南方で殉ぜしひとに黄水仙
(なんぽうでじゅんぜしひとにきすいせん)
ちゃんとご挨拶してから帰省しようと考えておりましたが
バタバタしてしまって してしまいました
失礼致しました
主人の叔父(写真で見ると凄くハンサム)が、戦死しております
お墓参りに、黄水仙やラッパ水仙を持って行きました
その方は 村の戦没者をお祀りしている墓地で眠っていらっしゃいます
何年か前 その墓地を鉄砲水が 襲いました
その整備すると云うことで 寄付を致しました
なのに、一向に 整備が 進みません
戦後、随分時が、経ちました
今は 田舎のお墓を守る人が 少なくなりました
孫のような世代の人達は、関心も無く、関わりたくないみたいで
誰も お参りしてくれなくなった戦没者のお墓もあります
寄付が 集まらず、整備が 進まなかったのです
この度 町内で まとめて戦没者の碑を作ることになりました
戦後は遠くなりにけり です
例の蛙の卵 実家に着いて真っ先に池の様子を見に行きました
オタマジャクシ 1匹も見ませんでした
あんなに沢山 何処へ行ったのかしら ?? でした
近くに子供のサッカー場が あり そこへ行く道路沿いに ソメイヨシノの並木が、あります
母たちが、ボランティアで植えました
3日の夕方は 蕾だったのに 4日の午後には 1分咲
そして5日の朝には 3分咲くらいでした
連翹も 遠目に 3日には、その気配も無かったのに、5日には 満開
急に黄色が 現れたって感じ
この度は 花たちのエネルギーを沢山 感じました
その一方で スーパーにも 魚屋さんにも「イカナゴ」が 無い
程好い大きさの釜揚げの物も無い
中途半端に4cm前後の大きさが、パックに入って 数個のみ
イカナゴのくぎ煮用のタレが もう半額になってました
10cm足らずの大きなのも ありません
これをタレに絡めて ちょっと炙って・・・ 美味しいのよねぇ
生まれてこの方 こんなイカナゴが 貴重品になったことは 初めてです
昭恵さんのご両親は、戦争に対して思いは 無かったのでしょうか ?
わたしなど 真に戦中派の両親から お上の仕打ちに激しい怒りを
聞いておりました
教育勅語に感動して涙なんで あり得ません
わたしの年代では 戦没者の子供は 居ませんでしたが
仕事先の先輩には
適齢期に男性が 居なかったので 結婚できなかったって女性も
居ました
家族を守るため 結婚しなかった人も
(仕事を持ってるだけでも幸運だったのかも)
なかなか スッキリしませんね
気象のレーダーで、見ると雲も無い筈なのに、
雨が 降ります
どちらにも 悲しい姿のお墓が、 あるのですね
実家は 実家だけのお墓が、あります
でも町立の墓地が 出来ました
掃除の事を思うと そちらが 良いかな~~って母が、つぶやいています
未だ 咲かないの ?
もう 咲いちゃったの ?
植物も悩んでいるのでしょうね
叔父様は 大和に乗っていらしたのですね
東シナ海の荒波の中 どんなお気持ちだったでしょうね
遺されたいとこさんは いらっしゃらないのですか
お寺さんから ○回忌の案内
漏れなくお知らせ入ります・・・微妙な気分です
まとめて石碑となると お参りする人 減るのじゃないでしょうか ?
急な坂を登らねばならない今のお墓 足腰が 弱くなったら
私たちの次の代は、もう守りしてくれないでしょう
大きな水仙を楽しむには 丁度良い時に帰省したみたいです
我が家の房咲きの水仙は、終わりのようです
また 光をたっぷり蓄えて 来年も咲いてましょう
オタマジャクシは、共食いするのですか ?
