モハ1005ーモハ1006ークハ2003 が 好き

大好きな伊豆箱根鉄道を中心に、思い出の電車のことや、「小さな旅」のことなどを書き綴りたいと思っています。

ヘッドマーク ②

2012-05-24 20:32:00 | 伊豆箱根鉄道
昨日に続き、伊豆箱根鉄道のヘッドマーク付の姿を振り返りたいと思います。
今日は駿豆本線です。

まず、グループの水族館『伊豆・三津シーパラダイス』にシャチが登場した時に、観光PR用に取り付けられたものです。
シャチは残念ながら今はいませんが…

Sea Paradise 海の王者 シャチ登場 1996年3月13日 三島駅 クモハ3009


『ふれあい電車2000』、最初の Blog にも載せましたが、伊豆箱根鉄道と鉄道友の会静岡支部との共同開催となりました。
当時の伊豆の観光キャンペーンキャラクターの”いずのすけ”も描かれています。

ふれあい電車 2000 2000年8月13日 伊豆長岡駅 モハ1005


こちらはちょっとお遊びですが… かつて3000形が登場したときに、鉄道友の会静岡支部により評価されたものです。当時、3000形に付けられていたものと思われます。
『ふれあい電車 2000』のイベントに合わせ、途中から取り付けられました。

おれんじ'80 鉄道友の会静岡支部 2000年8月13日 修善寺駅 クハ2003


伊豆・三津シーパラダイスは当初、『三津天然水族館』としてオープンいたしましたが、その後『伊豆・三津シーパラダイス』と名前が変わり30周年の記念のヘッドマークです。
画像の白地に青デザインの他に、青地に白の色違いもありました。

伊豆・三津シーパラダイス 30TH 2007年11月23日 大場工場(ふれあいフェスタ) クハ3503


修善寺の温泉、独鈷の湯伝説は、西暦807年に弘法大師が修善寺を訪れたときに独鈷杵で霊泉を湧出させたことに由来します。(伊豆箱根鉄道観光パンフレットより)
2007年、これより1200年の記念祭としてヘッドマークが多くの列車に取り付けられました。

修善寺温泉 開湯千二百年祭 2007年11月23日 三島広小路駅 クハ7501


どのヘッドマークも車両に似合っていて良いですね。
今後もいろいろと期待したいです。

ヘッドマーク ①

2012-05-23 19:20:00 | 伊豆箱根鉄道
今日は伊豆箱根鉄道の電車のヘッドマークについて。
今も『ありがとう1100系』のヘッドマーク、落ち着いた控えめな良い感じですが、これまでに取り付けられた幾つかを振返ってみたいと思います。
今回はとりあえず、大雄山線関係を。駿豆本線については改めて紹介したします。

まずは… 西武ライオンズが優勝した際に取り付けられました。
大雄山線にライオンズカラーの5000形が登場した翌年、西武線にはヘッドマークは取り付けられませんでしたが、優勝祝賀電車が伊豆箱根鉄道を走るのには驚きました。

西武ライオンズ 1985パリーグ優勝 1985年10月13日 小田原駅 クハ5501


続いては、5000形の増備が進み、最終編成が運転開始された時のもの。このデザインは、大雄山最乗寺の天狗のうちわです。
3000形や5000形、7000形の運転開始の際にはヘッドマークが取り付けられた記憶がありません。
ただ、駅のホームには新型電車の運転時刻が掲示されていました。
この”7次車”を以って大雄山線が5000形に統一、新性能化が完了のため、このヘッドマークが掲げられたと思われます。

5000型第7次新車運転開始 1996年4月7日 小田原駅 クモハ5013


そしてこちらは対照的に、新車投入により引退となった150系。
元相鉄に居た車両たちです。
既に予備車となり、事実上休車となっていましたが、鉄道の日に合わせ さよならイベントが実施されることになり、急遽 大場工場大雄山分工場により検査が実施され、5日間の運転となりました。合わせて『動くフォトギャラリー』ともなりました。
そしてこの運転後、モハ165は、コデ165へと生まれ変わりました。

さよなら150系 1996年10月13日 小田原駅 モハ165


こちらは比較的最近ですが、首都圏民鉄各社共同の PASMO のサービスが開始されたときです。このヘッドマークは各社で見られたようです。

PASMOサービス開始 2007年3月18日 小田原駅 クハ5506


この他にも、小学生の絵画のギャラリー電車などにもヘッドマークが取り付けられ、私が知らないものもいろいろあるようです。

1100系を振り返って

2012-05-20 21:12:00 | 伊豆箱根鉄道
いよいよ1100系の運転も1箇月を切りました。
イベントなどでの使用が多くなり、一般の方が乗車できる機会は、残りわずかです。
そんな2005編成、赤電にもう一度乗ってみたいのですが、まだ都合もつかず…

