漂流/吉村昭著(新潮文庫)
江戸時代に、いわゆる貨物船で航行中に天候が悪化し、沖に流された後に漂流し続け、難破船となる。そのまま潮流に流され、命からがらたどり着いた果ての無人島での生活を余儀なくされる。島は火山の活動は停止しているが、草木もろくに生えない孤高のもので、巨大なアホウドリの繁殖地であった。アホウドリのおかげでなんとか食つなぐことができたものの、病気や絶望などで仲間を失い、後に二回にわたる難破船の仲間を交えながら、12年以上にわたるサバイバルを成し遂げて生還した、長吉という男を中心とする物語である。何しろ長い年月にわたる壮絶な孤島での生活は、何度も希望をくじかれることになる絶望的なものだった。アホウドリやわずかに取れる魚介などで食いつなぐことはなんとかできるものの、雨水にしか頼れない島の事情や、太平洋上の船の航行上何も通ることのない完全断絶の状態に苦しめられ、人間的な正常心を保つことも困難な状況に追い込まれる。精神的に気丈でなければ、簡単に死の底に突き落とされる運命にある。そういう中にあって、絶望の中にありながらも生きることの執着をあきらめず、念仏を唱えながら生き抜く、長吉の執念ともいえる希望の持ち方があって、周りの人間を巻き込みながら、ある決断をし、島から脱出を試みようとするのだった。
島に流されてしまった境遇は、あくまでも呪いたくなるような凄まじい不運には違いないのだが、何とか生き残る術を見出し、そうして最終的には、島から奇跡の脱出を図る顛末を振り返ると、実に奇跡的ともいえる幸運を背負っているともいえないだろうか。事実この島に流れ着いたもので、生きて島から抜け出せたものは、おそらくそれまで居なかったに違いない。過去にも人の住んでいた形跡はあるものの、既に生き残っているものは無かった。新たに流れ着いたものがあったのみで、他に船影を見ることすら皆無という、すさまじい孤独感と時間の中に閉じ込められてしまうのだ。
季節は巡るが気の遠くなるような単調な毎日になりがちな中にあって、着実に生きるために体を動かし、何度も絶望の淵に立たされながらも正常心を取り戻そうとする人間の葛藤ドラマに、なんとも言えない感慨を抱かざるを得ない。人間はここまで強くなれるのか。または、人間の力は、島にやって来るアホウドリたちに比べても、なんとも無力なものでは無いのか。
しかしながら彼らは、ふつうなら夢物語に過ぎない希望にすべてを託し、粘り強くこの絶望の苦境を打開すべく立ち向かうのである。
背景にある様々な時代的な状況や、当時の漁村に暮らす人々の風習や、このような遭難の記録など、この物語だけでない膨大な資料を読み解いたであろう著者の力量がいかんなく発揮された作品となっている。坦々とつづられているような文体にありながら、登場する人物たちの心の微細な揺れから大きな感情の高ぶりまで、まさに胸に迫るように描かれている。読みながら本当に圧倒されてしまう思いがした。生還したという結末が分かりながらも、その生死の境にあるスリルのようなものが実にリアルに伝わって来て、先を読む手を止めるのが困難だった。しばらくは船に乗るのもやめたくなる伝記小説である。