これは水です/デビッド・フォスター・ウォレス著(田畑書店)
著者は作家で、すでに自殺してこの世にいない。この文章は、大学の卒業式での有名なスピーチらしい。僕は知らずに本を買って読んだが、ネットに動画もあるらしいし、ただで読める翻訳もある。帯にはスティーブ・ジョブスの伝説のスピーチも凌ぐ(メッセージ)とある。なんでこの本を買ったのかは忘れたのだが、誰かが褒めていたか何かして、いわゆる興味本位だったのだろうと思う。本にしては字数が少ないし、一ページに数行しか書かれていない。そうして翻訳が悪いのか、どうも意味がよく分からない。優れたスピーチだとされる理由は、いったい何だったのだろう。
非常に説教臭く、意味深に見えながら内容が無い。こんな話に、本当に何か心打たれる人なんているんだろうか。アメリカ人はそこまで馬鹿なのか。まあ、その両方ともそうなんだろうけれど、何物にもとらわれることなく自由に物事を考えていいのだ、ということなのかもしれないので、このような感想を持ってもいいはずである。うまく受け止められなかっただけのことだから。
しかしながらおそらくだが、何かの権威主義的な考え方があって、著名な作家が不幸なことに亡くなってしまって、そうして亡くなる数年前までには、このようなスピーチを残していたことに感銘を受けた人がいたのだろう、とは思われる。あちらの国には宗教があるので、そもそも出発点として、人間の考え方を阻害する不自由を感じている人が多いのかもしれない。少なくとも宗教にある教条的な何かに対して、それらにとらわれず自由さを取り戻そう、というメッセージは受け取ることはできるだろう。そういう想像を働かせないことには、何かこの一連の文章を上手く呑み込めない。当たり前といえばそんなようなことを言っているようでいて、言葉の使い方が下手なので、何を言っているのかよく分からないだけのことだ。このスピーチを頼んだ大学側としても、頭を抱えたことかもしれない。終われば時間の経過に感謝する拍手も起こったことだろう。
そうではあるが、時間の無駄だから読むなと言われると、逆に興味を持って読む人が現れるかもしれない。そのような考え方をする人は嫌いではないが、僕の警告は済ませてある。そのような自由を行使しないように、願うばかりである。