カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

コリと痛みに湿布を貼る

2017-09-15 | 掲示板

 若いころから肩が痛かったり腰が痛かったりということはあった。しかしながら圧倒的に、今の方がそのような経験の頻度は高くなっている。特に何かした覚えは無くとも、体のあちこちが痛い。疲れているという心情的な時であっても、体の方も痛くなる。肩が凝ったり首が痛くなったりする。肘や膝なんかも痛くなる。足首も痛くなるし指なんかが痛むときもある。ぶつけたとかいうことが無くても痛くなるのは不思議なものだが、痛くなる実感に嘘は無い。
 そういう時は自分で指圧する。会議の時など、暇つぶしのように指圧している。あたりを見回すとそのような人はちらちら見かける。肩の付け根をギューっとしている人だと、五十肩かなと思う。肩甲骨を器用に押している人もいる。まあ、肩こりでしょう。首をゴリゴリやっている人もいる。寝違えているのかもしれない。机の下で、足のふくらはぎあたりをさすっているような人もいる。確かに少しは疲れがとれるかな。ひょっとすると眠気を紛らわしているのかもしれないけど。
 素直に湿布すると気持ちがいい。これは年を取った特権ではないかとさえ思う。若いころもひんやりして気持ち良かったと思っていたはずだが、これは断然もう年を重ねた体だからこそ実感の大きい快感かもしれない。ジワーッと有効成分が染み出していることもはっきり感じ取ることができる。薄荷かインドメタシンか知らないが、人間の体に染みて何かを和らげてくれる成分というのは本当にありがたりものだ。実はたいして効いていないとしても、ジワーっと来るだけでもそれでありがたいのである。そうしてほんの少しだけれど、時間を経過するとコリのようなものが少しだけ和らいでいると思われる。若いころはちっとも効かないと感じていたものだが、これは老人性のコリには多少くらいは効くものなのである。何事も長生きしなければ分からないことはある。湿布の有効性はそのような経験値によって実感は違うものなのではないか。
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王道少女マンガ・コメディ   ヒロイン失格

2017-09-14 | 映画

ヒロイン失格/英勉監督

 原作は漫画のようだ。幼馴染でいつも一緒にいる仲良しで猛烈に思いを寄せている男がいるのだが、ちょっとした暗い過去もあり自己中心的なふるまいをするところがある。学内では大人しめの目立たない女の子が不良に絡まれているところでこの男の正義感が動き、解決は他の人がやったにもかかわらず思わず関係性が出来てそのまま二人は付き合うことになってしまう。これまで学校内では公然の仲として認められているはずだと勝手に思っていた主人公は、自分のヒロインの立ち位置が脆くも崩れてしまったことに大ショックを受けることになったのである。そんな中、どうもクラスメイトだったイケメン男が言い寄って来て神のように周りの気持ちを理解しながらこの話をかく乱していくのだった。
 実写映画に字幕で無く文字が現れたり、心模様のショックのために矢が突き刺さったり、けっこうCGも使われている感じがする。出だしで、なんだろうこれは、という感じはあったが、まあ、僕も漫画世代なので、じきに慣れた。
 美男美女や不良のキャラクターがはっきりしているが、なんとなく高校生には見えない。どう考えても富裕層の若い大人たちで、酒を飲んでないのが不思議な感じだった。学園生活に勉強部活もほとんど見当たらない。廊下や学食、図書館に授業の終わった教室が、辛うじて学校であることを思い出させてくれる。恋愛オンリーの世界観というのはこういうものなのか。僕は男でさらに自分らが暮らしてきた学校の世界観とあまりにも別世界で、パラレル・ワールドを見るような感覚だった。修学旅行でもそれぞれにスイートのような個室らしかったし、ちょっとだけでてくる先生や親の存在がものすごく希薄だ。着ているファッションもそれらしいし、日本にも貴族がいるのかもしれないな、などと考えないように観なくてはならない。さらに夏の花火の重要な場面から恐らく一日後が、いきなり秋から冬のような世界になっている。季節感を味わうものでは無いのだろうが、時間軸がなんだかおかしいかもしれないという印象はちょっとだけ受けた。
 しかしながらである。これが面白いのである。漫画だから無茶苦茶なところはたくさんあるが、心理描写に素直というか、自分の中のいやらしい感情もちゃんとさらけ出したうえで、さまざまな葛藤の中で女の子が生きていることがよく分かる。途中のイケメンの神的な視点以外は、皆高校生くらいの世代の人が、恐らく内面に持っているダークさや純粋さというものなのではないだろうか。コメディだからこそそういうものに正面切って挑みかかっているともいえて、なるほど恋の駆け引きのドラマチックさというものは、こんなものがあったのだな、と感心してしまった。それにしてもいまだに少女漫画は、幼馴染もの好きなようですね。何処か運命めいた関係の方が、絆として強いということなんでしょうか。でもまあ、また少女漫画を読んでみたくなる楽しい映画だった。
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クマノミの雌は一番強い雄

