賀)さんのお墓 明治17年(1884年)享年56歳
小松帯刀の本妻。
日本初の新婚旅行を行ったとされる坂本龍馬より10年前に霧島に新婚旅行をしていたとか…
ドラマでは「武士の妻」が描かれてました。
子供の出来なかったお近さんはお琴さんの子供二人を引き取って育て、お琴さんの遺言を受けて小松家の墓にお琴の墓を建てたのもお近さん。
お琴(三木 琴)さんのお墓 明治7年(1874年)8月27日享年26歳
京都祇園の芸妓さんで帯刀の情報収集の手伝いをしていたとか…
帯刀の最後を看取ったお琴さんも4年後に26歳で亡くなった。
「帯刀はんの傍に葬って」との遺言通り小松家墓地に葬られました。
しかし、帯刀やお近さんの墓と違ってとても小さな墓石。
そして「清廉の妾」と裏に刻まれた文字が…
※ブログ鹿児島散歩のgenesislifeさんから薦められた「小松帯刀日記」をまだ読んでいません。
読んでからお墓参りをすれば良かった
※誰か注釈付きのものを出してくれないかな?
昨年『篤姫コーナー』の監修をしてくださったhatさんのお陰で色々な事が分りました。
お近さんと、お琴さんは矢張り確執があったようです。
ところで小松亡き後五代が妾としてお琴さんを(無理やり)引き取ったようですね。
こんな事を言うと泉町界隈を歩けなくなりますが五大友厚(と川路代警視)は嫌いですが、お琴さんの件で余計嫌いになりました。
※ランクとしては伊藤博文の次に嫌い
話が横道に逸れましたが『幻の宰相』と呼ばれるだけの才覚は有ったと思います。
※五代は西郷・大久保そして小松の権力
を背景に私服を肥やしただけですね
(あくまでも私見ですが)
それとも鹿児島の人は前から帯刀の立派さを知っていたのかなぁ?
*私のブログでお借りしました。(第2311号)
お近さんもお琴さんも帯刀には欠かせない女性だったのは確かだと思います。
下級武士から明治維新という大業を成し遂げた評価と西南戦争での悲話が「西郷隆盛=ヒーロー」のなっていると思います。
そういう意味でいうなら、昨年の大河ドラマは、篤姫や帯刀にスポットを当て違う(本来?)の明治維新を描いた良いドラマだっと思います。