アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数6500 いろいろなテーマで京都をめぐります 
京都市外も始めました 先ずは京都南部から

石碑上0087  元 阿弥陀寺の石碑

2015年05月19日 12時54分36秒 | 石碑

ここに 昔 寺があった

 

 

今はどこに移転したのでしょう

大正11年の建立

京都市内の阿弥陀寺

阿弥陀寺    浄土宗        京都市上京区鶴山町14

阿弥陀寺    浄土宗        京都市左京区静市静原町227

阿弥陀寺    浄土宗        京都市左京区大原古知平町83

阿弥陀寺    浄土宗        京都市右京区嵯峨野宮ノ元町76

阿弥陀寺    曹洞宗        京都市右京区嵯峨越畑南ノ町23

阿弥陀寺    浄土宗        京都市伏見区横大路富ノ森町70-11

阿弥陀寺    浄土宗        京都市伏見区西大手町309

阿弥陀寺    西山浄土宗 京都市伏見区淀水垂町531

阿弥陀寺    浄土宗        京都市山科区北花山寺内町9

阿弥陀寺    浄土宗        京都市山科区御陵天徳町19

阿弥陀寺   浄土宗西山深草派        京都市西京区桂千代原町22

 

石碑 前回の記事 ➡  石碑上0086  赤穂義士46名の遺髪塔跡 

川柳

中身より 字の大きさで 選ぶ本      /西村

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寺院上0249  因隆寺  浄土真宗 大谷派 船岡山

2015年05月19日 11時55分38秒 | 寺院

 京都市上京区西社町166

 

 

寺院 前回の記事 ➡  寺院上0248  西法寺  由緒ある寺  石卒塔婆

川柳

聴力の 検査で測れぬ 地獄耳        /大沢

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寺院上0248  西法寺  由緒ある寺  石卒塔婆

2015年05月19日 10時38分42秒 | 寺院

浄土真宗 本願寺派

 

 

平安末期に多くの名僧を出した  安居院(あぐい)

応仁の乱で 焼亡

本堂には 鎌倉時代の仏像が安置されている

境内には 聖覚上人の墓とされる大きな五輪石塔がある

西法寺

安居院と号し、浄土真宗本願寺派に属する。文禄2年(1593)、僧明円が安居院を再建し、名を西法寺と改めて真宗寺院としたものである。安居院とは、この近くにあった比叡山延暦寺山内の竹林院の里坊のことである。平安時代の末期以来、安居院には名僧が住み、中でも澄憲(澄賢)僧正(藤原信西の子)、聖覚法印(信西の孫)らが唱導(神仏の功徳を説いて信仰を勧めること)の技術に優れ、以後、代々受け継いで安居院流の唱導を作り出したことで有名である。14世紀頃に神社の縁起を集めた「神道集」がこの流派の人々によって作られた。聖覚は謡曲「源氏供養」にも語られている。寺宝として安居院及び真宗関係の仏像・文書類等を蔵している。 京都市

本堂の本尊阿弥陀如来像は貞永元年(1232)の墨書銘がある

なお、境内には聖覚上人の墓と伝える大きな五輪石塔(鎌倉)と石卒都婆(鎌倉)がある

 

 

澄憲僧正の関連記事 ➡ 長福寺  臨済宗南禅寺派

寺院 前回の 記事  ➡  寺院上0247 真教寺 浄土宗

 

川柳

 

若作り 席をゆずられ ムダを知り    /津村

 

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寺院上0247 真教寺 浄土宗

2015年05月19日 08時56分41秒 | 寺院

 京都市上京区西社町209?

 

寺院 前回の記事 ➡  寺院上0246 徳壽院  浄土宗 社乾山

川柳

ボランティア するもされるも 高齢者     /合田

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寺院上0246 徳壽院  浄土宗 社乾山

2015年05月19日 08時00分49秒 | 寺院

 京都市上京区西社町208

寺院 前回の記事 ➡  寺院伏0245  嘉祥寺 天台宗  深草聖天

川柳

場を察知 呆けたふりして なごませる   /池田

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石碑上0086  赤穂義士46名の遺髪塔跡 

2015年05月19日 07時30分00秒 | 史跡・旧跡

討ち入りした47名のうち 

寺坂吉右衛門は切腹していないため46名の遺髪塔であった

なぜここ京の瑞光院にあるのか、説明板を見てください

この地にあった瑞光院は山科区に移転しました

 

赤穂義士46士 遺髪塔の由来

元禄15年(1702)12月、赤穂浪士吉良邸に討入本懐を遂げし後、翌年2月4日に義士46人が切腹する2日前、瑞光院々主の使僧、宗海禅師は細川、松平、毛利、水野の4家の大名に預けられた46人から髷の髪をもらい受けた。帰京後、大石内蔵助良雄の遺志により主君、浅野内匠頭長矩候の墳墓の傍に46士の遺髪を瓶の器に納めて埋め、その上に遺髪塔として石塔一基を建立した。石塔には46人の姓名と戒名が刻まれている。義士のうち寺坂吉右衛門は切腹していないため刻銘されていない。この遺髪塔は昭和37年(1962)、当地より山科に移転した瑞光院において現在も祀られている。

瑞光院

慶長18年(1613)浅野長政候の旧蹟地に因州(鳥取県八頭郡)若櫻城主山崎左馬允家盛候が大徳寺の琢補宗林和尚を開基として創建された。明暦3年山崎家断絶後、第2世陽甫和尚が播州赤穂城主浅野内匠頭長矩候の内室瑤泉院と俗縁にあり、且つ浅野家遠祖の旧蹟たる等の因縁により、赤穂浅野家の祈願寺となる。元禄14年3月(1701)、長矩候江戸城において吉良上野介への刃傷におよび浅野家は断絶となる。同年8月大石良雄當院に長矩候の衣冠を埋め、亡君(冷光院殿)の石塔を建立し、以後墓参の都度同志密議の処とした。瑞光院由緒書より  平成17年12月13日

                    

 

 

関連記事 ➡  赤穂浪士ゆかりの地

石碑 前回の記事  ➡  石碑上0085 出世稲荷は2012年に大原に移転しました

川柳

歩こう会 アルコール会と 聞き違え     /本田

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まち歩き北0302  紀元2600年 共同井戸 って何

2015年05月19日 00時10分22秒 | 石碑

紀元2600年は昭和15年になります。 

でも、石碑には昭和16年と記されている。 太平洋戦争が始まった年です

この石碑 どうも 年代が理屈に合わない なぜなんだろう

紀元2600年 いろいろな地 ➡  まとめ006 紀元2600年石碑・献木・奉納額  

 まち歩き 前回の記事 ➡  まち歩き伏0301  京都一周トレイル F29  深草トレイル⑥

川柳

老の恋 惚れる惚けるも 同じ文字    /池田

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