2017-09-13 | 境界線

 イソギンチャクの間を泳ぐクマノミは、アニメにもなった関係もあってか、大変に人気のある魚である。オレンジに白い三本の縞模様が鮮やかで(橙が主だったり背が黒かったりなどの種もある)可愛らしく美しい。暖かい海に生息し、地域で様々な呼び名もある。高知ではチンチクリなどと呼ばれているという。
 見た目の可愛らしさと裏腹に、大変に攻撃性の強い性格である。縄張り意識が強く、イソギンチャクの間で激しい攻防を繰り広げている。捕食する大型の魚の脅威もあって、棲みかを追われると死活問題である。弱い個体は安住の地を求めて、ひたすら放浪するより無い。そうして鍛えられて成長し、やがて良いイソギンチャクを支配するまで戦い続ける。
 さらに面白いのは、ひとつの縄張りの中で一番大きな個体は必ず雌である。そして次に大きな個体のオスとしか交尾しない。後の雑魚はナンバー2になれるまでひたすら争い続ける。そして一番大きな個体の雌が死ぬなどアクシデントがあると、何と今までのナンバー2のオスが、メスに性転換する。そうして今までナンバー3だったオスとだけ交尾して子孫を残すのである。なんとなく人間の感覚からするとややこしいが、そうやって強い子孫を残す戦略なのかもしれない。
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信用が疑いによって、それぞれに壊れていく   怒り

2017-09-12 | 映画

怒り/李相日監督

 夫婦惨殺の事件が起こる。血だらけで殺されている部屋の壁には、「怒」という血で書いた大きな文字が残されていた。犯人は山神という名の頬にホクロのある男と分かるが、それでも捕まらないまま一年が過ぎる。物語はここで千葉、東京、沖縄の三か所での群像劇となる。それぞれの場所で、過去に謎の残る男たちが現れ、その場所での人間関係を築いていく。しかし公開捜査がされる中で、それぞれが犯人ではないかと近しくなった人から疑われるようになるまでに、その人間関係が非常に濃くなっていくのだった。
 ミステリとしての緊張感を保ちながら、人間ドラマの密度がどんどん増していって、それぞれのエピソードから、誰もが犯人らしく見え、さらに犯人で無いことを願われるようになっていく。最終的に謎解きはなされて、その内容自体も大変にショッキングだが、三様の在り方も、何かおさまりが悪いような影の残る作品になっている。
 映画としての演技合戦にもなっており、妻夫木はゲイにしか見えないし、渡辺謙や宮崎あおいの演技にも引き込まれる。沖縄問題は当事者意識がよく伝わるし、漁村での傷がありながらの純粋な愛の成り立ちにも興味を覚える。同性愛問題も、その都会的な生活スタイルの危うさを見事に描いている。なんだか凄いことになって来たな、という展開に、ずっと引き込まれたまま鑑賞できた。ただし結末前までは…。
 結局僕には、社会に対する得体のしれない個人の持つ怨念のような怒りというものが、今一つ分からなくなっているだけのことなのかもしれない。いや、自分自身が若いころには、確かにそのような怒りはあったと思うのだけれど、単にそのようなはけ口として暴発しなかった幸運はあったのかもしれないが、物語としては、少し病的に過ぎるのかもと感じた。そこまでの人が、人間関係を形だけでも築きあげることが本当に可能なのか。そんなことも考えてしまった。結末としては大変に恐ろしい事実が現れてしまうのだが、いわゆる善良だからこそ社会のはけ口の犠牲になってしまうというのが、どうしても戸惑いの中で受け入れられないような気分もあったのかもしれない。
 物語としては、信用が築かれながら、疑いというものが人間関係を大きく毀損してしまうというものをよく描いていると思う。何かとんでもないようなものを観てしまった、という衝撃も悪くないものだ。しかしながらその後味の悪さにおいて、普通の生活においても人間関係を損なわせてしまうような、何か人間の心の狭さに迷い込ませるような、息苦しさを感じた。それは同時に映画の素晴らしさの証明ではあろうけど、決して僕らの生活において、幸福なものでは無いという気分を残した。
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我々望む自由なき管理社会   自由とは何か―監視社会と「個人」の消滅

2017-09-11 | 読書

自由とは何か―監視社会と「個人」の消滅/土屋雄裕著(ちくま新書)

 最近はひき逃げなどの事件があると、なんで犯人は捕まらないのだろう? と疑問に思う人の方が多いのではないか。逃走した車など、どこかの防犯カメラに写っているはずでは? しばらくすると捜査が進み、やはりカメラの映像などで犯人(グループ)などが特定される。事件の真相はともかく、何か胸をなでおろすような安堵があるのではないか。
 防犯カメラのような監視網は、間違いなく管理社会そのものの現実だ。我々は完全に監視下に置かれて生活している。しかし同時に、この監視社会の中にいるからこそ、市民生活の安全性は格段に向上しているという自覚があるはずである。我々は自由を放棄して、自ら監視下に置かれていることを、いつの間にか望んでいるのである。
 確かに自由は奪われているはずだが、しかし同時に犯罪の抑止力になっている可能性は高い。要するに犯行をもくろんでいる人たちの、犯行を実行する自由が奪われているのだ。我々の安全のために、ほとんどの人間の公共の場でのプライバシーは奪われ、行動は記録され、いくら人ごみに紛れても、個人は特定可能だ。細かく考えると恐ろしげだが、我々はそのような恐ろしい社会の中に自らを投じているからこそ、安全さという自由を手にしている。必要悪ということとは少し違う問題かもしれないが、見られることの権利の放棄があってはじめて、人間としての生物としての自由というものを放棄してはじめて、安全であるばかりか、自らの解放感さえ得ているのかもしれない。そうして公共機関を含めて、意識せずとも国家においても、我々をきちんと管理掌握してほしいと、暗に多数派が望んでいる社会の中にいると考えられるのである。
 もちろん新法において国会での反論や、一部の世論では根強い反発や懸念があるということは報道でも流れている。しかしそれは、ほとんど反対の為の反対にすぎず、内容を吟味すると、管理社会そのものを否定しているものではなさそうだ。もともとは国家間の安全保障上、日本が受け入れるべき最低限の問題であっても、そもそもそこまで管理のゆるい社会が日本であるという認識さえ持っていないだろう。
 カメラだけの問題では無い。個人の情報はコンピュータで管理され、自らもそのコンピュータに進んで自分の情報を取り込んでいる日常である。今やその管理網から外れて、人間らしい生活を送ることは不可能である。管理されることが、好むと好まざるにかかわらず、人間として生きて行く最低限の道なのだ。
 もちろん議論の余地はある。しかしそれは既に議論上の問題であって、実際問題でさえない。我々が望んで、さらに将来にわたって確定していることは、明るい未来としての巨大な管理網の中の自由なのだ。
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売れてもよさそうだけど売れない人はいる   インサイド・ルーヴィン・デイビス~名も無き男の歌

2017-09-10 | 映画

インサイド・ルーヴィン・デイビス~名も無き男の歌/コーエン兄弟監督

 ボブ・ディランが若いころの時代、同じように活動していた歌手の伝記的映画であるらしい。それも彼の一週間ほどの行動を追ったもの。その日常を綴っているだけというか。
 とにかく売れていないので生活は不安定。誰かの家に居候したりの渡り鳥生活。一応歌を歌って生活の糧にしているようだが、売れていないのでそんなに忙しくしている訳でもない。食えないので船員になろうとするが、船の免許を紛失していて船に乗れなかったりしている。つきあいのある女性を妊娠させたり、客のような男に殴られたりもしている。猫も印象的に登場するが、そういう心優しい面があるという隠喩だろう。基本的にはいいかげんながら、少なからぬプライドは捨てずに生きているということなんだろうか。
 雰囲気としては悪くない映画だが、特に共感を覚える訳では無い。若いころにはそんな生き方もいいかもしれないとも思うが、やはり続くものでは無かろう。続かなければ終りだが、執着するのはさらにどうか、という気もする。音楽で生きて行くのはいいが、そういうことを考えない人間は居ないだろう。本人も傷ついていくのだろうが、まわりの人間も少なからず傷ついていくだろう。でも、なんとなく腐って面白くないという性格では無いようで、それだけがお話としては救いになるかもしれない。妙にカッコいいですしね。それにちゃんと歌も上手いもんです。
 個人的には、猫を連れて結局自分勝手な行動になってしまうところが、人間的にはそんなに好きになれず、取っ付きにくかった。たぶんギャグなんだろうけど、ダメなものはダメだろう。しかしながら世間一般的には評判のいい映画で、普通の人たちには楽しめる映画なんだろうと思う。他のコーエン作品は好きだけど、僕にはこれはダメである。善人を撮るには向かない兄弟監督なのかもしれないと、考えてしまった。
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今のロック界は綺麗な人増えましたけど

2017-09-09 | 音楽

 女性シンガーを特にアイドル視していたことは無かったけど、聞いてて女性シンガーだから良いというのはあると思う。そういう人の代表はクイッシー・ハインドで、とにかくよく聞いた。若いころのことだから姉御ということは分かっている。ロックのアネゴだからやっぱりアイドルではないが。
 アネゴと言えば、パティ・スミスもそんな感じで。さらにもう少し骨太な感じがした。その時より後になって再評価して聞いたりした。
 カーペンターズのカレンは、当時の日本ではあんまりドラムをたたく姿を流してなくて、後になってそういう映像をみて、大変に素晴らしいと思った。あんなふうに歌いながらリズムもちゃんとしている。素晴らしい。ドラムをたたきながら歌い続けていたら、もっと売れたんじゃないだろうか(十分売れたが)。
 ロックシンガーの女王と言えば何と言ってもジャニス・ジョプリンで、これはもうすごいんだから聞かなければならないという気分になるが、やはりアイドルとは違う。どうしても聞かずにおられない魔力のような歌唱力に圧倒されながら聞く。当時は真似しているシンガーもたくさんいたが、それっぽいというだけのことで、やはり孤高の人だった。
 あんがい古くからいる人でシンディー・ローパーがいたが、これはちょっとお笑いというか、確かに歌も上手くていいんだけれど、実物が目の前に居なくてもいいかな、という感じだったかもしれない。
 あんまり聞かなかったのは事実だが、オリビア・ニュートンジョンとか、デボラ・ハリーなんかは奇麗な人っぽかった。ロック界では珍しいという感じもしたし、ちゃんと巷で売れている感じもあった。スージー・クワトロなんかも場合によっては良かった気もする。仲間ではアイドルとして見ている連中もちゃんといる気がした。まあ、分かる、とは思いながら、音楽的に好きかと言えばそうでもない訳で、要するに冷めていた。
 ストロベリー・スイッチブレイドは一瞬よさそうに見えたが、残念ながらすぐに消えてしまった。また、エラスティカも同じように一瞬良かった。
 一瞬と言えばシーラEもカッコ良かった。真似してシンバル蹴ったりする人がいるのには失笑してしまったものだが。
 ベーシストだけど、タル・ウォルケンフィルドも可愛らしい感じだ。後にシャーロット・ケンプ・ミュールみたいに、ほんとにモデルさんみたいな人も出てきたが。
 コートニー・ラブは嫌いじゃないんだけど、ちょっと強引なエロっぽさが苦手という感じかもしれない。後にレディ・ガガなんかが出てきて、これも男としては引いてしまう感じかもしれない。歌い方はいいですけどね。
 純然たるファンとして長く聞いているのはシェリル・クロウかもしれない。曲がいいというのが最大の理由だが…。
 最近になるとアラバマ・シェイクスだが、これは性別を超えているとあえて言ってしまおう。見た感じはコメディっぽいけど、曲も歌声もいいのです。残念ながら最近は聞かないな、どうしてるんでしょ。
 さらに最近と言えばPJハーヴェイで、彼女はカッコいいですね。一緒に歌いたくなる感じもいいのかもしれない(歌えないけど)。
 どっかで飛ばしたけど、キャロル・キングもレコードのみで聞いていた。歌が好きな人なんじゃないかな、と思いながら聞いてました。メロディー・メイカーとして素晴らしいです。

追伸:今の時代はテイラー・スイフトがいるもんね。こういうかわいい人は、さすがにあんまり居ない気もします。
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世の中は悪意に満ちているし誰も助けてはくれない   グランドピアノ~狙われた黒鍵~

2017-09-08 | 映画

グランドピアノ~狙われた黒鍵~/エウヘニオ・ミラ監督

 過去の演奏のために舞台恐怖症となり5年公的な演奏をしていなかった主人公だが、芸能人のフィアンセとの結婚を機に、恩師でもある人の追悼のコンサートで演奏することになった。大きなプレッシャーを感じる中でありながら、ピアノの演奏を始めると、楽譜にミスをすると撃ち殺すという脅迫文が書いてある。助けを求めると会場で聴いているパートナーを殺すという。ステージの上で八方ふさがりの中、さらに極度のミスへの恐れと闘いながら演奏を続けるのだったが…。
 ずっとステージの上で動けない訳では無くて、演奏の合間だとか休憩時間などもある。途中で気付くが携帯電話も持っている。脅迫するものからのイヤホンを使った無線通信も与えられている。演奏中にごちゃごちゃ脅迫者はいろいろ脅しをかけてくるのだが、普通の神経でも演奏を続けることは不可能だろうし、後で明らかにされる目的のためには、まったく脅迫者の神経は狂った以前のアホにしか見えない。完全に脚本の失敗のようで、製作者はいったい何を考えてこれを映画化したものだろうか。スリルのある設定として面白いということなんだろうけど、ミステリの種明かしの為と、せっかくの音楽なので、沈黙も必要だったのではないかと思われる。水面下の殺人事件を含め、動けない時に何かを起こさなければドラマが進まない。時間つぶしをどうするかというのに頭を痛めすぎたのではあるまいか。
 さらにこのピアノに隠されている大きなミステリだが、なんだか人間を信用しすぎて笑える仕組みである。そういうことをする前に、お前たちは他にすることがあるだろう、と思わず考えてしまう。結局最悪の状態になるように思われるし、今までの脅迫は何だったのかという疑問が解決されることは無い。もやもやするというか、もう少し工夫の仕方がいくらでも見つかりそうなイライラという感じかもしれない。演奏中で動けない時に脅迫されて、自分のカードの暗証番号を言わせられるとか、いろいろあるんじゃないでしょうかね。
 まあしかしちょっとしたことで殺される人はなんとなく予想がつくし、周りの人が無頓着すぎるがスリルのあるアクションもある。世の中の人はあんがい皆冷たいものだということを伝えたい目的があったのなら、間違いなく素直にそのメッセージは伝わってくる映画であった。
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オタク女子の日本の暮らしと比較文化   北欧女子オーサが見つけた日本の不思議

2017-09-07 | 読書

北欧女子オーサが見つけた日本の不思議/オーサ・イェークストロム著(メディアファクトリー)

 題名の通り、オーサという名前のスウェーデンから来た女性の描いた四コマ漫画集。少女時代に日本のアニメ、セーラームーンをみて衝撃を受け、マンガやアニメーターを目指すことに。自国で漫画家デビューはしていたようだが、留学して日本にやって来て、ブログで漫画を発表したのが認められて、このような本にまとめられたということのようだ。
 比較文化の漫画は数多いが、北欧人の文化も分かるというのが貴重なところかもしれない。さらに政治的な視点はほとんどなく、女性ながら少しばかりオタクっぽいところが(日本にもいるはずだが、恐らく日本文化内では遠慮して埋没している可能性がある)面白さにつながっている。日本人にとっては大変に意外だが、スウェーデン人そのものがおとなしく、控えめな国民性があるらしい。そのくせにハグ文化だったりするので、彼女も日本に混乱しているのは分かるにしても、それを読んでいる日本人の僕も少なからず混乱することになる。もともとそういうギャップを楽しむ本だと思うが、だから漫画としてそういうところが大変に成功している。
 また、恐らく編集との相談もあったことと思うが、基本的に日本大好きというのが前面に出ていて、不快さがあまりないという配慮があるようにも感じた。好きだという素直さは本当らしいというのは伝わるが、そのまま日本にいるだけでしあわせだとする感覚そのものが、何とも好ましく感じられるというのがあるだろう。日本の経済的な価値より、文化的な価値の方が世界的に重要だという指摘も、改めて考えさせられるものがある。また、今この時においても、日本に憧れている個人が海外にたくさんいるだろうという指摘は、本当に何か驚くべきことのようにも思う。
 一方で日本は相変わらず保守的である。このような作家であっても、日本にどれだけの期間自由に住めるのかというのは不明確だ。それは日本を守っているというような政治的な考えの元だろうが、日本人の多くは、さらに無自覚なことなのではなかろうか。海外の、特に外国人の驚異は、日本にとってはイスラムや東アジア問題の方が大きいと思われるが、だからこそさらに少数派の外国人の存在は、まったく見えていないのではなかろうか。そういうことに風穴を開け得るような本であるかはともかく、ある程度は啓蒙に役立つかもしれない。少なくとも僕らが北欧に住むハードルよりもはるかに高い壁が日本にあるらしいことくらいは、日本人は自覚した方がいいのでは無いだろうか。
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恵比寿ガーデンプレイス

