カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

普通の判断能力さえ無いのではないか

2010-05-27 | net & 社会
ネット選挙を解禁しても、ツイッターは許さなかった日本政治の限界
 
 怒りを通り越してあきれて徒労を覚える。この人たちっていったい…。
 ネット解禁という意味も、おそらく本当には理解していないだろうという馬脚まであらわしている。ひたすら痛いが、鈍感なのでなにも感じもしないだろう。
 多くの人たちは政治を理解したいし関係を持ちたいという気持ちは持っていると思う。これまでのように一部の人たちのために物事が決められ、自分たちの生活を勝手に決められたくないという思いも持っていることだろう。すでに諦めているという多数の掘り起こしもふくめて。
 政治家の能力というのはある意味で特殊なのかもしれないが、特殊過ぎて人間離れしてしまっているようだ。彼らの目的が政治離れを助長するものだというのなら別だが、そうではなかろうというところに、ひたすら悲しい距離感を感じるのであった。
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バラマキはまともだという答え

2010-05-27 | 時事
 昨夜いろいろと話をした中で、以前から考える自分の考え方の大衆性のなさを確認するということはできた。それは理屈というか感覚というか。
 子供手当などのバラマキ政策は、将来的な税金の先食いなので貯蓄に回るという可能性が高いというのは、いわば常識的な認識だと思っていた。だから政策的には期待している人などほとんど居なかったろう。要するに子供手当目当てに民主党を選んだ人などおそらく少数で、財政の健全化や税金の適性な使い道に希望を託して政権交代が実現したというのが、多くの人の認識ではなかろうか。やるにしても埋蔵金や弁当の間仕切りを変えて財源を充てるということなんだから、それができなければ実行する必要もない。だから先に子供手当などのマニフェストから実行するのは筋違いなのであって、結果的に現在の状況は民主党の裏切りであるというのが素直な読み方だろうということになる。
 しかしながら実際に投票する人は、子供手当に現在喜んでいる人ではないかという意見があった。つまり選挙においてはバラマキ政策は残念ながら効果があるはずだという。僕自身もバラマキがまったく選挙のインセンティブにならないとは思わないけれど、そういう認識はそれなりにショックだ。結局は誰かが負担することは間違いがないので、それが選挙民だというのは常識ではないのか。そこまでは投票時には考えないということなのだろうか。
 家計の支出増を期待するなら減税こそ効果があるというのも、僕は常識だと思っていた。もちろん社会保障が行きとどかないという不安があって貯蓄に回るという考え方も無いではないが、日本が社会保障が不足しすぎている国とは考えにくい。社会主義に近い北欧と比較するには国の規模が違いすぎる。つまり左すぎる思想の人以外そのような認識の人など居ないだろう。ところがやはり減税をしても、貯蓄に回るだけではないか、という疑問の声も出た。いや、そういう人もいないとは言えないが、減税をすれば手取りが増えることだけでなく、小さい政府にならざるを得ないということで、緊縮財政を余儀なくされる。政府はさらに財政を圧迫するような手を打てなくなる。その上に企業活動は自由度が増し、投資による将来的な期待も高まるだろう。そうであれば先々の不安はむしろ払拭され、現在支出可能な選択は増えるだろうと思われる。もちろんその前に現在の日本の財政は信用できないという側面が大きすぎて困る面はあるが、バラマキ政策をするよりはるかに支出に対するインセンティブは高いと考えるのは常識的なことなのではないのか。バラマキも減税も同程度に貯蓄に回るという感覚は、僕にはよく分からなかった。が、確かにそう考える人が多いという指摘はやはりよく考えると分からないではない。
 世論調査を見る限り、現在の国民は将来的な不安に対して増税もやむなしという賢い認識を持っていることは知られている。しかしそれでも政治はその国民の民意を信用せず増税しないままバラマキを拡大している。むしろその規模は加速拡大してしまってさえいるのが現状なのだ。それでも破綻しないのは、やはり将来的には増税の選択をいづれすることにならざるを得ないことと、想像以上に日本の資産も大きいということが担保になっているからであると考えられる。政治が無茶を続けてもこれまでも耐えられたし、現在も持ちこたえている。とるべき政策は限られているはずであるのに、その限られた選択をする政治家はいない。
 そのような考え方は僕が知る限り多数ではないようだ。僕の考える政策はそういう訳で多数派ではない。つまり魅力は無いのであろう。そういうことが分かって僕としてもよかったと思う。もちろん多数派であったためしはないのだからそれでぜんぜんいいことだ。僕のとるべき選択はますます明確になったということが明らかになったということなのであった。
 
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