カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

人間は動物的に同じ倫理をもっている   ダーウィンの思想

2021-01-11 | 読書

ダーウィンの思想/内井惣七著(岩波新書)

 副題に「人間と動物のあいだ」とある。おそらく現代人の誰もが知っているダーウィンの進化論だが、同時にあまり読まれていないだろうことでも有名だ。ふつうに翻訳されて売られてもいるし、僕なんかは持ってもいるが、ちゃんと読んだことは無い。少しだけ読んで、なんだか面倒になってやめてしまうのだが。そうして入門書を読む。普通ならそれらの一つだと紹介しても良いのだが、そのそれらというものの中には、ダーウィンを理解してないまま書かれているものがそれなりにある。ダーウィンを理解しているうえで書かれている入門書の一つと紹介するべきであろう。
 200年近く前のダーウィンの育った環境においては、進化論が人間も関係している理論だということを考えることがいかに困難だったか。実際たいへんだったわけで、そういう背景もあって、ダーウィンは慎重に慎重に、様々な事実を集めて論証し、進化論という流れの正当性を組み上げていたのだ。そうしてダーウィンが更に凄いと思われるのは、人間の道徳心というようなものでさえ、進化論で解けるとしたことだ。さすがにこれは理解できなかった人や反発を覚えた人がたくさんいたようで、そのためがあったせいだとばかりとも言えないが、結局その当時は進化論自体は驚きの反応がありながら、その後は一時期停滞する。しかし時代は進み新しく化石が見つかったり、地層の時代検証が正確に行われるようになったりなど様々な目覚ましい進歩を遂げ、ダーウィンの進化論はどんどん新しい成果として証明がなされるようになっていく。そうでありながら、人間の生きている時間はあまりにも短い。感覚としての進化というのは、例えばスポーツ選手が激しい訓練を積んで新たな記録を打ち立てるなど、そのような進化論となまるで関係ない事象を含んだ物言いを可能にしてしまうような錯覚を起こしてしまう。そうして現代人にとっての進化論は、一般的に誤解だらけのものばかりがあふれてしまうのである。それはある意味で仕方のないことではあるものの、だいたいの感じとしての進化論の壮大な流れと我々の考えの癖のような本能的なものを、進化論を交えて考え直してもいいのではあるまいか。
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