ポスター前回の記事 ➔ ポスター0018 嵯峨祭 5月17日、24日
元 壬生車庫の跡地 現在は市バスの車庫になっています
碑文は撮影しにくい位置になったので 3枚に分けて載せます
文字にしました (平成27年9月3日)
京都市営交通事業は明治45年6月11日
壬生車庫前~千本丸太町~烏丸丸太町~烏丸塩小路間
及び四条西洞院~四条小橋間の軌道事業の開始にその歩みを始め
昭和3年5月10日には
乗合自動車事業をも開始した軌道事業は昭和53年9月30日限りで廃止したが、
昭和56年 29日に地方鉄道事業(地下鉄烏丸線)を
開始した創業70周年を記念して事業発祥のこの地に記念碑を建てる
石碑 前回の記事 ➔ 石碑向0053 旭米顕彰碑 米の品種改良に尽くした人
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浄土宗
京都市中京四坊大宮町190-2
洛陽 六番 地蔵尊
三番 正観音 (明治2年2月建立) と書かれています
こちらは 延命地蔵尊
正観音はこちらかな
寺院 前回の記事 ➔ 寺院中0176 華開院 日野富子・墓所 皇室ゆかりの名刹
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祇園祭には 山鉾巡行の他に、17日の夕方から 神輿三基が八坂神社 前を出発して巡行します
三条台若中会所
この付近は慶長9年(1604)の二条城築城の頃より二条御廻りと呼ばれていましたか、元禄から享保にかけて三条台村に地名が変わりました。元禄の頃(1690年頃)から八坂神社の神輿渡御に奉仕し、三条台村の有志が相集い村の発展と共に「三条台若中」という組織をつくり巡行に携わってきました。
天保3年(1832)民家を会所と定め、後、文久2年(1862)に改築。現在のものは、昭和2年(1927)に建て替えられました。
尚、神輿渡御については、明治までは中、東、西の三座とも神輿の渡御に携わっていましたが、現在は中御座のみを舁いでおります。
「三条台若中」は、昭和5年に祭りの実行団体の三若組(現在の三若神輿会)と維持運営の祇神会に組織変更され、現在も活動を続けております。
三条台若中
三若 神輿会 財団法人 祇神会
関連記事 ➔ 神社中0069 八坂神社御供社
まち歩き 前回の記事 ➔ まち歩き上0140 アーユーレディー 、OKです 葵祭り
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浄土宗清浄華院 皇室ゆかりの名刹 後醍醐・光明・後光厳・村上天皇の勅願寺
足利義政の妻 日野富子の墓がある
NHK大河ドラマ 「花の乱」 で 日野富子 が出ていました
平成6年放送 三田佳子 出演
華花院
浄土宗清浄華院に属する皇室ゆかりの名刹 山号も寺号もない。寺伝によると、当院は鎌倉時代の康元元年(1256)後深草天皇皇子法達親王によって創建され、後醍醐・光明・後光厳・村上四帝の勅願寺となり禁裏内道場に准ぜられたと伝わる。
今も寺宝に後深草天皇以下、歴代天皇の綸旨を所蔵している。
境内墓地には後円融天皇母藤原仲子、後小松天皇母藤原厳子の墓、光照院・恵聖院・三時知恩寺等門跡尼公と日野富子の墓がある。
寺ははじめ上京区大宮通寺之内下ル、華花院町にあったが、応仁の乱に罹災し、
現在の地に移ったのは江戸時代の寛文8年(1668)で、
本堂には洛東真如堂本尊と同木と伝わる本尊阿弥陀如来像を安置する
寺院 前回の記事 ➔ 寺院中0175 如来寺 浄土宗
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5月13日 昼ごろの京都御苑 観覧席の準備がされています
行列は 奥から手前に行進
隅々まできれいに
いい写真をとるには、脚立は必需品です
町中での撮影は背景が建物とかが映り込むので
場所を選ぶのは下見が必要です
御苑内部では樹木が多いので自然な感じです
まち歩き 前回の記事 ➔ まち歩き西0139 道路標識 丹波街道・善峰道 10・208 長岡京市
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