枯萱のスッと刃の鋭さや
( かれかやのすっとやいばのするどさや )
実家の台所の前にあって、メダカや亀、蛙が暮らす小さな池
父が亡くなって、もう随分 掃除をしておらず 泥が 溜まっています
泥を取り除かないと、 睡蓮が 辛そうなんです
さてどうしたものか って眺めていると
んッ ??
何か変な物が
蛙の卵 ??
けっこう大きいのです
毎夏 見る蛙の卵にしては 大きく見えますが
蛙の卵、オタマジャクシを 田んぼでは みたことありますが、
この池でこんな卵を見たのは 初めてです
この蛙の卵として、池で何匹 見るかなぁ
こんなに沢山の卵の中から 蛙になるのは 極々少数なんですね
苦手な方 ゴメンなさいネ
わたしも 苦手です
このカエルの卵を見ている時 池の淵の萱で左手小指の付け根辺りを
シュっと切ってしまいました
夏なら近づかないのですが 油断していました
その細い傷の痛いこと
3日は痛かったです
枯萱は、冬の季語です
冬ざれのさみしい風景や
春を待つ気持ちを表すのに適当な季語と言えましょうか
ワイドな風景で用いられるのが多いでしょう
しかし 私は 今回 枯れていても(歳を重ねていても)
ビシッと決める時は 決めるわよって気概を込めてみました
ピンポイントで、写真で言えば マクロ撮影って感じで
カメラ目線:
実家から 更に山の方に入って行くと
牛が 放牧(?)されています
最近のことで、何故こんな所で放牧されているかは、分かりません
寒いのに
牛は夏の萱だって平気で食べられます
舌大丈夫なんですね
たった2頭で寂しいのか
カメラ目線で私のことを見ています
その昔 島の多くの農家では、牛に子供を産ませて 育てていました
半年くらいかしら ?
それをせり市にだして売るのです
それが、但馬や松坂に行って それぞれの名前を冠して販売されます
昔の牛のおかあさんは、大変でした
農繁期は 田んぼを鋤いたりするのも牛が、手伝いました
農作物を牛車で運んだり
その上お産です
毎日 散歩に連れて行ってました
今は、農作業は 農機具が、やってくれます
食べるのが 仕事です
でも 数は、減りました
餌の準備も大変だし、女、年寄りでは、散歩は 無理です
近所で 牛を飼っている家も わずかになりました
飼っている家は 専門的に何頭も世話しています
乳牛を飼っている家も
どちらにしても家族で旅行なんて出来ません
牛の世話には、”休み”が 無いのです
それでも、充分に採算を取るのは なかなかに苦労が あるようです