とりあえず、ワンマン運転が実施される前の1100系を写真でちょっと振り返ってみようと思います。
西武701系からも3連化され、塗装変更以外は大きな変化はありませんでした。

大場工場でお休み中の1100系
2005年6月27日 大場工場 左:クハ2005,右:クハ2007


西武701系の初期車・後期車双方が譲渡されたため、乗務員室ドア手摺の形状が2タイプありました。
伊豆箱根鉄道では車両数に余裕があったため、殆ど日中は1100系は1編成のみの運用で、2本は大場工場で休んでいることが多かったです。

この時は、他の車両の検査の都合でしょうか? 珍しく日中でも2編成運用でした。
ホームで停車位置が合わないため、こんな写真になってしまいましたが…

2007年11月23日 三島田町駅 クハ2005


さて、1100系の車内ですが、西武の時代と大きく変わったのは、先頭車運転台直後の座席が撤去された程度。
これは国鉄ATS-Sの大きな機器箱が設置されたため。
また、後ほどここが車椅子利用者用のスペースとなりました。

2000年3月27日 修善寺駅 モハ1009の車内


乗務員室内では、運転台機器に制御電源電圧計(DC100V)や国鉄ATS-S形警報機が設置された以外はほぼ西武時代のままでした。
方向幕が40コマから8コマにシンプルになっています。かつて快速用の幕があったことも分かります。
『電・連開放』スイッチがそのまま残っているのも面白いです。







他にも注意深く見たら面白い発見があったかも知れませんが。


先日、このBlogで知り合いました方とお会いいたしました。
4月1日に貸切運転を行った際に発行されました、『1100系貸切列車乗車券』を譲っていただいてしまいました。
こちらへの投稿も快く諒解していただけましたので。
ありがとうございます。



ごぼうのお菓子

2012-05-19 07:13:00 | 美味しいお店・美味しいもの
今日も話がそれますが…
先日もちょっと”話を脱線”と書きましたが、脱線ではなくポイント切り替えでは? との事。なる程、そう解釈すれば。
それでは本線から支線にそれまして。

最近近所の集会所で、気になっていたお菓子がありました。
その名は『天ぷらごぼうチップス』。
そのお菓子、その辺のお店でどこでも売ってるだろうと思っていたのですが、探すと意外に…
先日も池袋に出掛けた折にデパ地下で1時間以上探しましたが、似たようなものも見つけられませんでした。
早速メーカーに問い合わせし、売っているお店を紹介していただき、やっと手に入れることができました。

『天ぷらごぼうチップス』 と 『ごぼうスナック』


右の『ごぼうスナック』は、この間さんざん探したデパ地下で、試食販売を行っていました。探している時には無かったのに… まあ、世の中そんなものかも知れません。
季節限定のようで、今年はどうやらごぼうが人気のようです。

昔の私だったら… 野菜はあまり好きではなく、もちろん ごぼうは苦手でした。
歳をとったせいでしょうか? 随分好みも変わったようです。

車体標記

2012-05-18 06:12:00 | 伊豆箱根鉄道
伊豆箱根鉄道の車体への標記、先日の1100系の試運転の記事の中にも画像を掲載しておきましたが、少しずつ記載位置や記載方法が変更されているようです。

まずは、以前の標準的な標記。
2000年3月10日 大場工場 クハ2003


こちらは8月の『ふれあい電車』の運転のため、臨時に検査が行われた際に「12」が「13」に書き換えられています。
2000年7月17日 大場工場 モハ1005


さて、伊豆箱根鉄道では1990(平成2)年に制御電動車の呼び方が「モハ」より「クモハ」に変更されました。ただ、書類上では変わっても実際車体への標記や車号の切抜き文字、1100系の記号の入ったプレートは改められることなくそのまま「モハ」のままでした。
ただ、2001(平成13)年12月に検査が行われた際には、「1005」の「形式」標記がクモハ1000となっていました。また、この時には「換算」の標記も無くなり、妻面への標記となりました。

2002年6月26日 大場工場






手書きの美しい文字にはいつも感動しました。
検査年月・次回検査年月の四角い枠の縁取りも美しいですね。
(何故か1100系では真四角になっていましたが…)

以前にちょうどED33の検査が終わった時に、車体への標記のところを見ると、そこには鉛筆で線を引き下書きされた上に手書きされているのが分かりました。

2000年3月10日 大場工場 ED33


転写シールや切抜き文字が一般的な中、素晴らしい芸術ですね。
そう言えば以前書籍で「モハ10000」の文字を職人さんが手書きしている写真を見て驚いたものでした。