アートプラス京めぐり

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京都市外も始めました 先ずは京都南部から

石碑左0156 平安遷都千百年記念橖(とう)  八瀬の地に

2018年03月24日 18時48分53秒 | 石碑

 初めは 平安神宮の境内に建てられていた

この塔は、京都に都が移されて1100年目を迎えたことを記念して、明治28年(1895)に実施された「平安遷都千百年紀念祭」の成功を後世に伝えるため、同祭協賛会幹事だった西村捨三(元大阪府知事)、内貴甚三郎(初代京都市長)、竹村藤兵衛(元衆議院議員)が、明治35年(1902)に建立しました。建立寺は、遷都1100年に合わせて創建された平安神宮の境内北側にありましたが、昭和4年(1929)年比叡山延暦寺の麓、ここ八瀬の地に移転されました。塔の高さは18m48㎝、明治時代の京都の力を今に伝える遺産です。塔の建立は、桓武天皇が平安京を創始した際、鎮護のために比叡山延暦寺に相輪塔を建立して書経を収めたという。八瀬の相輪塔の中にも経典が収められているとみられる。 1902年6月15日に塔の落慶式が行われています。2015年に解体修理が行われた。

 

塔の背後に書かれている碑文

大意 明治28年(1905)は平安京遷都から千百年にあたる。京都市は記念祭を行い大規模な式典を実施した。今ここにその時の紀念祭協賛会幹事であった西村捨三・内貴甚三郎・竹村藤兵衛らが協力して、この塔を建立し記念とすることにした。小松宮彰仁親王はこのことを聞いて喜ばれ、表面に刻む題字(タイトル)の原稿を賜った。この塔のいただきは比叡山延暦寺の塔の相輪を模した。これは比叡山のふもとの桓武天皇の平安京を造るという偉大な計画を顕彰し、伝教大師最澄の功績を明らかにし、あわせて京都の繁栄を祈るためである。わたし(筆者村田寂順)は求めに応じてこの塔の建立経緯を書いてここに刻むものである。

(京都市歴史資料館の調査による)

 

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五七五

惚けてない誰も信じてくれないが /伊東

 京の野菜

賀茂なす 京の伝統野菜の中で最もよく知られているもの。上賀茂地域の特産品として古くから保存されてきた。へたが三片のものが形の良いものとされ丸なすとして最大。むっちりとしまった肉質、煮炊きしても形が崩れにくく、油を吸いすぎてべたつくこともない。京料理の「なす田楽」に欠かすことができない。

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まち歩き左0732 比叡山の野鳥

2018年03月24日 10時48分35秒 | まち歩き

 

 

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五七五

保険勧誘弾き飛ばして今日元気 /岩永

 

京野菜

京山科なす 1つ120グラムほどの中長なすで、ぽってりと丸い形をしている。皮が薄く、肉質も柔らかい。色が変わりやすく、きわめてデリケートな野菜だが、甘味のあるしっとりとした舌ざわりは賀茂なすより美味だと定評がある。

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まち歩き左0731  高野水力発電所跡

2018年03月24日 06時06分50秒 | まち歩き

 

 明治21年(1888)創立の電力会社「京都電燈」は、京都・福井地域を中心に発電・配送電事業を行い、両地域の近代化・産業振興に大きく貢献しました。高野水力発電所は、同社が明治33年(1900)に完成させた水力発電所で、八瀬秋元町内の高野川から取水、この地点まで水路で送水して、約27mの高低差で水を落とし発電を行っていました。この発電所は昭和41年(1966)に廃止されましたが、取水水門跡や水路跡は京都近代化の貴重な遺構のひとつです。

 

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