(前回「#399高級水彩絵の具に挑む!」よりの続き)
前回は「孫子」を引用したものでありました。
半分冗談交じりですが、半分は真面目な話です。
優れた兵がいくらでも揃えば、それに越したことはないのですが、手持ちの兵だけでなんとかやりくりしようとするときには用兵が重要になってきます。
絵を描くときも同じで、たとえ安価で限られた画材(絵の具・紙・筆)であっても、その性能を最大限に引き出すことによって、より良い効果が得られるものと期待しています。
また、材料や用具のみならず、自分の能力も同様に、より効果的に引き出して用いるべきでありましょう。
より少ない兵力で最大の効果を上げることが「兵法」の極意です。
去年わたしが絵を始めたときから、「孫子」を念頭に問題を解決(あるいは回避)してきました。
戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり
簡単に言うと「戦わずして勝つのが最善である」ということです。
「デッサンが出来ない」「線がまっすぐ引けない」「水彩の塗りムラ」
これらの問題に取り組むとき、多くの人は「デッサンの勉強をする」「直線を引く訓練をする」「塗りムラが出ない塗り方を勉強する」という努力をするでしょう。
しかし、勉強とか努力とか、そういうことが苦手で、ものぐさな<このは紅葉>がとった策は、「デッサン不用の絵を描く」あるいは「デッサンの狂いを生かす絵を描く」、「曲がった線を生かす絵を描く」、「塗りムラを生かす絵を描く」というものです。
一種の妥協なのですが、それはそれで絵の味になっているので、ある程度成功したと思います。
色の問題も同様で、それなりに効果が出ていると思います。
しかしながら、「緑色」だけはなんとかして良い色を出したいと思って、「緑色の研究」を始めました。
「緑色の研究」では、青色と黄色の2色の絵の具だけで絵を描いています。
一口に青色と言ってもいろいろな青色がありますが、ただ一つの絵の具に決めて使っています。黄色も同様です。
つまり、これまでわたしが生み出してきたさまざまな「緑色」は、ただ2種類の絵の具によって生まれた色なのです。
混合比、塗る順番とタイミングなどあらゆる条件を試すことによってのみ、異なる色を作ろうとしています。
現在研究が行き詰まっているのですが、それが、すでに絵の具の性能を最大限に引き出したことによるのか、それともわたし自身の能力の限界なのか、あるいはどちらもまだ限界に達していないのか、そのあたりの判断が出来ません。
いよいよ青い絵の具を変えるか、黄色の絵の具を変えてみるか、その分岐点に達しているような、いないような、そんな竹槍隊の現状です。
その現状を打破するために思いついた策が「このは紅葉流・相対性理論」です。
まだ「用兵」に工夫の余地があるとの判断で、同じ絵の具でもうすこしがんばってみます。
今回の絵はいつもの絵の具で描いたものです。
参考に、前回の絵と同じように描いてみました。(色の違いが明らかです)
この色を長く使っているせいか、すでに<このは紅葉>色になっているような気もします。
長くわたしの絵をご覧下さっている方も、この色に慣れているかも?
(次回に続く…)
前回は「孫子」を引用したものでありました。
半分冗談交じりですが、半分は真面目な話です。
優れた兵がいくらでも揃えば、それに越したことはないのですが、手持ちの兵だけでなんとかやりくりしようとするときには用兵が重要になってきます。
絵を描くときも同じで、たとえ安価で限られた画材(絵の具・紙・筆)であっても、その性能を最大限に引き出すことによって、より良い効果が得られるものと期待しています。
また、材料や用具のみならず、自分の能力も同様に、より効果的に引き出して用いるべきでありましょう。
より少ない兵力で最大の効果を上げることが「兵法」の極意です。
去年わたしが絵を始めたときから、「孫子」を念頭に問題を解決(あるいは回避)してきました。
戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり
簡単に言うと「戦わずして勝つのが最善である」ということです。
「デッサンが出来ない」「線がまっすぐ引けない」「水彩の塗りムラ」
これらの問題に取り組むとき、多くの人は「デッサンの勉強をする」「直線を引く訓練をする」「塗りムラが出ない塗り方を勉強する」という努力をするでしょう。
しかし、勉強とか努力とか、そういうことが苦手で、ものぐさな<このは紅葉>がとった策は、「デッサン不用の絵を描く」あるいは「デッサンの狂いを生かす絵を描く」、「曲がった線を生かす絵を描く」、「塗りムラを生かす絵を描く」というものです。
一種の妥協なのですが、それはそれで絵の味になっているので、ある程度成功したと思います。
色の問題も同様で、それなりに効果が出ていると思います。
しかしながら、「緑色」だけはなんとかして良い色を出したいと思って、「緑色の研究」を始めました。
「緑色の研究」では、青色と黄色の2色の絵の具だけで絵を描いています。
一口に青色と言ってもいろいろな青色がありますが、ただ一つの絵の具に決めて使っています。黄色も同様です。
つまり、これまでわたしが生み出してきたさまざまな「緑色」は、ただ2種類の絵の具によって生まれた色なのです。
混合比、塗る順番とタイミングなどあらゆる条件を試すことによってのみ、異なる色を作ろうとしています。
現在研究が行き詰まっているのですが、それが、すでに絵の具の性能を最大限に引き出したことによるのか、それともわたし自身の能力の限界なのか、あるいはどちらもまだ限界に達していないのか、そのあたりの判断が出来ません。
いよいよ青い絵の具を変えるか、黄色の絵の具を変えてみるか、その分岐点に達しているような、いないような、そんな竹槍隊の現状です。
その現状を打破するために思いついた策が「このは紅葉流・相対性理論」です。
まだ「用兵」に工夫の余地があるとの判断で、同じ絵の具でもうすこしがんばってみます。
今回の絵はいつもの絵の具で描いたものです。
参考に、前回の絵と同じように描いてみました。(色の違いが明らかです)
この色を長く使っているせいか、すでに<このは紅葉>色になっているような気もします。
長くわたしの絵をご覧下さっている方も、この色に慣れているかも?
(次回に続く…)