カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

ヤジはやはり華ではない

2014-06-22 | 時事

 話題の都議会ヤジ問題。これだけの話題になること自体が問題という感じだが、何かやはり社会的にこのような問題についての鬱憤があるためであるのだろう。
 映像で見ると、確かに複数の声が聞こえる。失笑も漏れ聞こえ、さらにヤジを受けた女性議員も、言葉につまるというか、ちょっと笑っているようにもみえる。思わず苦笑い、場の空気として、ウケるヤジだったということだろう。だから連鎖して関連するヤジが複数飛ぶということになったと思われる。
 問題化したのは、だから後でこの議員がツイートしたのが拡大したためである。ちょっとひどい話だよな、という共感が、いや、単にそんなもんでいいのか、という怒りの連鎖を生んだのだろう。これを取り上げるマスコミも、これは面白いと飛びついたわけだ。
 いやいや、面白い問題じゃないよ、と思う人が多いのかもしれないが、基本的にそういう問題だろう。ヤジを飛ばした人間を特定し糾弾すべきという論調が主である。ヤジの内容は率直に差別発言だし、まったく酷いことだ。普通の会話などでも普通に謝罪すべき内容だろう。そのような発言をしてしまうような議員は辞職させるべきだという意見もあって、ヤジを受けた人間より周りの方が盛り上がっている。しかしながらそういう空気があるなら、ますます発言した議員は名乗り出にくくなるだろうし、特定する憶測だけで、空転しかねないだろう。もちろん、見つかるかもしれないが…。
 このヤジ問題のマスコミにまず残念さがあるのは、ヤジの内容がセクハラ発言と書いていることだろう。これは本当にセクハラ発言なのだろうか。まず、(女だから)早く結婚しろ、(まず自分が)子供を産め、というのは、性差別だし、人間を虐待する言葉による暴力だろう。セクハラというのには、あまりに認識が甘すぎるのではないか。
 さらにこのヤジが飛んだ本当に背景は、ヤジは議会の華という認識を改めない日本の政治風土にあるのは明らかだ。人の発言の内容などお構いなしに、ヤジで発言を妨害することを見過ごし続けている現実が、より効果的に発言を遮る内容をあおっているのである。今回は女性差別発言という面白さがあるからみんな怒っていいというスイッチが入って盛り上がっているが、本当に問題はそれ以前にあるわけだ。結局そういう背景を改めない限り再発するだろう。
 ヤジはどこの国にもあるという意見もあるが、確かにアジアの国ではそういうところもあるようだが、基本的に誰かが発言している最中に、これだけ内容に関係ない妨害ヤジを放置している国の方が少数だろう。これはもう、かなり長い間言われ続けているこの国の政治の恥部なのである。でも、やはりまったくぜんぜん改めない。政治家は会議の時に内容より敵をヤジることを仕事にしているからである。で、これに動じない人が、偉い政治家だと思っているのである。まったく馬鹿を生産する機関というべきだろう。
 ヤジがなくなれば日本の政治が良くなるのか、というのは、原因として関係ないように思うかもしれないが、このような政治風土を変えることは、内容をより精査して議論する土壌を育むことは間違いなかろうと思われる。人の話はちゃんと聞いたうえで、論理的に論破することに専念すべきなのだ。どうせ多数決だから議論しても一緒だというのなら、議会そのものを否定しているに過ぎないだろう。何のために当選したのか、真面目に考えて欲しいものだ。
そうしてマスコミも、そのようなちゃんとした議論の内容こそを伝える努力をすべきだという、実に当り前のことが、やはりできていないがための問題の噴出と見るべきなのではなかろうか。
コメント
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