カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

我々のこの残酷な世界を変えていこう

2021-06-23 | net & 社会

 パラ陸上の選手が、自分が競技に取り組む姿勢を聞かれて「人生をかけて取り組んでますし、遊びでないというところだけは分かっていただけたら」と発言したところ、「自分たちだけが必死にやっているアピール」に聞こえるなどと、ネットで炎上したという。
 もちろんこれは、コロナ禍の東京の大会で、感染防止の取り組みの中開催されている状況や、そうしてインタビューを振った意図としても、このまま東京パラリンピックを開催していいのかという批判の意を向けての空気があったものと考えられる。
 いくつか注意が必要な感じがするが、これが現在の世論形成を形作ろうとするマスコミサイトと、それに乗っかって洗脳されているネット民の連携が考えられる。
 例えば野球の大谷選手が、このような発言をしたとしても炎上するはずはない。
 大阪ナオミならどうだろうか? まあ、マスコミは一応そういう部分には目をつぶりそうだ。
 さらにパラ陸上選手でなければどうか? これまでも様々な分野の選手にこのような空気感のある質問がなされ続けている。そういう意味ではこのパラ選手は、少し無防備であるとか、さらに大きなプレッシャーがあった可能性もある。
 いわゆるアスリートの旬の期間というものがあるとすると、この期間に調整してきたものは計り知れないものがあるだろう。また、それだけやってこない限り、チャンスさえやってこないだろう。ましてや結果を残すなんてことは……。「遊びじゃないんだ」という発言の根拠は十分に理解できる。「自分たちだけが必死だ」と捉える感性には、むしろ自分だけしか見えない人でなければ発することが不可能な発言であろう。
 またいくつかの視点を提示したがごとく、かなり差別的である。もちろん、このような発言は、井戸端や居酒屋であれば何ら問題はない。報道を受けてのネットでの反応であることに暴力性を帯びた残忍さがにじんでいる。さらに炎上もどきだ。なるほど、日本というのは、それだけの国なのか、という思いさえする。
 実際の状況を知らないが、しかし少し繰り返しになるが、おそらく今調子を上げて活躍する選手に向けて、開催の是非についても、政治的なニュアンスを含めて尋ねる風潮があるのではないか。そうであるならば、このきわめて難しい局面で苦しんでいる選手に向けて、一緒になって悔しがったり、不安がったり、困惑する気持ちのある人間が問うべきなのではないか。何か面白いことを言ってくれないかとひねた心持で聞き出し、そうして「しめたっ」と思ってクローズアップするのであれば、単なる妨害行為であり、さらに具体的に暴力であろう。複雑で何重もある苦しみに輪をかけて踏みつける行為に自体に、抗議をすべき時ではないだろうか。
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