このは紅葉のお絵かき日記

トランプ大統領・たつき監督・irodoriの味方だよ

#583 絵描きに口無し(2)

2008年04月06日 | そのほか
わたしが入った中学校は当時荒廃しておりました。
不良グループが跋扈(ばっこ)し、教師連中はそれを力でねじ伏せようとしていました。校舎は破壊され、傷害事件が起こることも珍しくありませんでした。

学校はとにかく恐ろしいところでした。1年生の教室は最上階にあり、上級生は階上に立ち入り禁止になっておりましたので、ある程度の安全は確保されていましたが、実際には何度か侵入されました。あるときは、バイクで校舎内を暴走し、轢かれて負傷した生徒もあるなど、恐ろしい事件が続きました。よその学校の生徒間の抗争事件もあったかもしれませんが、わたしにとっては学校内の生徒・教師間の抗争のほかに目を向ける余裕はありませんでした。

教師達は筋骨隆々屈強の強者揃い。おまけに金属パイプで武装しておりましたから、不良達が刃物で襲いかかっても容易に撃退できました。
今でこそ肩をぽんと叩いただけで「体罰」と騒がれる世の中になってしまいましたが、当時は鉄拳制裁が当たり前の時代。教科書を忘れるなどほんの少しの事でも殴り倒されます。
わたしも一度殴られたことがあります。授業が始まったときに教科書を出すのが遅れたのです。

教科書を出すのが遅れただけでも殴られるのですから、もっと重罪なら制裁も重いものになります。
衝撃的だったのは、入学して間もない頃、全校集会と称して体育館に集合させられ、「制裁」を見せられたときです。
後ろ手に縛り上げた不良グループを壇上に並べ、教師が手加減無しに殴るのです。いわゆる「見せしめ」です。教師に逆らうとお前達も同じ目に遭うぞと脅しているのです。殴られた人が消し飛ぶのを見たのはこれが初めてでした。

テレビドラマなどでいろいろ暴力的内容のことが放送されたりしますが、実際に起こったことはとてもテレビでは放送できるものではなかったのです。

そんな恐怖状態の中にあっても、学校の行事は決められたとおりに行われておりました。わたしにとっての転機とはその行事中の一つ「新聞コンクール」でありました。
そのころにはクラスの中でわたしは「物書き」として知られておりましたから、新聞記者に推挙され、編集長まで任されました。わたしとしてもやりたい仕事でした。

新聞作成には数名が参加しておりましたが、皆やる気がなかったので、ほとんどわたしが独断で取材し、記事を書いて、紙面の作成だけを他の人に手伝ってもらいました。
新聞の最大のテーマは「校内暴力」です。
そして、そこから挫折の道へと転落してゆくことになるのです。

次回へ続く…

#582 絵描きに口無し(1)

2008年04月06日 | そのほか

「言論封殺」なんてことは普通の人にはあまり馴染みがないかも知れません。
と言いますのも、普通の人は仲間内のおしゃべりやうわさ話、飲み屋での上司の悪口くらいで話し尽くされて、大抵はそれでお終いだからです。言論活動などしないので封殺も弾圧もされないわけです。

わたしが初めて言論の封殺に遭ったのは小学生の作文の宿題の時でした。
学校では同級生(実名入り)に殴られ、家では父親に殴られ…などという事実を、寝る前に書いていたのですが、朝起きてみると机の上で作文用紙がびりびりに破かれてありました。そして父親に「ウソを書くな!」と怒られ殴られました。
(このとき本当のことを書くと痛い目に遭うと言うことを知りました
作文を書くのは嫌いでいつもなら書かないのですが、なぜかそのときは書く気になったのです。
しかし父親は普段家にいないのにこう言うときに限って帰ってきては殴るのです。

結局宿題は提出しませんでした。宿題を出さないのはいつものことでしたので、それっきりです。

次に作文を書いたのは、中学生になってからです。
本をたくさん読むようになって、知能レベルが向上したのでしょうか。普段は無口で人と話すことはほとんどありませんでしたから、書きたいことが心にたまっていたのでしょう。
書くことが好きになりました。書き始めると止まらなくなりました。国語の作文というのはだいたい原稿用紙3枚以上というのが基準だったのですが、わたしの作文は30枚さらには50枚100枚にもなりました。

転機が訪れたのは中学1年の新聞コンクールの時。
「封殺」のみならず「弾圧」まで受けました。

その時のお話は次回に書くことにします。

#581 見た目は子ども、頭脳も子ども?

2008年04月06日 | そのほか
街(札幌の地下街)を歩いていると声をかけられることがよくあります。昨日もそうでした。


しかも後ろから声をかけられることも少なくありません。
(知らないうちに指名手配されているのか? …


そしていつも相手が誰だかわからないのです…。

女の人「わたしよ、高校の時一緒だった○○よ! 忘れちゃったの?」
このは「ん~…? は…! ええ~!!

忘れているということではなくて、あまりにも外見が変わりすぎていてわからないのです。
お会いする方々は皆変わりすぎ~~!!

そう言うと必ず「わたしは普通よ、紅葉の方が変わらなさすぎ!!」と反論されます。


「極端ななで肩」「昔の日本人体型(胴長短足)」「独特の歩き方」「ダサイ服装」…これで、すぐにわたしとわかるそうです。(「歩き方が変」と言われるのは自分ではわかりませんが…ほかはだいたいそうだわね

「あんたはシルエットだけでも見分けられるわ!」と言われたこともあります…。(どんなシルエットだ?

まあ、このくらいのことでしたらいつも言われていることなので別に気にしてはおりません…

同級生「あなた、今どうしてるの? なんか行方不明って事になってるけど…」

高校時代の同級生とは誰とも連絡をとっていないので仕方ありません。

同級生「ウワサでは、ソ連に亡命したとか、今はチベットで独立運動をしているとか…」

これもあながち大げさではなくて、昔のわたしの言動に起因しているので、いつものことですし、あまり気にしません…。

それよりもショックだったのは…

同級生の娘さんがもう中学生ってこと!!
そうか…そうだよね、そのくらいの子どもがいても不思議じゃない年齢だものね…
…って、わたしもか!!

しかも、その中学生の娘さんはわたしよりも大人っぽくて、しっかりしてそうだったの…

わたしは…外見も変わっていないかもしれないけれど、それ以上に中身も変わってないようで…

同級生「昔のままでいられるなんてうらやましいわ…」
うらやましがらないでください…中身が幼いまま成長していないだけですから…


結婚とか子どもとか幸せな家庭とか…そんなこととは無縁なわたしの命は、すべて「らくがき」に捧げたの!

…って言い切って、わたし大丈夫?