花咲くや色即是空あおき空
( はなさくやしきそくぜくうあおきそら )
実家は、真言宗
曽祖父のお葬式、 わたしが10歳の時でした
以来、家族や親戚の葬儀、法事で何度も、聞いて
凡そ、他人についてなら、唱えられる
でも、諳んじているからと言って、教典を見ず唱えるは、はしたないこと
ちゃんと経典の文字を追いながら、唱えるのが正しい
それも、聞こえよがしに得意気に唱えるもので、無く
他の人と、そろえるべし と云うことです
実家の方では、地域の付き合いをするには、お経を唱えることは、必須です
昔は、月ごとに、家を廻って、仏様にお経を唱えていました
その後、お茶菓子を頂きながら、おしゃべり
法事では、隣組の代表が、般若心経をリードしなければ、なりません
最近、代替わりして、出来る人が、少なくなりました
さて、 わたしはと言うと、リードが出来るまでは、到達しておらず
般若心経のブレスの場所が、 わかりません
言葉を何処で切るのかが、・・・
父から貰った経典にも鉛筆で薄く、印が、付けてある
親戚の間では、歳からして母が、リーダーになる場合が、多い
で、ふと思ったのです
わたしも、もう少し、馴染んでおかねばならぬ と
上手な従姉は、いるのですが、そういう時、何故か彼女に事件が、起きて参加できない事も多いので
ピンチヒッターが、必要です
ある日、本屋さんで、お目当ての本が見つからず、手に取った「般若心経の本」
読んでみようかな
意味を説いてあります
姑の付き添いは、彼女が寝ていれば、読書タイムに最適です
その枕元で般若心経も如何かと思いますが、カバーをつけて、読みました
概ね、ぼんやりわかりましたが、「般若」って複雑です
わたしは、「般若」と言えば、お面が、浮かび、嫉妬とか怒りを言うのかと思っておりました
違うんですね
じゃあ「般若」って何 ? と尋ねられても、一読したくらいでは説明できない深~~い言葉なんです
持つべき「智慧」、人間としての有り様とでも言いましょうか
そりゃぁ、お坊様は、高野山で厳しい修行をしてこそ得られる心の世界ですもの
わたしが、そんな簡単には、申し上げられません
”色即是空”って、恋愛で執着するなっ、嫉妬するなって事かと理解しておりました
とんでもありません
「自分のこだわりに執着するのでなく、矛盾を受け入れろ」ってことだそうです ≪恥ずかしい≫
でも、読んでいると、心地よいものですね
他の人のも、読んでみたくなります
実家の本棚に「寂聴さん」の解説本が、あります
今度は、あれを読もうと計画しています
なのにである
先日「枕元に立って、言いたいこと言ってやる」なんて書いてしまいました
読んだこと、身についていません ね
大体、どの宗教でも、宗教的な場所に行くと、鳥肌が、立ちます
宗教ってあり方自体に心癒されるのでしょうか ?
これって私だけ ??
次回は、写真のもう1冊の本について、と致しましょう
身につかなくてもいいんです。お酒は飲んではいけないのにお湯(般若湯)にしてしまいます。いいように解釈していいんですから。
般若心経は教本無しには唱えられません。
葬祭で目を通す時、
何やら意味深いことがありそうなと思いはしても、
読み解こうとしないのは、
まだ煩悩の世界をさまよっていると言うことでしょうか。
仏の世界が近づいているのに・・
般若心経のブレス、大勢に紛れてお構いなしだったような・・・。
我が家の講中も月一回のお題目日がありますが、読経の後はコミュニケーションの場です。
勿論、導師はDCです。
般若心経の解説本を読むなんて しまそだちさんは凄い!って思いました
友はお寺さんの行事に熱心に参加しています
私と言ったら「線香臭い所はいやだ」で参加しません
と言うより 我が家はお寺さんが決まっていない
その友が言うには「仏壇にお参りして 声を出して南無阿弥陀仏を唱えなければならない」と言います
母の仏壇にお参りしてくれた時 声を出してでした
それが私には出来ない
月一回の会合に出席するのは、殆ど女性ですから
お茶とお菓子のみでした
般若湯って初めて聞く言い方です
ちょっと修業行的な命名で
色々生臭そうな坊さんも見てきました
とある会社のロビー、御軸の箱を抱えて入って来たお坊さん、
帰りは手ぶらでニンマリしながら帰りました
無信心な父の本棚、丁度、今の私くらいのころから
「般若心経」や「真言宗」の本が増えました
あらら∼~って思ったものです
わたしも、そんな年齢になったんだなぁって思います
実家のお寺さんは、修行のお話を良くしてくれますが
連れ合いさんのお寺さんは、やんちゃ自慢です
わたしが、懺悔を聞いています
菜の花の頃、お遍路さんのご接待が、あります
ご詠歌ってのもありますね
今回、 わたしの解釈は、現代的で相当煩悩が乗っていると
気が付きました
そう CDがあるのですね
いずれその道かな~~
いえいえ、超簡単、優しく説いてあります
教本を見ながら丁寧に唱えるのが、正しいそうです
法事で般若心経を唱えると、後気持ちよいのです
それで、いよいよ内容を知りたくなって・・・
わたしにも、そんな時が巡って来たってことでしょう
連れ合いの家、全然唱えませんけど・・・
姑はそれでも長生きですから、関係ないのでしょうね
泊り込みでお山に上がっていた時期がありました。
それで わたしたちも たまに行って 滝に打たれたりさせてもらえたので
一生懸命 般若心経を覚えました。
夫と一緒の車で通勤していたので 行きの車の中でテープのあわせて
毎日拝みました。まだ 30歳ごろのことです。
拝むと集中できて あとが すがすがしいですよね。
余談ですが 舅は たまたま お休みをいただいて自宅に帰っていたときに
心臓発作で突然亡くなりましたが 私の誕生日と同じひでした。
この本はどなたの訳か見えないのですが、以前生命科学者の柳澤桂子さんの訳されたものを読みました。
すごい訳だと思い、それから写経をちょっとだけ、したことがあります。