浄土宗
明治18年建立
乾三十三所 第二十二番 右 墓所案内碑
当寺境内墓地に、江戸時代の文人画家・池大雅(1723~1776)の墓がある。墓は碑面に「故東山画隠大雅池君墓」と記し、側面に大典(相国寺の文人僧)が書いた銘文を刻んでいる。大雅は享保8年(1723)京都に生れ、姓は池野氏、名は無名といい、大雅・玉海などと号した。若くより絵を志し、柳里恭(柳沢淇園)や祇園南海に学んだほか、中国の画論や画譜を通じて独学で「南画(南宋画)」を研究した。また禅を修業し、日本全国を旅したことでも有名である。生まれつきの超俗的な性格と大胆な行動力が相まって、おおらかな画法で人物や風景を誌的に表現する独自の画風を大成し、与謝蕪村と共に、日本における南画の大家と讃えられる。代表作に、蕪村との合作で川端康成が購入した「十便十宜図(国宝)」や萬福寺所有の「五百羅漢図(重要文化財)」等がある。30歳の頃、祇園町の娘、町と結婚し洛東真葛ケ原に草庵を建てて住んだ。妻も「玉蘭」と号する画家として有名。夫妻共々、数々の奇行が伝えられている。安永5年(1776)大雅は54歳で没し、遺言により当寺に葬られた。 京都市
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