龍目井(たつもくい)
この2つの井戸は寛文元年(1661)隠元禅師が万福寺を龍にたとえ、これを龍の目となし、天下の龍衆(僧侶)がこぞってこの地に集まることを念願して掘らせた井戸と伝わる。
史跡 前回の記事 ⇒ 史跡城陽054 縄文時代の遺跡 森山遺跡
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龍目井(たつもくい)
この2つの井戸は寛文元年(1661)隠元禅師が万福寺を龍にたとえ、これを龍の目となし、天下の龍衆(僧侶)がこぞってこの地に集まることを念願して掘らせた井戸と伝わる。
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駒蹄影園碑
鎌倉時代の始め頃、宇治の里人たちが茶の種の蒔き方がわからず困っているところへ、通りかかった栂尾高山寺の明恵上人が馬を畑に乗入れ、その蹄の跡に種を蒔くように教えたと伝えられています。
この碑は、明恵上人への感謝とその功績を顕彰するため、大正15年(1926)に宇治郡茶業組合により建立されたものです。
もと付近の茶園にあったのをここへ移したものです。
都賀山の尾上の茶の木分け植えて
迹ぞ生ふべし駒の蹄影 明恵
石碑 前回の記事 ⇒ 石碑城陽0212 忠魂碑 昭和3年
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