カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

腹の調子と民主主義

2010-05-21 | 散歩
 天気が悪かったのとなんとなく朝寝坊のちぐはぐさもあって、杏月ちゃんの散歩は久しぶりになった。
 彼女は少しばかり体調を崩しているようでお腹の調子が悪かった。普段通り溌剌と歩いているようにも見えるが、オシッコのマーキング(雌のくせに足をあげてマーキングするのである)の時の足あげの角度が低いような気がする。まあ、雌なので足をあげても出来るだけ高い所に印をつけようということではなくて、そのまま下にするんではあるんだけど。
 いつもの場所ではそのままスルーして、住宅街に入ってから臨戦態勢にやっと入った。久しぶりだから調子が違うのだろうか。内容としては小さいものの一応固形物である。最近はすっかり柔らかかったので路面を拭き取るのに難儀したものだが、固まっていると楽である。これで少しは安心できるというものだ。
 ウンチを見届けたので僕自身も特に仕事をやり終えたような気分になったが、救急車がやってきて目の前に停まって何やら慌ただしい。別に知り合いの家でもないので通り過ぎるが、ご高齢の方でも住んでおられたのだろうかと勝手に想像する。そのまましばらく歩いていると、何人かの人が先ほどの救急車の方角へ野次馬移動をしているようだ。かなりご高齢のおばあちゃんが、「救急車は何処ね」と僕に訪ねた。この道をまっすぐですよ、と、何やら変な道案内したりした。住宅街を抜けて別の集落を抜けたところで再度サイレンが聞こえた。やっと搬送されているということだろう。ご無事をお祈りいたします。
 今年の総会などの会議は半分以上終了した。まだ僕の責任のあるものが数個残っているにせよ、だいぶ心落ち着く感じになってきた。今年行われる事業の多くは、どういう訳か踏襲するようなものが多い。様子を見据えたうえで、という先行き感の無さだと思われる。もちろん未来のことなど分からない。そうではあるが、本当に数年先がよく分からなくなっているような感じがある。人によってはそれは閉塞感に似たものかもしれない。しかし妙な連帯感があるようで、泥船に乗っている人たちは運命が同じということらしい。
 そういえば先日ネットのユーストリームの中の番組で、オタク評論家の岡田斗司夫が話している内容で面白いものがあった。もっとも弾子飼が言っていたという内容なのだが。その弾子飼の話では、政治はグーグルにさせればいい、というものなのだ。いきなり聞くと乱暴だけど、今や検索エンジンこそ世論のことを一番よく捉えている存在だと言える。政治が世論にこたえていないという皮肉もあってのことではあるが、そういう意味で最も国民が望んでいることを政治に反映させようということになると、検索エンジンが一番すぐれているのではなかろうかということなのである。グーグルがそう判断したということが一番国民の望んでいる結果を表せるのであれば、極端な話、たとえば北朝鮮と戦争すべきかどうかという判断にしても、グーグルが戦争を選択すればそうすればいいのだ、ということらしい。さらに乱暴に聞こえるだろうが、それは大変に正しい政治の在り方であるという正論には聞こえた。もちろん世論に応えることが政治ではないという前提にたてばこれは暴論だけど、それはすでに民主政治ではないという馬脚を現している。政治はグーグルに任せて、人間はもっと違うことをやればいいということで、ハッピーじゃないか。
 ということで、人間が解決するには難しすぎることが多すぎる訳で、オートマチックに物事が進んでいくシステムを考えるというのは面白いのかもしれない。今の民主主義のシステムは、もちろん万能ではないが、欠陥を抱えながら別のシステムが見つからないから使われているものにすぎない。おそらく今の人類はそのような合理的なすぐれたシステムを選択することはできないだろうけど、答えがあるということが分かっただけでも有意義な気もする。
 今朝がたはそれなりに冷たい空気だったが、坂道を登るにつれ長そででは暑くなっていった。そして家のそばに近づくと杏月ちゃんの足取りは再び力強いものに変わった。散歩も楽しいが、家に帰るのも楽しいのだ。ちょっとしたことに激しく感情を変える犬という動物は本当に偉いものだなあ、と思う。僕ももう少し頑張ろうかな、と、力をもらう散歩なのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする