「ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法」(福田和也著)
何となく気になったのでもう一度読んでみた。
タイトルと今の時代からして最初に想像したのは、さまざまな道具やら場所やらを駆使して、大量のテキスト文書を作成しまくり、それをどう編集したり、分量を削りなどしてまとめあげていくのかという試行錯誤が書かれているのではないかということだった。
ま、実際のところ、いろいろなアイディアの書きとめかたといったところだ。それはそれで、読み物としても面白いのだけれど。
本書に限らず、情報収集法というのは、街歩きでも何でも、これは必ずチェックするという部分を詳細に記述して欲しいと思う。どういう風にデータを貯めて活用していくのかという著者自身のデータベース使いこなし術というのが知りたいわけだ。贅沢な注文なんだろうけど。
結局、知的生産術のたぐいの本は、個人の幅を広げる方法であるとか、話上手、ネタが多彩というような人物磨きにとどまり、チームを編成して手分けして情報を収集、分析し、チームの個々の面々の特性を活かして問題解決にあたるというようなことに全然関係ないような人の本であることが多い。
ま、印象論にすぎないが。
何となく気になったのでもう一度読んでみた。
タイトルと今の時代からして最初に想像したのは、さまざまな道具やら場所やらを駆使して、大量のテキスト文書を作成しまくり、それをどう編集したり、分量を削りなどしてまとめあげていくのかという試行錯誤が書かれているのではないかということだった。
ま、実際のところ、いろいろなアイディアの書きとめかたといったところだ。それはそれで、読み物としても面白いのだけれど。
本書に限らず、情報収集法というのは、街歩きでも何でも、これは必ずチェックするという部分を詳細に記述して欲しいと思う。どういう風にデータを貯めて活用していくのかという著者自身のデータベース使いこなし術というのが知りたいわけだ。贅沢な注文なんだろうけど。
結局、知的生産術のたぐいの本は、個人の幅を広げる方法であるとか、話上手、ネタが多彩というような人物磨きにとどまり、チームを編成して手分けして情報を収集、分析し、チームの個々の面々の特性を活かして問題解決にあたるというようなことに全然関係ないような人の本であることが多い。
ま、印象論にすぎないが。