2017-09-06 | 散歩

 さてさて、歩いていくとだんだんと俗世界っぽくなってきましたね。





 恵比寿神社にお参りして。



 駅に向かう。






 待ち合わせは恵比寿像。



 で、裏の方を歩く。







 しばらく行くと見えてきました。



 信号渡って恵比寿ガーデンプレイス。





 なんかイベントもやってた。こども祭りとか書いてあったような…。大人も多いけど。



 なんとなく、ハウステンボスみたいです。



 実はだいぶ前に来た記憶があるんだけど、その時より広くなってる気がするな。気のせいかな。





 すっかり雨も上がって傘が邪魔になった。邪魔なんでベンチに引っかけて帰って来た。正味使ったのは数分。500円。まあ、誰か使ってくれるといいんだけどな。




 帰りは動く歩道でスピードアップ。



 昼時なんで飯食おうと思ったけど、ここではやめて、移動します。



 やっぱ品川人多いな。


 ちょっと歩いて。



 ラーメン食うことにした。
 頼んでないけど、餃子はサービスだそうです。



 実は他の店は並んでてめんどくさいので、すぐに入れる店を選択。田舎もんは並んでまで飯は食いたくないんです。





 すっかり汗びっしょり。十分旨かったッス。



 京急乗って、すぐに羽田。



 この時間はすいてていいな。


 がらーん。



 そして帰って来た。



 大村湾って綺麗ですよね。それにいい天気。ただいま。



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代官山、旧朝倉邸など

2017-09-05 | 散歩

 永田町駅駅から渋谷に向かう。



 渋谷から東横線に乗り換え。
 僕はこのトオヨコ線という名前が大嫌い。なんでトウオウ線にしなかったんだろう。縦横無尽、横転、ヨコって読んだら馬鹿にされるよ。まあ、重箱読みってのもあるけどさ。東京のかしらをトウと読んで略してるんだから、横浜のかしらをとったら、やっぱりオウでしょう。ま、仕方ないけどさ。





 で、一駅、代官山。やっとコンビニで傘買いました。



 代官山って名前はよく聞くけど、一度も行ったことなかったのさ。おしゃれな街ってのが気にくわなかったんだろうね。さらに渋谷の隣だけど、ここまで歩いてこないもんね。

 すぐにひまわりオブジェ見っけた。



 10時過ぎてるんだけど、代官山アドレスティセは閑散としてる。11時からなんかな。



 お向かいのラ・フェンテ代官山。こちらも閑散。目覚めるの遅い街だな。





 基本的に小さい路地の入り組んだ住宅とお店が入り組んだ構造のまちのようだ。





 ツタヤもおしゃれだな。



 中は最初に洋書がぎっしり。写真集やハーレーが置いてあったりして、さらにカフェが併設。撮影禁止ということで遠慮したけど、僕なんかはかえって落ち着かないな。要するにおしゃれ過ぎるんであります。



 お向かいはエジプト大使館。



 だんだん買い物客が増えてきた感じだな。



 でも向かったのは静かなところ。



 旧朝倉家住宅。入場料100円。




 歩くとギシギシいって、なかなか古いお宅ですわ。





 大正時代の建物。朝倉さんという人は、東京府議会議長や、渋谷区議会議長を歴任した人らしい。家の中に会議室があったりする立派な御宅です。







 窓のガラスも微妙にいびつで、割れたら替えは無いだろうな(規格品じゃないですね)。



 洋間もあります。前は当然調度品もあったでしょうね。



 外に出て目切坂を下る。昼間でも暗かったことから暗闇坂とも言われているそうだ。




 富士山信仰もあったらしい。



 時々あるいている人とすれ違うが、ほとんどアジアの観光客ですな。



 目黒川沿いに桜並木。



 桜の名所でその季節は大変な人になるらしい。でもまあ僕は葉桜派なんで、これでいいです。



 写真には上手く写せなかったけど、おしゃれなカフェが立ち並ぶ通りでした。






 中目黒駅のガードをくぐる。



 駅前飲み屋さんは何処もなんとなく懐かしい感じでんな。おしゃれじゃなくていいです。



 少し登って大きな通りに出る。普通の東京になって来た。





 今回代官山に来てみて分かったのは、僕のためのまちではないということかもしれない。僕はあまり買い物しないし、僕が入っても価値の分からないものばかり。住宅街はこじゃれているし金持ちが住んでいるのもよく分かる。あんまり写真に収めなかったが、外車の比率がものすごく高い。それもベンツやBMじゃなくて(それもそれなりに多いけど)、ヨーロッパの車が目についた。奥さん方が軽じゃなくてプジョーやフィアットに乗ってるという感じかな。そうして若い男性は、カジュアルな服装でアメ車に乗ってるという感じもあった。
 それはそれでいいんだが、日本もそれなりに平和が続いて、階級社会が生まれているということなのかもしれない。



