明けましておめでとうございます。皆さまにとりましてよいお年になりますように。そうして今年もよろしくお願いします。
さて、今年がどういう年になるかは僕が予想してもしょうがないことですが、まあ昨年からの続きですので、ある程度はそれを引き継いでのことになるかとは思います。さっそく言いたくない気分にさせられるわけですが、では言わなければいいだけのことです。だいたい僕の力ではどうしようもないことを、僕が考えても仕方ないのです。でもまあ、とりあえず世界が終わらないことを祈りましょう。時間の経過とともに、少しくらいは兆しが見えてくるとは思うんですけどね。さて、どうでしょう。
将来やりたいことは今すぐにやるべきことだとは言いますが、やっぱり先送りしてしまうんですよね。でもまあ何をさておいて絶対やるぞってことなんて、本当に少なくなりました。海外旅行に行きたいわけでもないし、どうしても欲しいものがあるわけでもない。事業としては、こうなればいいな、というのはあるんですが、今はその時で無し、ということは分かっていますので先送りです。焦ることはありません。準備も必要なことでしょう。正月だからしなくていいことでも無いですし、刻みながら考えることは致します。
日頃本は読んでいるんですが、もう少し時間確保しようかな、とも考えるところです。なんだか自分の時間が残り少なくなっていることが実感できるようになって、ちょっと切実さを感じているかもしれません。そうして若さがなくなると、読書にも体力のようなものが必要だったのだな、とも思うようになりました。映画も多少はそうですが、それはただ観ていても時間は進みます。しかしながら読書というのは、受動的なように見えて、能動的に動かなければならないように思います。ゴリゴリ押し進んでいくような、そういう姿勢はきわめて大切です。それは他の事にも言えることですが、そうやって読みながら考えることを、今年もやっていこうと思います。買った本のすべてを読むことは不可能ですが、少しくらいはできないことではありません。そうであるなら、やはりやるしかないでしょう。
今やっていることの多くは、あと6年くらいしたら、ずいぶん手を加えなければならないという感じもします。すべては書けませんが、そうすると僕の晩年が始まるのかもしれません。そうならないかもしれないですし、そもそも突然それらは途切れるかもしれない。そうなるとどうにもならないので、誰かがどうにかするでしょうから、それはそれでいいのですが、僕がやらなければならないことがあるとすれば、それくらいの時間のスパンの中の六分の一の時間が今年だということです。つまり、ペース配分はそれで行きましょう。ほとんどは、続きのある事の延長からですので、目の前のことをやるだけでもいいとは言えます。自分がどこにいるのか、分かりさえすればいいのでしょう。
それ以上は走りながらということで。まあ、走っているのでしょうね、たぶん。