あの気味わるい卵ですからね
あるかも~~
池にはザリガニも居ます
このご時世 面白がって 戦前回顧する若者も存在するようですね
シリア空爆、北のこと きな臭い種が 沢山あります
丁度 様々な花たちが 咲く時と重なったようで
花たちのエネルギーを感じ入りました
この池でも夏になると蛙が睡蓮の葉に乗って
時間を過ごしています
亀と共存です
稲作する所が 減りました
水路もコンクリートで覆われ 蛙も暮し難いことでしょう
蛍は 消えました
高橋源一郎さんの現代文にしたのを新聞で読みましたが兄弟仲良く、親を敬いが主ではなくて、戦争が起こったら勇気を持っ奉仕してくださいと洗脳したのだと。
また戦没者が出てしまいますね。同級生でも小学生で父親のいない人が何人もいました。
植物」も大慌てでしょう
戦後は遠くに成りにけり
私は周りに戦死者も無く 記憶にも無く 戦争に実感がありません
墓守 確かに戦没者の方の墓のみならず 荒れたお墓が多いですね
都会に出て帰ってこれない事情もあるのでしょうッが 寂しいです
毎年、護国神社から命日のお詣り案内が届きます。
ラジオの今日は何の日で戦艦大和沈没も聞きましたが、雨をいい事にお墓参りもせず・・・。
姑は戦没者の義弟の祥月命日も忘れずお墓参りをしていました。戦没者のお墓はひときわ大きいです。
時代を生きただけあって戦後生まれの甥の嫁とは違います。
戦後70年を期に永代供養もし、今はどうにかお墓守りをしていますが、私たちの後はどうなる事かと・・・。
桜も満開ですがこの雨です。
オタマジャクシ、どうしたのでしょう。
鳥に食べられた?
オタマジャクシって、姿に似合わず凶暴だから、卵から孵って共喰いした可能性もありますね。
私、慰霊塔も大切ですが、先の大戦の悲惨さを正確に若い世代に伝えることが重要な気もするのです。
若い人たち、右寄りの人たちの言葉を真に受けて、何も知らなかったりします。
日本だって、戦争に突入する可能性はいくらでもあり、その時になって悲惨さを知っても遅いですから。
最近 カエルの鳴き声が聞こえ たまに すごく小さカエルがひょこひょこ飛んでいますから
きっと 育ってカエルになったのですよ。
何時行っても 花の無いお墓もあって悲しいです
主人の田舎は、特にお墓まいりが 熱心だと言われる地区なんですけどね
やっと桜が 咲いたと思ったら 雨、雨
でも 花散らしにはならないと期待します
長く楽しめるかな
心得ました
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ちょっと無神経でした 反省 反省
オタマジャクシは、土の中にもぐったりしませんよね
生存率からすれば 全滅なんて無いと思うのだけど
田舎の場合 都会へ出た後、家も無いっていうお宅も増えました
わたしの親戚でも、 家を売り払い
法事は お寺さんでと言う所が あります
その一方 古家に興味を持つ 都会からの人もいらっしゃるようです
実家の近所の家も見学にいらしていたとか
田舎の集合のお墓でも 見かけます
無縁墓も一カ所の集められています
前の戦没者のお墓は 急な登坂の上にありましたから
これからは、高齢者さんも
お参りできます
シリアで起きたこと現実なんですね
私たち日本人は 戦車が 道路を動く光景など
長い間見ること無く 暮らせています
なのに 何だか 戦前に戻りたいかのような
思想もチラホラ見えて 嫌です
お墓守するのが大変な時代になってきましたね。
田畑の放棄のように
荒れ果てるかもしれませんね。
桜や花々が今年は遅いですね。
本日はプラムの花粉付けの手伝いをしてきましたが、
花がマチマチデした。
お願い
私
自分のブログでは
ガンのカミングアウトをしてませんので
よろしくお願いします。
大阪時代の友と同級生に知られたくないので
まだ人間ができてないとつくづく感じております。
カエルの卵たち何者かに食べられちゃったのかな。
こちらにも戦没者の慰霊塔が小学校の脇にあります。
遺族会で掃除したり管理しているけど、
聞けば代が代わるとしなくなって、
やれる人が少なくなっているとのこと。
遺族会だけじゃなく平和の礎として奉ることが、
後世へ引き継ぐ決め手かもね。
戦没者の方々の碑は大切にしたいですね。長い時間が過ぎ、お陰様でこの平安があることを忘れがちです。
今一度、思いを致したいものです。