 
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四谷、しんみち通り

2017-09-04 | 散歩
 麹町に上って、目指すは四谷。台風の影響なのか、風が強いです。



 四谷駅やり過ごして、庶民的なしんみち通りへ。



 どこに入ろうかな。



 いったん通り越して、表道の方に出た。



 実は携帯でなんとなく物色していた貝料理専門の店らしい。



 でもね、予約してなかったし、いっぱいで入れませんでした。残念。

 で、人気なさそう、と言えば失礼ですが、空いてそうな店物色してぶらついて、適当に入る。あがりに皿のセッティングしてあって、団体予約があるらしいが、一人なんで入れました。
 ビール、ビール。



 牛すじ大根。



 ポン酒も飲む。



 ブタの何とかカツ。中がトロッとしていけました。


 レバーは塩で。



 その後純米二杯くらい飲んで、ご年配の団体客がたくさん入って来たんで、おいとましました。
 鬼平って店だったんですね。ごちそうさまでした。



 小さくて開放的な店が多くて、通りに人の声があふれて聞こえるような通りでした。



 
 橋の下の谷に山手線。四谷駅ホームには人がいっぱい。僕が酔ってるので、みんな酔っているように見える。





 スーパーに寄ってポン酒とチューハイ、サラダに水買ってホテルに帰った。テレビで野球見て、さらに本読みながら飲んで、いつのまにか寝てました。



 


 目覚めると外は雨。傘持ってきてなかったな。



 朝飯食いながら、どこ行こうかあれこれ考えてました。



つづく。

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赤坂サカスとか。

2017-09-03 | 散歩
 定期の会議のために上京。



 予定の二時間前。いつもは新橋からまっすぐ霞が関に行くんだけど、遠回りすることにした。





 一度有楽町駅くらいまで来て、帝国劇場。





 地図アプリにゴジラ像、とあるので探してみたが。



 ちっさ。

 まあ、見つけたんで良しとするか。



 帝国ホテル前から、日比谷公園へ。





 なんかイベントもやってたが、準備中って感じだった。多くの人々が木陰に座って弁当とかサンドイッチなどを食べていた。働く人々の憩いの場なんだね。

 で、官庁街に入っていく。



 遠くに国会議事堂なんかもみえてきた。方向は間違ってないな。





 ああ、あのへんだな。



 着いた。



 実は歩きながらいろいろ電話がかかって来ていろいろ忙しかったのです。電話してたんで写真に撮れなかったけど、ちょっと道にも迷ってました。コンビニ寄ってパン買って、現地で打ち合わせ中に軽くランチさせてもらいました。いつの間にか時間に余裕が無かったのでした。



 ということで会議も終了。けっこうつめつめって感じでお腹いっぱい。問題山積って感じがするな(暗に宿題が多いというか)。まあ、いいか。



 首相官邸を裏から。





 日枝神社。



 赤坂通って行ってみよう。



 あっちが赤坂サカスのはずです。



 TBSビル。立派です。劇場も目の前にあって、アイドルみたいな集団(でも中学生くらいかな)がたくさん移動してた。僕みたいなおじさんが写真撮ると問題ではないかという自意識が働いて動けなかった。



 坂道登って裏手に出ると住宅街に公園があった。





 で、飲み屋街に戻って来た。以前ある政治家さんとこのあたりで飲んだはずだけど、場所は忘れた。





 赤坂見附で地下道に入って道を渡る。



 紀尾井町の方に出る。



 ガーデンテラス紀尾井町抜けて。



 ホテル着いた。



 さて、何処に飲みに行きますかね。
 当初、友人と会う予定だったけど、都合が悪いらしい。みんな忙しいもんね。仕方ないので一人散策であります(つづく)。
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クマも芸達者なハリウッド   男性の好きなスポーツ

2017-09-02 | 映画

男性の好きなスポーツ/ハワード・ホークス監督

 釣りの指南書なども書き、有名な釣具店の店員が、会社の命令で釣り大会に出場することになる。しかし彼は実は釣りはやったことは無かったし、泳ぎは出来ず魚も苦手なのだった。そんな折に何かと身の周りに絡んでくる女性の二人組があって、ドタバタしたやり取りを繰り広げながら、その危機を乗り切ろうと躍起になる。熊は出てくるし妙なキャンプ道具で悪戦苦闘するし、服などのジッパーはかむし、フィアンセからは誤解される(そりゃ当然だけど)。しかし運がちゃんとあって、偶然大物が手に入ったりするのだったが…。
 スラップスティック・コメディということなんだが、現実離れしてバカバカしいところがあって、今の時代だとギャクにそういうところはかえって笑えない感じ。ちょっと行き過ぎてしまって、しばし笑いを休憩させてしまう。しかしながら、普通に会話においても楽しいし、そのような一連のギャグも延々と続いていくので、なじんで普通に吹き出すような感覚になっていく。地道に実に上手いつくりなのだ。さらに主人公のロック・ハドソンの困惑ぶりも分かるし、奇矯で可愛らしく言い寄ってくるヒロインのお天気ぶりに、客も一緒に振り回されて楽しいのである。フィアンセも魅力的な人だが、これが逆に妨害のようにも思えてくるのが不思議である。いくらなんでもここまで小悪魔で、しかし憎まれないアイドル的な女優というのは歴史的にも数少ないのではあるまいか。
 ちゃんとロケで撮っているところもあるのだが、基本的にスタジオ撮影であるところも、かえって感心したりする。湖畔の風景や水の中の情景など、細かにセットで作ってあり、それくらい金を掛けるのなら、もっと豪華ロケだってできたんじゃなかろうか。昔の人の考えというのはいちいち面白い。これだけくだらないことにちゃんと正直に金を掛けて、そうして非常に丁寧なつくりになっている。まじめな職人芸は何も日本のお家芸では無い。アメリカ人だって真面目なのだ。
 そういう楽しい話なんで意見を言うのはかなり野暮だが、なんとなくお色気もあるし、人間は結局正直者だし、ギャグは辛辣でも、皆いい人ばかりである。後のアメリカ社会はずいぶんと様変わりしていくわけだが、このようなアメリカ的な健全さというのが、主に日本などを席巻していくわけで、巡り巡って、今や日本的な笑いの範疇に納まっている作品ではなかろうか。文化というのはまったく面白いことである。
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アメリカ人は嫌なものは嫌がる   ボディスナッチャー 恐怖の街

2017-09-01 | 映画

ボディスナッチャー 恐怖の街/ドン・シーゲル監督

 救急病院で錯乱状態になっている男の回想から始まる。男は医師で、患者の予約が殺到している為に学会から早く戻ると、予約の患者がことごとくキャンセルしてくるという事態に見舞われる。さらに母親に怯える子供や、おじさんが偽物だと主張する友人などが現れ、何かのノイローゼのようなものかと最初は疑っている。そんな折、以前に思いを寄せていた女性が出戻りで町に帰ってきており、一緒に食事に行こうとするが、そこでも友人兼患者から呼び出される。行ってみると、死体なのかどうか、友人によく似た物体が倒れている。様子を見ていると見る見るさらに友人に似てくるようだった。何か本人と入れ替わるようなことになっているとやっと気づくが、既にまちでは多くの人間が入れ替わっており、警察もその宇宙人のような人々に乗っ取られてしまっている。どうも寝ている間に代わりの人間と入れ替わるような事が起こるらしい。寝てもいけないし、まちから逃げなければならない。必死で彼女と二人で逃げようとするのだったが…。
 SF映画の傑作として、他にも数々のリメイク作がある。特に特撮が凄いという訳でもないが、設定が優れており、逃げる恐怖がどんどん緊迫感を増していく展開に手に汗握る。観ていてすぐに気付くと思われるが、数々の映画の原型ともなっている演出が随所にみられ、まさにB級でありながら名作といわれる理由も分かる事だろう。多くの演出家に影響を及ぼしたことは間違いなく、SF作品のみならずゾンビ映画などとも通ずるホラー映画の原型であるともいえる。
 ありえないことを逆手にとって、孤立する状態になるまでの展開も見事だし、単純に追ってから走って逃げまどうスリルも素晴らしい。さらに寝てもいけなくて、身内が様変わりしてしまう恐怖も身の毛がよだつ。最初は害悪や目的もよく分からない問題が、一気に展開して後戻りできないほどに世間をむしばんでいく。おそらく何かの比喩になっており、政治的な思想やアメリカ人がいだいている恐怖感を、ホラーの形を用いて具現化しているということもいえるのだろう。
 見ていて少しばかり入れ替わりの人々にも善良さがあるように見えるところも、なんとなく恐ろしい感じもする。いくら抵抗しても既に時遅し、自分から仲間になってもいいのではないかという気もしてくる。主人公はある意味で諦めが悪すぎて逃げまどうが、そういう頑固さもアメリカ的と言えば言えるだろう。日本人ならこうなる前に、その危機を自ら受け入れるのではないか。たとえそれが自分にとって望ましいものでなくても、皆がそうなら仕方がない。逃げて受け入れ先が信用しなくてもわめき散らして自分の主張を通そうとする弱きアメリカ人の生き残りは、ある意味で逆の原理主義的姿が見える。だからこそ恐ろしい映画なのではあるけれど。
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